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李登輝氏逝去・新聞社説集

毎日新聞 台湾の李登輝氏死去 平和的な民主化を導いた

毎日新聞2020年8月1日 東京朝刊


 台湾の李登輝(りとうき)元総統が亡くなった。97歳だった。中国共産党との内戦に敗れて台湾に渡った国民党の一党独裁体制を終わらせ、平和的に民主主義体制へ移行させた。

 蔣介石(しょうかいせき)、蔣経国(けいこく)父子が率いた国民党政権は中国生まれの「外省人(がいしょうじん)」中心の体制だった。農業の専門家だった李氏は台湾生まれの「本省人(ほんしょうじん)」ながら能力を買われ、副総統に登用された。

 1988年の蔣経国総統の死後、憲法の規定で台湾出身者初の総統に就任した。国民党主席にも選ばれ、内戦時に総統に独裁的な権限を与えた憲法の臨時条項を廃止して民主化に乗り出した。

 外省人既得権益に切り込み、40年代に中国大陸で選出され、長く議席を保っていた「万年議員」を説得して引退に追い込んだ。

 国民党体制に不満を持っていた本省人民進党など野党勢力からの信任も得て大きな混乱なく民主的な議会選挙を実施した。

 対中関係では中国との接触を認めなかった政策を改め、民間窓口機関を通じた中台対話を始めた。一方で台湾の主体性や日米両国などとの関係を重視し、中国からは「独立派」と警戒された。

 95年の訪米後、中国は翌年3月の初の総統直接選挙をにらんで台湾周辺でミサイル演習などを繰り返した。米国が空母を派遣し、「台湾海峡危機」に発展した。

 だが、李氏は中国に反発する台湾住民の圧倒的な支持を受けて初の民選総統に当選し、民主的な体制への移行を完成させた。

 民主化や台湾の自立を使命と考える一方、現実を踏まえた政策を進める戦略家だった。総統時代には統一を否定しなかったが、2000年の退任後は独立派を支援し、国民党とたもとを分かった。

 日本統治時代に旧制台北高校から京都大学農学部に進んだ。94年に対談した作家の司馬遼太郎氏に「外来政権」に支配されてきた台湾人の「悲哀」を語っている。

 世界の民主化を主導してきた米国で黒人差別に反対する大規模な抗議行動が起こり、香港では国家安全維持法が施行されて政治的自由が大幅に後退している。

 民主主義の行方に懸念が高まる中、「ミスター・デモクラシー」と呼ばれた李氏の歴史的な業績を改めて思い起こしたい。
https://mainichi.jp/articles/20200801/ddm/005/070/115000c



朝日新聞 (社説)李登輝氏死去 築き上げた民主の重み

2020年8月1日 5時00分 

 台湾の李登輝(リートンホイ)元総統が亡くなった。97歳だった。

 独裁から民主への制度転換を平和裏に進めた業績は、歴史に深く刻まれる。強大化した中国が民主主義に逆行するなか、台湾の自由は、その重みをいっそう増している。

 1980年代後半、中国大陸出身者が中心だった国民党政権で、初めて台湾出身の総統となった。その後、政治の自由化を加速させた。民意を反映させる議会改革を断行し、初の総統の直接選挙を実現させた。

 米国を引き寄せ、台湾での権力闘争を勝ち抜く上で改革を推進力にしたとの見方もあろう。だが随所で国際潮流を読み、社会を混乱させることなく、民主化を軟着陸させた手腕は高く評価されるべきだ。

 中国共産党政権が同じころ、天安門事件民主化の芽を武力で封じ込めたのとは対照的だった。台湾はいまやアジアの代表的な民主社会であり、高い経済力も身につけた。

 中国のような弾圧などしなくとも、安定した発展が可能であることを中国の人々に証明してみせた。

 ただ、中国との関係は悪化した。90年代半ばには台湾海峡危機が起き、緊張も高まった。人口2300万の台湾にとって、14億人の中国はあまりにも巨大だ。国防費は台湾の約15倍、経済規模は二十数倍に上る。

 圧倒的な力を持った共産党政権は政治改革を口にすることもなくなり、「一国二制度」を約束した香港では、自治の権利を強引に奪おうとしている。

 いまでは台湾の存在感の最大のよりどころは、民主と自由という理念にほかならない。

 コロナ禍でも、それは如実に示された。当局の積極的な情報公開によって市民が自発的に感染防止に動いたことが世界の注目を集めた。個の自由に否定的な中国の強権と比べ、個の自主と活力を尊ぶ文化が台湾の強みとして根付きつつある。

 日本は先の大戦に敗れるまで半世紀、台湾を植民地支配していた。その歴史を背景に、李氏は日本にとって特別な政治家だった。植民地時代の台湾で生まれ、京都帝大に学んだ。日本軍人として終戦を迎えた。

 流暢(りゅうちょう)な日本語で「22歳まで自分は日本人だった」などと語る言葉が、当時を肯定するかのように受け止められることもあった。だが、本人は動じることなく、ときに日本の政治家について「小手先のことばかり論じている」と厳しかった。

 日本は台湾との歴史にどう向き合ってきたのか。これからどんな関係をめざすのか。そんな重い問いを、日本人に静かに考えさせる存在でもあった。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14570856.html


産経新聞 【主張】李登輝氏死去 自由と民主の遺志次代へ

2020.7.31 05:00コラム主張 
李登輝氏死去

 台湾の李登輝元総統が97歳の生涯を閉じた。

 「民主化の父」として知られ、戦後の台湾を独裁支配した中国大陸由来の国民党政権を、6回の憲法改正などで内側から改革した。心から哀悼の意を表すとともに、満身の力を込めて自由と民主主義を守った強固な意志を次代につなぎたい。

 親日家としても知られ、流暢(りゅうちょう)な日本語で日本の人々にも親しまれた。その姿は忘れられない。

 国民党政権が戦後、台湾で行ってきた反日教育をやめさせたのは、2000年まで12年間、総統を務めた李氏だ。日本統治時代の台湾で進んだ教育制度や衛生観念の普及、インフラ整備といった史実を再評価し、新たな歴史教科書を編纂(へんさん)して教育改革を行った。

 李氏の改革がなければ、中国や韓国にも似た反日世論が、台湾になおも残っていた恐れがある。李氏の功績を日本政府は認め、いまからでも叙勲を検討すべきだ。

 日本統治時代の大正12(1923)年に台湾で生まれ、旧制台北高から京都帝大(現京大)に進んだ李氏は、学徒出陣を経て、旧日本軍の陸軍少尉の立場で終戦を迎えている。日本人の良さも悪さも知り尽くしている人物だった。

 アジア民主主義の政治リーダーとして強い存在感を示し続けてきただけに、「李登輝なき台湾」の行方が気になる。

 現在の蔡英文政権は、李氏が敷いた民主化路線の延長線上を走っている。だが、台湾を自国領と主張して圧力をかけ続けた中国の習近平指導部が、国家安全維持法施行で香港の「一国二制度」を形骸化させたのに続き台湾に照準を当てることは容易に想像できる。

 対米関係の急激な悪化と経済の混乱、新型コロナウイルス禍など、山積する国内問題を対外問題にすり替えるのは中国共産党の常套(じょうとう)手段である。

 日本の本州から九州、沖縄、台湾からフィリピンへと連なる西太平洋の民主主義による「第一列島線」に包囲されている中国は、突破口がいますぐにでも欲しい。

 地政学上、台湾のすぐ隣に位置し、互いに中国の脅威にさらされ続ける日本が、民主主義陣営として改めて台湾との確固たる信頼関係を示すべきときではないか。

 コロナ禍ではあるが、葬儀に日本政府は、弔問のための要人派遣を検討すべきだ。日本は最大限の誠意をみせねばならない。
https://www.sankei.com/column/news/200731/clm2007310003-n1.html



東京新聞 李登輝氏死去 台湾の悲哀と誇り体現

2020年8月1日 07時36分

 九十七歳で死去した李登輝氏は晩年、「新・台湾の主張」(PHP新書)の中で、「政治というのは結局、協調である。政権を握ったからといって、与党が政治のいっさいをコントロールするわけにはいかない」と述べている。
 台湾政界での国民党から民進党への政権交代をめぐる述懐である。中国共産党の一党支配が続く大陸への批判ではないが、独裁的な統治に断固反対する姿勢こそ、李氏の真骨頂であるといえる。
 それが、一九九六年に自ら実施した初の総統直接選挙で54%の得票率で当選し、台湾史上初の民選総統になった原動力だった。
 台湾統一を悲願とする中国は、李氏を「台湾独立論者」と痛烈に批判してきたが、李氏は何よりも民意を重んじる政治家であったと評価されるべきであろう。
◆「政治自由化」の扉開く
 李氏は旧制台北高校を卒業し、戦前の京都帝国大学台湾大学で農業経済学を専攻した。七〇年代に蔣経国総統がその学識を高く評価して政務委員として入閣。台北市長、副総統などを歴任した。
 蔣経国氏を引き継いで総統になったが、大陸から来た蔣介石、蔣経国が率いた国民党の強権政治を転換させた功績は大きい。
 台湾は、八七年に解除されるまで三十八年間戒厳令下にあった。政治活動や言論の自由などは厳しく制限され、「白色テロ」と呼ばれる市民の逮捕・投獄が横行した。
 李氏は、総統としては異例の外国人記者との会見を開いて台湾民主化をアピールしたほか、大陸統治時代に選出され改選されずにきた高齢の終身議員を依願退職させるなど議会改革にも踏み込んだ。
 台湾で初めて政治改革に乗り出した先見性が、現在、台湾の人たちが享受している政治の自由化への重い扉を押し開いたといえる。
◆日本精神称える親日
 李氏を語る時、忘れてはならないのは「台湾の悲哀と誇り」を自身が強く感じ、その思いを台湾統治に結実させてきた政治家であるという視点であろう。
 李氏は九〇年代初め、台湾を訪れた作家の司馬遼太郎氏と対談し「台湾人に生まれた悲哀」に言及した。その悲哀とは、戦前の日本植民地時代には日本人として生まれながら、本土出身の日本人と差別され、祖国復帰後は大陸から来た外来政権が権力を握り、台湾人が抑圧されてきた歴史である。
 それだけに、九六年の総統直接選について、李氏は「国民党の総統ではなく、台湾の有権者が選んだ台湾人の総統ということになる」と強調した。この選挙こそ台湾人が誇りを取り戻した第一歩と、李氏は感じたに違いない。
 李氏は日本語に堪能で親日家として知られる。「誠実、責任感、勤勉などの日本精神を日本統治時代に学び、台湾人が自らの誇りとした」と称(たた)えたことは、日本人として率直に感謝したい。
 だが、東アジアの政治指導者の一人である李氏が若き日、学徒出陣で出征し、旧日本陸軍少尉として名古屋で終戦を迎えた歴史からも目を背けることはできない。
 戦前の日本が、アジア諸国を侵略し、李氏の心から終生離れることのなかった「台湾人の悲哀」の一端をつくった責任は否定できない。
 李氏自身は批判していないが、こうした負の歴史の教訓を私たちは忘れるべきではない。
 九九年に李氏は「(中台の)両岸関係はすでに『特殊な国と国の関係』であるため、いまさら台湾独立を宣言する必要はありません」と発言した。「二国論」と報じられ、中国は「二つの中国をつくるたくらみ」と、批判を強めた。
 その李発言から二十年余。民主台湾で教育を受けた若い世代は「自分は中国人ではなく台湾人」「台湾は台湾」と考える。
 彼らは生まれながらの「天然独」と呼ばれ、中国が敵視する「老台独(古い台湾独立派)」とは異なる。
 台湾人意識を育んできた若い世代が社会の中核になろうとしている。「国際的に摩擦を起こす発言は必要なく、台湾が台湾として存在することが重要」という李氏の訴えに近い台湾が出現している。
◆中国には苦々しい現実
 近年の世論調査では、七割以上が中台の政治的「現状維持」を支持している。
 中国が台湾統一のため編み出した知恵が「一国二制度」である。だが、その制度を五十年間守ることを約束した香港で中国が国家安全維持法を施行し、自治を踏みにじった事実を、台湾の若者たちも見つめている。
 李氏を「台湾独立派」として攻撃してきた中国には苦々しい現実かもしれないが、民主を重んじる若い「天然独」の台湾での台頭を、大陸の指導者は冷静に受け止めるべきであろう。
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/46322



日経新聞 [社説]李登輝氏が残した貴重な遺産

社説
2020/8/1 19:00日本経済新聞 電子版

来日時の投宿で李登輝氏が植樹した枝垂れ桜と「我是不是我的我(私は私でない私である)」という揮毫(きごう)を刻んだ碑(秋田県仙北市の温泉宿「都わすれ」で)
来日時の投宿で李登輝氏が植樹した枝垂れ桜と「我是不是我的我(私は私でない私である)」という揮毫(きごう)を刻んだ碑(秋田県仙北市の温泉宿「都わすれ」で)

台湾を自立した民主的な政治体制に導いた元総統、李登輝氏が97歳で亡くなった。「台湾民主化の父」が残した遺産は貴重である。一方、複雑な中台関係、国際政治も踏まえ、それを継承するには相当な努力と手腕が必要になる。

民主進歩党民進党)出身の総統として2期目の蔡英文氏にとって国民党を率いた李氏は政治の師だ。気鋭の政治学者だった蔡氏は李氏をブレーンとして支えた。

台湾の戦後政治は国民党とともに中国本土から逃れてきた外省人が中心だった。李氏が道筋を付けた公正な選挙に支えられた政治では台湾に長く住む本省人も主役になった。台湾の民主を磨く責任は蔡氏を含む与野党双方にある。

野党国民党は混乱中だ。「中国離れ」を選択した有権者を前に国民党も「親中色」を薄めつつ党勢立て直しに腐心せざるをえない。こうした台湾情勢は独立を警戒する中国との摩擦も生む。

香港の「一国二制度」はそもそも台湾統一の手段だった。だが中国は香港住民の民意を顧みず香港国家安全維持法を施行し、自ら一国二制度を形骸化させた。

台湾側は中国の軍事圧力を懸念する。そこには緊迫する米中対立も絡む。万一、台湾周辺で偶発的衝突があれば日本の安全保障に直結する。十分な警戒が必要だ。

過去に例がある。1996年、初の総統直接選挙で李氏が選ばれる前、独立を警戒する中国は台湾付近にミサイルを発射し米空母2隻が台湾海峡に入った。似た緊迫の事態が起きないとは限らない。

1世紀近い天寿を全うした歴史の証人は京都帝大(現京大)で農学を修めた日本通で日台交流に尽力した。日本にとって台湾は重要だ。経済が軸の安定した関係づくりへ努力を惜しむべきではない。

「私は私でない私である」。13年前、投宿した秋田県の人里離れた宿には植樹した枝垂れ桜と漢文の揮毫(きごう)を刻む碑がある。民主台湾へ道を開いた政治指導者が引退後、残した無私の心に通じる言葉の意味をかみしめたい。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62197560R00C20A8SHF000/



李登輝秘録

李登輝秘録

  • 作者:河崎眞澄
  • 発売日: 2020/07/31
  • メディア: 単行本