まず、冒頭に触れられているアメコミと日本漫画の売り上げの話は、本人も「真偽は別にして」と書いているように、要素が複合的で以下の議論を参照されたい。
togetter.com
重要なのはここであります
「コンプラ的に必要な行為」をフィクションにイチイチ描くと、作品内がまぬけだらけになってしまい、読者は「そのくだりいるか?」となってしまうのである。
だが、そこを省略して描くと「どれだけ金持ちでイケメンでもあいさつ(隠語)しねーとかどういうことよ?」という苦情がきかねない世の中なのだ。
そうなると、壁ドンや、反論しようとするヒロインの口をキッスで塞いでくるような「強引な男」は登場させるのすら難しくなってくる。
「俺から逃げられると思ってんの?」と強気なことを言いながら、部屋のドアは全開、常に最低2メートルのソーシャルディスタンスを取っており、もちろんフェイスガード装着というまぬけな絵面になってしまうのだ。
文章の正当性を「誰が書いたか」で左右されていいのか、という問題はあるのだが、この主張をしているのが「女性の創作家」であることによって、何か変化はあるだろうか。
という話は、既にここで語っている。
…これはねえ…このイラストから「女性を殴りそう」と連想した人がまずあっぱれというかスゲーな、だけど、ただ理がある話ではありますわな。
なんでしたっけ、イラストにつけられた台詞。これはまあ、実際に女性に対して発言したら、と想像してみればわかるですが、『このあと何かが起こる』というキャッチコピーと合わせると、”少し、欺瞞的なアプローチを交えた性的な誘惑行為”を、少なくとも連想させ得るようなシチュエーションと考えてもおかしかないだろう。
そこから連想を発展させていけば、「暴力に至るかもしれない」、…そこまでは、かけ離れているようでそれほど距離はない。一歩間違えば、とはいわないが、2.5歩ぐらいか(笑)。イラストは、そういう内容だったという部分は、それほど意見が分かれる話でもないと思う。
だから、ポリコレに反しているか、いないかでいえば、ポリコレ違反っすよね。これ。
(略)
ただ。
重要なのは、もし、このイラストを描いた方の属性が言われている通りのものだとするなら、
『想像の世界では(この大前提は重要)、そういう形でのアプローチを男性からされることに、一寸した憧憬やロマンを抱く女性も存在するかもしれない』という、ま、そりゃそうだの話だ。
てゆーかそれ、「壁ドン」の時点で周知の事実やん。
これ、この前のハコヅメでやってましたやん。ここから抜粋して再紹介ね。
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壁ドンを警察が「犯罪事実」として描写したら
…47号。解説するより、読めばわかる
(略)……「壁ドン」はブームのときから、法律的、論理的に、要は合意なしでの脅迫的、強要的な何かじゃないか、とは言われてました。
そういう話もかいたことあるし、韓国の新聞は「猟奇的」とまで書いている(笑)
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今回のコラムは、これをカレー沢薫という、実績ある女性創作者が、文章の形で追認したにすぎない。
乙女ゲーには、俺様、ドS、ヤンデレというような、あまりヒロインの都合には興味がないタイプが結構出てくるし、そういうキャラほど人気だったりする。ヒロインはそういうキャラに戸惑ったり怒ったりはするが、はっきり拒否ることはないし、拒否るとバッドエンドになってしまったりする。
つまりクリアしたかったらそういう奴らを受け入れるしかないシステムなのだ。確かに日本人の目からしても乙女ゲーには「『通報』という選択肢を出してくれ」というシーンは多々ある。
しかし、乙女ゲーのヒロインというのは一応「プレイヤーの分身」なのだ。
(略)
物語の推進力が「個性的な男の都合に振り回されること」のみになってしまうので、それを拒否ると、もはや乙女ゲーとして何も動かなくなってしまうのだ。このように、コンプラとフィクショョンの折り合いは描く方もだが、読む方もなかなかつけることができない。
まずは
「強引な男が、強引に迫ってくる」物語、創作物を
「女性の側が、好んで読む、消費する」という現実がある時、そこに矛盾はある訳で
「創作、物語においてはそういうこともあろう」と許容するか
「そういうことはあってはならない」と許容しないか、
許容しないとしたら、「そういうのを好む女性は、無明の闇、蒙昧な状態に置かれているので、啓蒙によって打開できる」か「好むにかかわらず、外部から規制する」となるか、でありましょう。
別に創作物において「強引に迫る俺様男」が滅びるかどうかってわかんないというか、利害関係的には果てしなくどーでもいいのだけれど、少しく興味はございます。