INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

石田光洋、異国でメレンデスの拳に屈す!DREAMよ全面戦争で報復せよ!

というわけで「世界2位」に躍り出たストライクフォースが、それゆえの風圧や障害にも耐えつつショーを見せた。
http://mmaplanet.jp/archives/968256.html

・・・テイクダウンを切られ、ヒザをボディに受けキャンバスに尻もちをつく。ケージに頭を詰められ、パウンドを受け、追いつめられる石田に、そのままバックに回ったメレンデスは、リアネイキドチョークで仕留めに掛かる。石田の背中が伸び、メレンデスが容赦なくパウンドを落とすと、動きが止まった石田。ここでレフェリーが試合をストップ、メレンデスが石田にリベンジを果たし、暫定王者の防衛に成功した。

この結果を見て、あらためて思ったのは、メレンデスが試合前に言ってた「ファンにとっては試合を見るだけなんだろうけど、別の国で試合するっていうのは時差やらなにやら、見えないハンデがあるもんなんだ」という話ね。当たり前の話なんだが、そりゃそうなんだろうとあらためて思う。オマケに石田光洋は、オファーが直前になってしまい万全とは言いがたかっただろう。直前オファーってのはそれだけでハンデなんだよ、そこのマッチメーカー(元ハッスルゼネラルマネージャー)さんよ。

「うちは平等に、両方の選手にオファーが遅いですから」
そうですか。


ま、なんにせよ、今回DREAMとストライクフォースの間で、でいりが始まりやがった。
提携だ同盟だという話は目でたいのだが、格闘技団体が二つ提携するなら、握手でなく拳をぶち込みあってその関係を築くべきものだ。

広島の喧嘩ゆうたら、取るか、取られたのふたつしかあらせんので、いっぺん後手に回ったら死ぬまで先手は取れんのじゃけい!!

と、「仁義無き戦い」にもある。追悼山城新伍
そういうわけで笹原のおやっさん、ウチの代紋掲げた鉄砲玉が返り討ちになったてんなら、どうでもあっちのタマァとらな、うちがイモひくことになりますけん。メレンデス殺るまで。徹底的にやったらないかんですわ。


宮下あきら風にいえば、
「ふっ、石田などわがDREAMにおいては一番の小物にすぎん」
ってやつですよ。
越中詩郎風に言えば
「やってやるって! こうなりゃDREAMとストライクフォースの全面戦争だって!」
ですよ。



次の刺客は。
本当なら、茨城組の落とし前は茨城組でつけたらんかい、と川尻達也に行かせるところですが、大晦日までの流れを考えるとそうはいかない。
としたら、やっぱりカツノリ・キクノが東洋の神秘、クレッセントキックをあちらのファンに披露するしかない。古いファンが、その三日月蹴りを見たら「ウ〜ン、子供のころにタム・ライスが東洋のカラテマンにトライアングルキック(三角蹴り)でやられるのを見たが、それに勝るとも劣らないデンジャラスな蹴り!!」とうなるだろう。

そのままいっそSFに定着するも可。


ジャンルを背負ったカリスマが(初期に)敗れた後、そのジャンルは生き残れるか?(ジーナ・カラーノvsクリス・サイボーグ)

そのSFのメインは女子のMMAでした。
ジャンルが確立すれば、その中でのカリスマ的な中心人物が敗れるのも逆にひとつの起爆剤になるんだろうけど、この時期にそれが来て大丈夫だろうか。日本で言えば、どんな感じかなぁと思ったら、2000年に桜庭がホイスに、田村がヘンゾに負けていたら、その後2002-2004年ぐらいの日本MMAの最盛期を迎えられたかどうか。案外、影響なく迎えていたかもしれないが。
K-1MAX魔裟斗が最初の大会に敗れても、次の年の大会で勝利し、逆に最初の敗北はいいタメになったが。

石田の今後もなぁ。

下からAランクを狙う選手にはきっちり勝ち、Aランク上位陣には勝てないという「Aランク認定門番」にこのままだとなってしまうかもしれない。だからまぁ、菊野−石田戦は面白い気がするんだが。逆に生き残りをかけてアンドレ・ジダvs石田・・・だと相性の関係で石田が楽勝してしまいそうな気がする。
いっそDEEPに登場したほうがいいのかもしれない。菊野vs石田もDEEPのタイトルマッチで。

ハッスルが企画した「ハッスル・ジハード」の大会名に在日本イスラム組織が反発(simulation fiction)


http://www.kamipro.com/news/?id=1250334571

ハッスルエンターテインメント山口日昇代社長とクォンタムジャンプジャパンの酒井正和社長がリングに上がり、重大発表を行なった。なんと、10月10日に両国国技館『ハッスル・ジハード2009』の開催を発表したのだ。


これを受けての、宗教界の専門業界紙である(特定宗教の機関紙ではない。公称35万部)「宗教タイムス」の記事を読みましたか。
http://www.shukyotimes.com/news/?id=20090816/714

ひとり歩きする「ジハード」の言葉
プロレス団体が、大会名にも使用 
東京ム評議会、指導者が懸念表明


 ・・・「イスラーム教の重要な概念である『ジハード』が、日本の中で誤解されて広まっていることを懸念している」」
 「東京ムスリム評議会」のイスラム法学部門の責任者を務めるムフティー(最高法学者)ナハール・ホッジャ・アリー導師は、宗教タイムスのインタビューに答え、ジハードという言葉が、とくに日本のメディアによって、単純な戦争行為を意味する用語として扱われることに対して異議を申し立てた。「ジハード」は911事件以降、とくにアラブ地域の紛争報道の中で使われ、知名度が高まったが、その一方で、本来の意味から離れた用法や解釈も急増。「大規模で派手な戦い」を表現するため、プロレスの大会名に使われる例も出ており、アリー導師の発言はこれらの風潮に警鐘を鳴らしたものといえそうだ。


東京ムスリム評議会は、イスラム圏から首都圏にやってきて定住しているムスリムと、同じく首都圏の日本人信者の交流・活動の場として2005年に発足したばかりの組織で、日本語で運営していることが特徴。会員は日本人1200人、定住在日ムスリムスンニ派を中心に950人。ヨルダン出身のナハール導師も当初は陶器を扱う貿易業者として来日、来年で滞日30年になり、日本語も不自由なく話せるという。
「評議会は、学問的なアプローチからイスラムを考え、他宗教や日本の習慣を尊重しながら対話していくことを目指しています」とナハール導師。


「ジハード」という用語に関しては、今月15日、テレビ放送など幅広く興行活動をするプロレス団体「ハッスル」が、10月に東京で「ハッスル・ジハード」を開催するとの発表を行った。その他、OLらが男社会の制約を乗り越えて活躍することをジハードになぞらえた小説「女たちのジハード」が1997年にNHKでテレビドラマ化されている。

 これらに対して「そもそも、ジハードとは広い意味があり、日本で知られている概念はその一部であることを知ってほしい」とナハール導師は話す。ジハードは神のために奮闘することすべてであり、むしろ自分の心をよりイスラムの道にかなうものにするため研鑽(けんさん)するという意味であるという。
「山の中の賊は退治しやすいが、心の中の賊は退治しにくいーという言葉は東洋の書物にもあります。それと同じような意味であり、そのごく一部が、外で宗教を脅かす敵との戦争も意味しているだけなのです」(ナハール導師)
戦争のことを「小さきジハード」ともいい、自らを高める「大なるジハード」のほうが大きな意味を持つことは各種のイスラム法解釈でも多数だという。


ナハール導師は、この言葉が日本で、血なまぐさい『戦争』の意味で広まったのは「無意味なテロをジハードであると強弁する、一部の間違ったイスラム解釈があることにも責任がある」ともする一方で、「歴史やイスラームへの理解なしに、プロレスの試合や小説の中で私たちにとって神聖な『ジハード』という言葉を安易に使うことは、異文化間の乖離(かいり)を広げる心配がある」と憂慮する。

同評議会は9月1日に渋谷区で開かれる役員会と、ナハール導師が議長となるシャリーア研究部会でこれらの問題を正式に議題とし、他の組織とも連携して関係団体やメディアへの申し入れも含めた措置を考えたいとしている。


なかなかやっかいな話だなあ、と思いました。


てな、シミュレーションのフィクション小説(タイトルに明記の通り!)を、ハッスルの記者会見記事を読んでつくりました。
東京ムスリム評議会、宗教タイムス、ナハール導師(なんだよ導師とかムフティーって)などはすべて架空の人物・団体であり、以下略。でも、途中途中に本当の話も交えたからあなどれない。



しかし、記者会見記事を読んで、「へえ、このへんの諸問題はちゃんとクリアしているのかね?」と思った一方で「これを過剰に意識するのもおかしな話ではあるよな」とも思わないでもない。
ハッスルは既にハッスル・クリスマスをやっている・・・のはまあ季節の行事だからいいとしても。たとえば「アルマゲドン」といった概念だって、世間一般に広がっていけば、やっぱり「大戦争」「最後の決戦」といった一般的な用法になっていくことがある。
イスラムが、日本の中で知られて、日常に定着していけば、そこの用語や概念が薄まった形で、世間で使われていくこともままあり得ることだ。へんに遠慮して「ジハードって言葉は大戦争っぽくてプロレスの興行にぴったり!だけどなんかヤバそうだから使用遠慮しよう」というのが逆に不自然といえば不自然かもしれない。

「既に専門家と話し合い、問題はないと判断しました」でも「別に深くは考えてないっすけど、文句も批判も上等!この大会名は、付けたいから付けた、それだけ」でも、どっちであっても見守っているぞ。


遠くから。

【参考】http://www.cinematoday.jp/page/N0017167

・・・ミッキー・ローク主演の『レスラー』では、イランの旗でミッキー・ローク演じるプロレスラーの首をしめようとする「ジ・アヤトラー(イスラムシーア派の指導者の尊称)」というレスラーが登場することから、イラン国内では上映禁止となった


ウィキペディアの「他力本願」

他力本願(たりきほんがん)は、本来は仏教用語である下記の「本義」の意味である。しかし誤用によるものと考えられる「転義」の意味も一般化している。
(略)
主に宗教的意味を伴わない文脈で、「ひと任せ」、「他人依存」、「(太陽の働きや雨や風や空気、そのほかの自然の働きなどによる)成り行き任せ」などの意味で使用される(略)
この「転義」による表現を、敬虔な浄土真宗信者(門徒)は嫌悪・忌避する。

抗議に至った事例

1968年には、当時の倉石忠雄農相が日本の軍備に触れ、「今の世界は他力本願では生きていけない」との意味の発言をして浄土真宗各派から抗議されている。

2002年5月、オリンパス光学工業株式会社(現在のオリンパス株式会社)が全国紙に「他力本願から抜け出そう」というコピーで広告を掲載した。それに対し真宗教団連合が「広告の表現は多くの門徒の心を踏みにじる」と抗議をしている。オリンパスは抗議を受けた後に配慮が足りなかった点を謝罪している。(2005年5月28日の朝日新聞による)

有田芳生と日垣隆は「日米密約報道」(70年代)の取材方法に否定的。

18日以降、衆院選候補者でもある有田のブログは更新をストップするだろう。
少し前のエントリから。
http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2009/08/post_96c0.html

・・・・・・読売新聞の取材を受ける。選挙戦に入ってからのプロフィール紹介のため。「最近読んだ本は」と聞かれたので、日垣隆さんの『秘密とウソと報道』(幻冬舎新書)を紹介。とくに沖縄協定にまつわる外務省機密漏洩事件スクープについて、同じことを考えていたことがわかった。あのスクープには取材手法に強い違和感を抱いていたからだ。「週刊新潮」の大誤報の原因など、取材者にはお薦め。

民主党が与党となる政権交替を行ったあと、反発の少ない”変革”の象徴として、沖縄返還核兵器に関する日米の密約を公開することになると思われる。
では、それによって、山崎豊子の話題の小説「運命の人」のモデルともなった毎日新聞の西山記者の名誉回復はなるだろうか。
そこは微妙だ。
有田氏が紹介した本の中で、日垣隆は「わたしは同業者として、彼(西山記者)の行動をまったく評価しない」としている。ほぼ一章を割いて書かれているので、今後議論が盛り上がるであろうこの問題に対して興味のある方は一読の価値がある。

秘密とウソと報道 (幻冬舎新書)

秘密とウソと報道 (幻冬舎新書)

運命の人(一)

運命の人(一)

うなぎはうまい、という話+吉田健一と麻生太郎

朝日新聞天声人語」8月16日
http://www.asahi.com/paper/column.html

・・・▼2度あった土用の丑(うし)の日に、スーパーのかば焼きを食した。まず一匹490円の台湾産、「二の丑」は3倍の値の愛知産。国内の養殖ブランドがおいしいのは当然として、輸入の品もいけた▼食通が舌で書いたうなぎを味読すると、丑の日が何度あっても足りなくなる。作家の吉田健一は白焼きの茶漬けを推した。上等な吸い物のように、魚の味が海苔(のり)と山葵(わさび)に溶け合い、「海とも山とも付かない境地」と記す。天然物だろう▼養殖と天然、実は兄弟姉妹の関係にある。南海で生まれた幼生はふらふらと潮に乗って北上する。ようじほどの稚魚は、沿岸で捕まれば養殖池に送られ、川を上ればやがて天然物と貴ばれる。何年かを生き延びた成魚は産卵のため再び海へ。「海とも山とも付かない」一生である▼うなぎの養殖史は130年になるそうだ。沿岸にやって来る稚魚の量は70年代の1割ほどに減り、卵から育てる「完全養殖」が待たれる。ところが、産卵前後の様子がわからない。産卵場らしいマリアナ諸島沖で親を捕獲したものの、幼生の餌など謎は多い・・・(略)


ところで、この前、丸谷才一のエッセイ集「軽いつづら」(だったと思う)を再読していたら、やっぱり酒だか食い物の話題で上に出てくる吉田健一のことに触れられていた。イラストは和田誠なのだが、これがあーた、和田氏描いた吉田健一氏のイラスト像が、麻生太郎首相にそっくりなんだわ。

いや、言わずと知れた話で、吉田健一はワンマン宰相・吉田茂の息子で、麻生太郎吉田茂の孫だ。
薔薇の木に薔薇の花咲く、で不思議ない話だけど、あまりにも似てたのでネ。同書発行のとき、麻生はまだ政治家としては中堅にもいってなかっただろうから、意識したわけでもない。

吉田健一の写真はあった・・・けど、うーん、和田誠のイラストのほうが両者の共通点がはっきりわかるな。なるほど似顔絵のほうがモンタージュ写真より犯人検挙には有効だ、ってのはこういうことか。

プラネテス・ロックスミス問題について。過剰な「わがまま」は力に通ず

昨日、幸村誠プラネテス」全4巻を再読した。たまたま手元にあったからが理由でもあるが、ホットエントリで関連エントリが話題にあったからも少し理由になる。

プラネテス』のポリティカ その1 - 猿虎日記(さるとらにっき)
http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20060123/p1

プラネテス』のポリティカ その2 - 猿虎日記(さるとらにっき)
http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20090808/p1

プラネテスのポリティカ その3 - 猿虎日記(さるとらにっき)
http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20090814/p1

この中で一番話題の中心になっているのは、同作品の中の技術者・プロジェクトリーダーである「ロックスミス」という男の描写に関する評価だ。読んでもらえれば分かるんだが、作中でロケット計画の推進中、大事故が発生する。
このときの記者会見で、こういうことを言うような人、という造形だ。


一度、このキャラクターが興味深いという話は一回だけかるーくこのブログで触れている。
m-dojo.hatenadiary.com

ロケット打ち上げといえば、「栄光無き天才たち」はもう読んだかね。

また、近未来の宇宙開発をテーマにした「プラネテス」(だったか)には、ある技術者が、死者まで出した実験事故の責任を記者会見で追及されて「貴重なデータが取れましたので、つぎは失敗しません、ご期待ください」と言い放ち、記者を絶句させる場面がある。

【補足】コイツ誰だったっけ、と例の「架空世界の悪党図鑑」http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20041221で探したらウェルナー・ロックスミスという人だ
http://jns.ixla.jp/users/negativehappy367/planetes_002.htm


でまあ、元エントリに対しての意見をまとめようと思ったら、コメント欄およびブックマークにおいて先に言われていることがほとんどで、蛇足になることは承知で言うと、ロックスミスの強烈さは「大義」でもなんでもない「自分の欲望」「エゴイズム」として巨大ロケットの計画を進め、そこに対して微動もしないこと。そしてその自分の欲望、エゴイズムと常識のズレを隠そうともしないことが、少なくとも自分にとっての強烈な印象の源になっている、つうことだ。
類似品を挙げるなら、これも一部はブクマやコメントで既出だが

へうげもの」の千利休であり、
パトレイバー内海課長であり、
また唐沢商会紀田順一郎が描くところの古本マニア、鉄道マニアなど各種コレクターの常軌を逸した情熱である。
コメント欄にもあったように、八百屋お七など、自分と恋人の恋愛を、社会常識や正義・人道に優先させた人も入るかもしれない。


ロックスミスが「我が侭」を行動原理としていることは作中でも、ゴロー(主人公の父)の台詞によって指摘されている。
もし「大義の前に犠牲はやむをえない」的なテーマなら、あの記者会見の時に「本当に犠牲は痛ましい。しかしワレワレの未来のために・・・」というような気宇壮大にして内容空虚な演説をしたほうがテーマとしては素直だし、ついでにロックスミスは”政治家”として優秀である。(というか実際、あんな会見は、この人間が結果的に責任者の地位にとどまり、計画を実現したこととは無関係に”政治”で何もなしえない男であることを証明している)
また、ロックスミスが自分にも責任がある事故で死んだ、優秀な技師と自身について宮沢賢治の「グスコーブドリ」になぞらえられる場面があるんだが、上のURLでは宮沢のグスコーブドリの造形から、「みんなのための自己犠牲」という部分を当てはめようとしている、と批判的に評されている。
だが自分は、作者は結論としてはそれを一回転させているんだと思うんだが。
グスコーブドリは「みんなのために自己犠牲をする」という流れで登場させつつ、グスコーブドリにも殉職技師にもいる妹の存在を媒介にして「大きな大きな、大目標(※それが「我が侭」であろうと、「みんなのための自己犠牲」であろうと!)のある連中は、肉親を含む回りのことなんか、二の次、三の次になってしまう」という、悲しいまでのどうしようもなさ、そしてそれがデタラメな魅力を放つということを描写しているんだと思う。


そもそも宇宙開発や宇宙進出、それこそ現実世界でも山本夏彦が「何用あって月世界へ。月はながめるものである」と一文で評したように、突き詰めるとそれがいいことか悪いことか、何の役に立つのか立たないのかも分からない面がある。
だから、プラネテスでも「なんで俺(と人類)は宇宙へ行くのか。考えに考えたけどよくわかんねー。でもとにかく行っちまおう」的なトートロジー的な話が何度か出てくる。これはそうしないと、そこで話が終わるからでもあるだろうが(笑)、政治的な肯定論ではなく、とにかく冒険やロマンや決断主義的なことでイキオイをつけるしかないからでもあると思う。
ロックスミスの悪魔的な言動も、結局はそういう意味において非政治的な、ロマンチストの妄想であり、だからこそ大きな印象を与えるんだと考える次第である。
そして、「正しい」と「美しい・すごい」はまた別の概念。一致することもあれば一致しないこともある。
ロックスミス的な人物が実際にいたときには排除されるかもしれない・・・というかかなりの確率で排除するだろう。俺も含めて。
だが、SF漫画の登場人物としてはこの上なく「すごい」キャラクターだった。
参考 「美は正義を超えるか?」 
d.hatena.ne.jp


余談

自分はキャラクターやストーリーの中で、自分がどの部分に惹かれるかを”因数分解”する癖があるんだが『「おいおい、ちょっとその価値観は普通の常識とずれてるよ」というのをみんなが平然と『俺(たち)の常識』として展開する、というのがツボであるらしい。
上にも類例を示したが、たとえば「ちびまるこちゃん」で、家族が「コタツから出ないぞ」という常識を共有し、電話がなっても無視しつつけて、切れたら「こんな寒い日に電話なんて非常識な」「(ベルが)20回で切るなんて、たいした用事じゃねえだろう」という、そんなささいなシーンですらも、このロックスミスの「類例」として思い出しました。


※当初の予定にないまま、しかも時間制限がある中で書き始めたエントリーであるため、ちょっと文章(というより構成)の推敲に時間を書けることが出来なかった。
あとで小幅な形だけど、文章を直すかもしれないとあらかじめ言っておきます。