おっと、イベント告知をしようと思ったら満員御礼の札止めとのこと。
http://za.polepoletimes.jp/news/2014/01/2014327-.html
ウィキペディアの「添田唖蝉坊」
唖蝉坊が最初に書いたといわれているものは、「壇ノ浦」(愉快節)、「白虎隊」(欣舞節)、「西洋熱」(愉快節)などで、1892年(明治25年)の作である。これ以降、「まっくろけ節」、「ノンキ節」、「ゲンコツ節」、「チャクライ節」、「新法界節」、「新トンヤレ節」と続く。1930年(昭和5年)に「生活戦線異状あり」で引退するまでに182曲を残したという。
(略)
1960年代以降、高石ともや、高田渡、加川良ら日本のフォークシンガーが好んで彼の作品を唄い、日本のフォークソングの原形として広まった…(略)
1990年代に入り、ロック・バンド「ソウル・フラワー・ユニオン」のチンドン・スタイルの別動隊「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」が、唖蝉坊の『ラッパ節』『むらさき節』『ああわからない』などをレパートリーにし・・・」
へえ、いま、彼の歌を好きで知ってるのは軍歌や戦前史がらみの少数派と思ってたわ。
「182曲」と書かれているが、そのリストとかはだれか作っているだろうか。(ないと182曲とわからないはずだが)
youtubeにもいくつかある
が、21世紀の歌姫こと初音ミク女史は添田唖蝉坊を歌っているかな?
検索した限りでは、有名どころのラッパ節も含め無かった(笑)
記録メモ 以前「うちに添田唖蝉坊が居候していた」というおじいさんがテレビに出てた。
これは別にどうということもないが記録として。
1991年11月の朝まで生テレビ「日米開戦50年! 太平洋戦争と東京裁判」だと記憶しているのだが、ここに視聴者代表でスタジオ観覧していたおじいさんにマイクが向けられてた。
そしたら、そのおじいさんは
「うちは開戦の日、おやじが『天皇がくるった!! 東京は焼け野原になる。俺は商売があるからすぐには無理だが、じきに商売をたたんで、田舎に田畑買って百姓をやるんだ。それしか生き残る道はねえ』と俺たちに言ってね。そのとき居候してたのが、明治大正昭和の圓歌の大親分、添田唖蝉坊で…」
こういう話を歯切れのいい江戸弁で語っていたのだ。
おもしろかったのだが、司会がそこで話をとめさせた(笑)。
もうそれから四半世紀近く、語ったおじいさんも鬼籍に入ったかもしれない。
ただ、あの歯切れのいい開戦秘話はなんか覚えている。「天皇が狂った!」というストレートな物言いと合わせてね。
こう書いておけば、だれかが調べることもあるだろう。
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/miryoku/hassyou/azenbou.html
この年譜にも書かれていないが、ということは彼は昭和16年12月8日時点、東京で商売をやっている誰かの家に居候してた、ということになる。
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人は本来自由なものとして生まれた。だが、至る所で鎖につながれている。
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幕末明治を駆け抜けた志士・壮士たちの自由希求の歌声。
自由民権運動や社会主義・労働運動を鼓舞した民衆歌、近代流行歌の夜明けをここに聴く。
2013年、邦楽番外地のCD第一集「添田唖蝉坊・知道を演歌する」を出版した土取利行、引き続き明治大正演歌の源流に向かい録音した本アルバムは文明開化の幕開けを象徴する「トンヤレ節」に始まり、混沌とした幕藩政治状況に立ち向かう自由民権の代弁者としての壮士演歌集団、青年倶楽部やその後の堺利彦の平民社運動の勇士たちの歌声を紹介する邦楽番外地のCD第二集。