はてブで話題の記事から。
俺は毎日スーツと革靴の営業職だけど、俺の革靴いくらだと思う?
1980円だぞ
このクラスの靴は新品のときは最悪だがすぐフニャフニャになるので履き心地は悪くない
通気性悪いスリッパみたいな履き心地
もちろん耐久性も低いが半年は余裕で持つし(今の靴はそろそろ一年になる)、金額が金額だからメンテも月に1回墨ベタベタ塗る程度(1分で終わる)なのでほぼメンテフリー
だめになったら捨てればいい
そこで「安物買いの銭失い」と言ってる増田に問題だが
十万の靴をメンテしながら十年履くのと
半年ごとに二千円の靴履き替えてるのどっちがコストかからないと思う?
以前は自分もまったく同じようなこと、現実にしてた。「今」やってないのは、もらいものの靴があるからですね。
その時は別に話題にすることもなかったので、理論を思いついてはいたものの言語化してなかったんだけど、ブクマに書いた通りで…
これ実は「百発百中の砲1門は百発1中の砲百門に匹敵」という東郷平八郎の言葉を井上成美が批判した話だよね
字数の関係でリンクなど張れなかったので補足
ja.wikisource.org
……而シテ武力ナル物ハ艦船兵器等ノミニアラズシテ、之ヲ活用スル無形ノ實力ニアリ、百發百中ノ一砲能ク百發一中ノ敵砲百門ニ對抗シ得ルヲ覺ラバ、我等軍人ハ主トシテ武力ヲ形而上ニ求メザルベカラズ。
それに対して
半人前の武官教員になった彼は、兵学校の教室で平泉史学と皇国史観の批判をした。
日本の歴史を、ああいふ神話から始めるのはまちがひであって、
考古学を基礎にした自由な研究が進まなくては駄目なんだと話すと、
(略)
ある日、井上校長が突然彼の教室へ入って来て、空いた席に坐り、三十分ばかり授業参観をして行った。
校長の前だけ取繕ふのがいやで、護はいつも通りの講義を続けたが、
翌日史学科の科長に「校長から御注意が届いてゐる」と言われて、ギクリとなった。
それはしかし、護教官の講述のテンポが速すぎるといふ注意で、皇国史観については言及が無かった。
そのうち彼は、この学校に学問上の自由が存外温存されてゐるのを感じ始めた。
(略)
二期の物理学教官清野節男少尉は、教官昼食会の席上、井上から雑談風に、「百発百中の砲一門は百発一中の敵砲百門に対抗し得るといふ東郷元帥の言葉を、一つ数学的に証明して見給へ」
と言はれた。確率論からすると、あの命題は誤りでありまして、数学上の証明は出来ません。
正しくないといふ証明ならできますが、さう答えたら、井上がにやッとして頷いた。
実際に向き合って戦うとなると、さらに明確で
東郷平八郎:百発百中の砲一門は,百発一中の砲百門に匹敵する.
井上成美:百発百中の砲一門と百発一中の砲百門が撃ち合ったら,相手には百発一中の砲九十九門が残る.
plaza.rakuten.co.jp
というね…
「10万円の靴1足を10年」と「1980円の靴20足を半年ごとに交換し10年」の比較は、これに近いであろう。
ただ、「世のなかの評価」もある。
「ほかのことでもおりない。明日はわれらの初陣ういじんじゃほどに、なんぞはなばなしい手柄をしてみたい。ついてはお身さまの猩々緋と唐冠の兜を借かしてたもらぬか。あの服折と兜とを着て、敵の眼をおどろかしてみとうござる」
「ハハハハ念もないことじゃ」新兵衛は高らかに笑った。新兵衛は、相手の子供らしい無邪気な功名心をこころよく受け入れることができた。
「が、申しておく、あの服折や兜は、申さば中村新兵衛の形じゃわ。そなたが、あの品々を身に着けるうえは、われらほどの肝魂きもたまを持たいではかなわぬことぞ」と言いながら、新兵衛はまた高らかに笑った。そのあくる日、摂津平野の一角で、松山勢は、大和の筒井順慶の兵と鎬しのぎをけずった…(後略)
自分は少なくとも、新品の状態だったら全然見分けられない自信があるけど(笑)、そういうのが好きな人や接客商売は腕時計や靴を見て「こいつ金持ち!こいつ貧乏人ーーー」と脳内で仕分けし、態度扱いを変えるとも聴く。この話って逆に「なんだ、接客のプロも靴や腕時計さえ変えれば本当の社会的地位や年収を見分けられないのかよ。実にチョロいな」って話になる気もするんだけど、どうでしょうか。
それに、場所によっては金持ちに見られるとお高いワインや「絶対確実な投資話」をしつこく勧められる気もするので、まあ擬装用のアイテムとして安物靴も高級靴も悪くない、という話かも