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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

とある国の、とあるお話(朝日新聞)

とある国の、現在の状況。

・少し前、経済危機で当時の与党が批判を受け、選挙で改憲を掲げた右派政権が成立。議会の三分の二を超える圧勝。
・「強さ」を全面に出した政策に、後ろ盾の大国との関係がぎくしゃくしてきた。
・それでも高い支持率を維持している。
・与党より、さらに右の主張をする政党が第三党に躍進、外から過激な主張をする。
・それらの勢力がほのめかすのは、過去の歴史に際し「わが国も悪かったが、わが国以上の悪者がいる。我々はしてやられた被害者」という史観
・「若者は、自国を悪者に描く歴史はもう聞きたくないと思っている…そとから干渉を受けているという思いが、こうした史観を広げている」

という、ハンガリーのお話でした

もとはこの記事です。まさに必読記事といえましょう。(要登録)

(世界発2014)「ハンガリーは被害者」に反発 「ナチスに占領された」記念碑計画 - 朝日新聞デジタル
(http://www.asahi.com)
http://t.asahi.com/eb36

ハンガリーは「1944年から1990年まで主権を喪失していた」と定義されている。つまり「ナチスドイツ〜ソビエト連邦が占領していた」

2年施行の新憲法は前文で、ドイツによる占領の日から社会主義崩壊後に初の総選挙が行われた1990年5月まで「ハンガリーは主権を失っていた」と規定する。一部の歴史家らは、今もこの前文を「『世界大戦で負けたのも、社会主義で自由が制限されたのも、みな外国のせいだ』と言うに等しい」と批判する。

 ドイツの占領とソ連の影響下にあった戦後の社会主義時代を「二つの占領」とする史観は、オルバン氏の持論だ。最初に政権についた2000年代初め、オルバン氏は二つの時代を展示する「恐怖の館」博物館を建設した。シュミット・マリア館長は「ハンガリーホロコーストの責任はあるが、それを負うべきは占領に協力した者たちだけ」と話す。

この史観は興味深い、というか相当に正統性のある議論であると思われる。

「民主主義陣営vsファシズム陣営」という言い方を中国やロシア、アメリカも含めて維持されているが、民主主義陣営にスターリン毛沢東蒋介石がいる・・・というのは「戦争の時の同盟は、綺麗にイデオロギーが共通するものじゃない」ということではある。
新日本の世代抗争だって、長州力と2歳しか違わない藤原嘉明や、一回り以上若い武藤敬司がナウリーダー側だったではないか(笑)。

第二次世界大戦が仮に自由主義陣営vsファシズム陣営で、前者が正義だったとしても、その帰結として生まれた「ヤルタ体制」は不正義の仕組みだったのではないか?

という理屈はその後の冷戦体制を考えればある意味アメリカも乗っからざるを得ない史観である。

http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2005/05/post_16d4.html
【リガ=菱沼隆雄】ブッシュ大統領は7日、リガ市内で演説し、第2次世界大戦末期の1945年に米英ソの3首脳が戦後の世界統治について協議したヤルタ会談での合意について、38年に英独間で結ばれた「ミュンヘン協定」などの「不正な伝統を引いている」として批判した。
 ブッシュ大統領ヤルタ会談の合意は、ドイツによるポーランド侵攻を招き第2次大戦の引き金を引いたとされるミュンヘン協定や、独ソ間の「モロトフ・リッベントロップ秘密議定書」の延長にあるものとして批判。「中東欧の人々を(共産体制下の)囚(とら)われの身とした歴史上最大の誤りとして記憶されなければならない」と述べた。
 また、「こうした行為が安定の名のもとに自由を犠牲にし、欧州大陸を分断し不安定にした」

ただ、そこから
「東欧諸国は戦後、『スターリンのくびき』によって”占領”されていた。」
「主権すらなく、1990年に社会主義体制が打倒され、やっと主権を回復した」
と、ハンガリーが自己認定しているというのは面白い話である。ある意味、「主権」というのは一種の神学的なものであり、あるといえばあるし、ないといえばないものだから、なのかもしれない。
ハンガリー右派政権が「主権回復式典」を大々的に開催してればさらにおもしろいのだが(笑)

名言採録

この記事を受けて、別の記者(編集委員)がつぶやいた感想。

https://twitter.com/Yoshioka_keiko/status/448481387222286336
吉岡桂子 ‏@Yoshioka_keiko 9時間
「記念碑がたつたび誰かが喜び、誰かが怒る」。

喜田ウィーン支局長の記事。興味深い(世界発2014「ハンガリーは被害者」に反発 「ナチスに占領された」記念碑計画 - 朝日新聞デジタル (http://www.asahi.com ) http://t.asahi.com/eb36

のちにこうつぶやいた吉岡氏が、書いた記者から直接聞いたところによると、
https://twitter.com/Yoshioka_keiko/status/449911201061806081
「ぼろぼろの作業着をきた庭師のおじさんがさらりと言った」、いわゆる「無名人名語録」だったんだとか。

騒ぎは、政府が1月に突然、広場にナチス・ドイツによる占領から70年を記念する碑を建てると発表したときから始まった。

 ドイツが同じ枢軸国のハンガリーを占領したのは、戦況が悪化した1944年3月19日。同年5〜7月、43万7千人のユダヤハンガリー人がアウシュビッツ強制収容所に移送され、ほとんどが犠牲になった。

 記念碑はハンガリーを象徴する天使にドイツのタカが飛びかかるデザインで高さ7メートル。「悪のドイツ」が「無垢(むく)なハンガリー」を襲う図案に、ユダヤ系団体は猛然と反発した
(略)
 ドイツがハンガリーを占領したのは、同国がひそかに連合国との休戦を模索したからだ。ただ、歴史家のウングバーリ・クリスティアン氏(44)は「占領後もほとんどの閣僚がそのまま残り、ドイツの要請を上回る規模でユダヤ人を死のキャンプに送った」とする。

 クーミン官房副長官「政府がホロコーストの責任を否定したことは一度もない。記念碑はユダヤ系住民を含め占領のすべての犠牲者を悼むためだ」と説明する。

 しかし、若手のユダヤ教指導者ケベシュ・シュロモー氏は「記念碑から伝わるのは『ハンガリーも悪かったが、もっと悪い国があった』というメッセージだ」と憤る。