早いもんだ。「まだ当分先だな」と思ってたらもう出てる。
- 作者:紙屋 高雪
- 発売日: 2020/04/06
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
紙屋高雪さんの新刊「不快な表現をやめさせたい!? こわれゆく『表現の自由市場』」がちょっと遅れて届いたので、これから読みます。 pic.twitter.com/DgIu6PIYT4
— 小泉しゅうすけ(寒川町議会議員@立憲民主党) (@KoizumiSamukawa) April 11, 2020
第三章まで読んだ。「どちらの立場でも支援してこそ市民の活動は活発に」と題した中で志田教授の弁も引きながら、あえて左翼である紙屋さんが『つまり、「右」であろうが「左」であろうが、大いにやればいいのです。もちろん百田さんの講演でも』と書いたのは本当に素晴らしい。そして勇気のある発言。
— 小泉しゅうすけ(寒川町議会議員@立憲民主党) (@KoizumiSamukawa) April 11, 2020
これ、最近のリベラル左派界隈の、特にネット上で声が大きい人たちの前では、言い難くなってきていることですね。これだけで差別主義者だと烙印を押し、その人が政党に属していると見ると、直ちに党本部とか県連に通報したりしては言論を弾圧したがる人が多いから。そういう意味でも本当に素晴らしい。
— 小泉しゅうすけ(寒川町議会議員@立憲民主党) (@KoizumiSamukawa) April 11, 2020
そして宇崎ちゃんの件から始まる第四章からラストまで読み切った。紙屋さんの論理は性的という観点でポリコレ的批判をされる表現について『女性への偏見・誤解を広げるかもしれません』としつつも、表現の自由は非常に壊れやすいので、思想の自由市場に任せるべきという立場。私も全面的に賛同します。
— 小泉しゅうすけ(寒川町議会議員@立憲民主党) (@KoizumiSamukawa) April 11, 2020
※このへんから、めんどくさいのとリプ先が表示されて逆に読みにくいのとで、埋め込みじゃなくてコピペにします
しかしあえて書かなかったのか、分量的に書けなかったのか、それとも筆者が気付かなかったのかは不明だが、所謂ソフトテロによる実質的な表現の抹殺という現実には触れられていなかったのは残念。もちろんまともに語り出すと、表現側の企業団体の日本的弱さなども語る必要があり、大変なのは分かるが…
『批判の表明は旺盛にすべきでしょう』『撤去要請は慎重にすべきです』も全く賛成なのだけど、大量の電話などによるクレームで相手の時間を消耗させる事により実質的に表現を抹殺させる行為がほぼ起こっているだろう現状は、厳しくも切り込んで欲しかったとは思います。
志田教授のインタビューもあり、「表現ではなくまず現実を変える」という辺りは、左翼だけどオタクだよ、そして表現の自由を大切にするという立場を同じくする私から見ても、読み応え十分です。性表現から差別まで『表現を規制してもよいという安易な風潮』を懸念する人には必読の一冊です。
この前、出版することが報じられた時には「発売されたら、書店に買いに行くか」だった。だが、現状では書店に行くのもねえ……なので、いまAmazon注文に踏み切った…と思いきや、ん?「カートに入れる」が出てこない、これはつまり売り切れてて中古書店から買えないよ、という意味なのか??
あと、電子書籍はキンドルからは出ないらしいんだよ。一部がYONDEMILLとかいうところから出てるだけ。同書は、出るのかな
www.kamogawa.co.jp
www.kamogawa.co.jp
普通に書店注文するしかないのかね。
紙屋高雪さんの「不快な表現をやめさせたい!?」が、アマゾン売れ筋ランキング(人権問題)で1位になっています! 定価以上の値段がついていたりしますが、弊社に在庫はありますので、しばらくしたらふつうに買えるようになるはずです。 pic.twitter.com/KHbpZqDLV2
— かもがわ出版 (@kamogawabooks) April 7, 2020
その他、買いそびれているやつ。
- 作者:吉田 豪
- 発売日: 2020/02/26
- メディア: 単行本
- 作者:アカツキ
- 発売日: 2020/03/03
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
記事が出てた
あまり初刷りはありませんので、かなり大きな本屋でないと、取り寄せない限りないんじゃないかと思います。こういう時こそ本を読んでぜひご感想をください。
こんな記述がその記事に
「ポリコレ棒」と表現
ぼくの本の目次に「ポリコレ棒を心の中に」とあるのをみて、「ポリコレ棒」という、リベラル・左派にとって“敵性用語”を使っているからこんな本は読む価値なし、と言っているコメントを見ましたが、まさに「読まずに語る」典型として興味深く拝見しました。「政治的公正」という基準を使って、作品を論じることは作品批評を貧しくするのかどうか、また、表現の自由とどう関わるか、という問題をここで論じています。
ウィキペディアで、新語・ネット俗語が項目になる基準は以前、非常におおざっぱにいえば「出版物で使われているか」だったはずなので、「ポリコレ棒」が項目にするかの論争があったなら(もうできてるのかな?)、この本を例にしよう。