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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

政治家の世襲問題、解決するには…アーキテクチャ論は面白い

「未来の御用学者筆頭」山口二郎の正論

「政治家の世襲」問題は、あまり興味がない。「その風潮は望ましくないが、法的には制限してはいけない。政党が『わが党は世襲をさせない』というのは自由。決着は選挙で、二世三世議員が落ちるか受かるか、世襲禁止の『党の姿勢』を打ち出した党とそうでない党のどちらが勝つかで示せばいい」
という、自分で言っちゃうのもなんだが、否定しようもないがつまらない正論しか考えてないからだ。


実は、もうすぐ日本第一の御用学者になりそうな北海道大の山口二郎教授(※もちろん逆説表現。ずっと野党の民主党支持者として政策・基本思想を提言し、ようやくそれが報われそうだ、という意味。でも実際、政権入りとかするかもなぁ)も小生とほぼ同じような意見を持っているんだとか。
http://uonome.jp/article/yamaguchi/313

・・・選挙に立候補する権利というのは民主主義の基本であり、この問題は原理原則のレベルから十分検討しなければならない。たまたま今、世襲政治家が無能をさらけ出したからといって、制度を変えればすむという話ではない。一時の鬱憤を根本的な制度の変更に飛躍させるのは、日本の政治論議の悪いところである。
 立候補の自由は民主主義にとって不可欠である。一定年齢に達した人間は、誰でも、どこからでも立候補できるという権利は、奪ってはならない。これは、選挙に関するルールの中でも、便宜的に変えられない基本中の基本である。仮に、世襲だからという理由で立候補の自由を制限するという穴を空けたら、その穴は次第に広がる危険性がある。
(略)
立候補の資格を制約できるという議論を始めれば、必ず民主政治は瓦解する。教養がないように見えても、貧しくても、逆に名門の出身でも、すべての人が立候補できるという制度は崩すべきではない。政治家になれるかどうかは、市民が選挙で決めるだけで十分である。世襲政治家を選んだのが民意であれば、それもまた尊重されるべきである。その選択が間違っていたならば、その誤りに有権者が気づいて、次の選挙で選び直すということこそ、この問題の最終的解決である。

そして彼の提言は?

この議論自体は最初に書いたように「正論だが面白くもない、ありふれた議論」のひとことで終わる話で、特に紹介する価値もない。(上杉隆氏の議論は安部晋三とのトラブルゆえか(笑)、こういう視点がやや欠けている気もするが、これも当然織り込んで入るだろう)。

本当に面白いのは、サァこれからだよお客さん。

・・・世襲制限などと大げさなことをいわなくても、無能な世襲政治家を排除することにつながる簡単な制度改革がある。それは、投票用紙を変えることである。日本の場合、投票用紙に候補者の氏名を自筆で書き込むことになっている。しかし、この方式は世界で唯一と言っていいほど特殊な方式である。大半の国は記号式で投票している。日本でも、90年代の選挙制度改革の際に記号式への移行が議論されたことがある。
しかし、この時は現職の政治家たちが反対して、自筆式が維持された。なぜか、理由は簡単である。記号式であれば、有名な現職議員も無名の新人も投票用紙の上では同じ記号に変身してしまう。そうなると、無名の新人を選ぶことに対する有権者心理的な障壁がなくなる有権者は、投票用紙に候補者の氏名を正確に書かなければならないため、どうしても名前の売れた現職議員が有利になる。投票用紙を記号式に変えるだけで、世襲をしにくくできるはずである

まさに「不都合な真実」…事実が正論を超えるとき

いやいや笑った笑った。まじめな議論なんだけど笑った。
あらかじめ言っておくと、わたしは全面的に賛成。投票行動云々より、集計の速さと正確さね。
ずばり言っちゃうと、投票の集計って地方自治体の職員が夜やるわけ。そうすると残業代を払うんだよ。国民の税金で。
集計は早ければ早いほど、機械化されればされるほど、税金の節約になる。
わかっとんのかそのへん、政治家どもは。
それは余談で、本題に戻るけどさ、私は全面的にこの政策を支持しており、民主党政権になったら山口氏が提言してぜひ導入をやってほしいけど、それでも笑っちゃうのはなぜか。

「選挙方式を、候補者の名前を書く形から記号をつける形に変えるだけで結果も大幅に変わる。有権者なんて、その程度の存在だ」というニヒリズムを、、長く改革や政権交代を主張し続けていた政治学者は心に抱いていた、という話がですよ(笑)。

いや、こういうのをニヒリズムといっちゃいけないけどね。
私がこのブログでよく言う「医学的・科学的真実が民主主義などの建前の上に立つ」という面白さを感じた、というべきか。
本当は有権者は、「一人一人がよく考え、良心にしたがってその人なりの最善の判断の上に投票している」はずというのが民主主義の建前。さっきの言葉で言うなら「正論」

しかし「名前を書くか、記号に丸をつけるかの方式の変化で結果は変わる」
というのは圧倒的な現実(だろう)、科学的というか医学的というか、そういうたぐいのものとしておそらく動かしがたい・・・という真実。


この緊張関係を考えるのが、個人的には好きだなあという話でした。
そういえば「名前をかく方式」についての議論は、たしか一度電子投票に関係して聞いたことがあるが「一人一人に名前を書いてもらうからこそ神聖なのだ」的な精神論もあったな。もちろんこういう、政策の枠組みを勝手に神聖視したりする議論を受け入れるつもりはない。

この議論ってアーキテクチャだよね?

あと、私が個人的にすきなのは「人の心構えや精神論でしか解決できないと思っていたことが、あれあれ構造を変えたらそれで解決したよ」という話が好きで、その合わせ技としてこの論文が気に入った。


おおやにき著者の大屋雄裕氏が書いた新書「自由とは何か」に、こういうのを法哲学思想でアーキテクチャというんだといった話があった。

自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅 (ちくま新書)

自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅 (ちくま新書)

ウィキペディアの「アーキテクチャ」

人間の行為を制約したりある方向へ誘導したりするようなウェブサイトやウェブコミュニティの構造、あるいは実際の社会の構造もアーキテクチャと呼ぶ。ローレンス・レッシグは、著書『CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー』において、人間の行動を制約するものとして、法律、規範、市場、アーキテクチャの4つを挙げた。


コレと一緒にするのもどうかと思うが、最近話題になったのがこれ。

銃や刃渡りの大きいナイフなどの凶器は、簡単に凶悪犯罪に結びついてしまいます。

しかしながら包丁は生活必需品なので、銃刀法違反として取り締まるわけにもいきません。

イギリスでは日本のように銃規制されていますが、近年ナイフによって若者が命を落とす事件が相次いでおり、世間を騒がせています。

そんなナイフや包丁の危険を減らすべく、画期的なキッチンナイフが登場しました。
人をさせないナイフ01

それがこちら。キッチンナイフとしての機能を損なわず、なおかつ武器としては役に立たないという仕様になっています。

凶悪犯罪を減らそうというプロジェクトの一環でデザインされたもので、ジョン・コーノック氏により考案されました。

http://labaq.com/archives/51210976.html
(リンク先に新包丁の画像あり)


こんな例もある。賛否はそれぞれ
http://www.yomawari.net/index.php?itemid=145

(河北新報080521朝刊)
特集「不安社会」 
第5部:「管理の影」(2)ベンチの異変/ホームレス排除図る

<次々仕切り設置>
 公園や商店街など都市の公共空間から、寝そべることのできるベンチが次々と姿を消している。ホームレスを排除するためだ。
 仙台市青葉区の青葉通地下道は、噴水を囲む広場の大型ベンチに仕切りがある。昨年5月、関東から仙台にたどり着いた元ホームレスのトシオさん(59)=仮名=は、ゆっくり横になりたいという願いがかなわなかった・・・・・・


故・オーマイニュースでもこの記事(リンクはキャッシュ)
が評判になった。