不快な表現をやめさせたい!?: こわれゆく「思想の自由市場」
- 作者:紙屋 高雪
- 発売日: 2020/04/07
- メディア: 単行本
内容紹介
「表現の不自由展」事件、献血ポスター炎上など実際の出来事を切り口に、自分にとって「不快な表現」にどう向き合えばいいのかを考える。著者について
1970年愛知県生まれ。ブロガー。マンガ評・書評サイト「紙屋研究所」の管理人。
アマゾン紹介ではまだ未記載だが、目次が先に紹介されているのはありがたい。
kamiyakenkyujo.hatenablog.com
目次を書いておきます。はじめに
「あいちトリエンナーレ」事件の何が問題なのか
実際に「あいトリ」の作品を見てみる
「行政の中立」とは何か
「宇崎ちゃん」献血ポスター事件を考える
(コラム1 自由な批判で表現を取り下げる――「はじめてのはたらくくるま」事件)
女性を性的対象としてみることは問題なのか
ポリコレ棒を心の中に
(コラム2 表現の規制に必要な条件は――志田陽子教授に聞く)
不快な表現にどう向き合うか
あとがき
この本の特徴ですが、「あいトリ」事件と「宇崎ちゃん」ポスター事件の二つを同時に扱っていることです。同時に取り上げる本というのは珍しいのではないかと思います(新聞などの記事では時々見ますが)。両者はいずれも「表現の自由」にかかわる問題を含んでいますが…(後略)
同じ執筆者だから当然ながら論の骨子は同じで、そういう点では「ネタバレ」になるかもだが、ブログ記事であいちトリエンナーレ問題も宇崎ちゃん問題も触れられている。
kamiyakenkyujo.hatenablog.com
kamiyakenkyujo.hatenablog.com
kamiyakenkyujo.hatenablog.com
宇崎問題はこちら
自分はあいちトリエンナーレ問題では
・抗議(脅迫・犯罪予告ではないもの)をどのように「受付制限」するか(できるか、していいか)
・行政が「主催者」も兼ねる時、主催者が持つ、持たねばならない作品の選定、選出する(落選させる)、いったん出品したものを抗議など受け引き下げる―などの権限や行為と中立性がそもそも根底で矛盾しないか(それが美術品でもポスターでも同じではないか)
などの話を、当ブログで少し書いた。その後も、くわしくあとで書こうと思っていたけど、まだちょっと積み置きしている。
多々あったけど、代表的なもののみ。
m-dojo.hatenadiary.com
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しかし「思想の自由市場」、最近は一部から非常に敵視されていることばである。この言葉をよくタイトルに入れたものだ。
そこにまず驚いたのだった。