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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

プラネテス・ロックスミス問題について。過剰な「わがまま」は力に通ず

昨日、幸村誠プラネテス」全4巻を再読した。たまたま手元にあったからが理由でもあるが、ホットエントリで関連エントリが話題にあったからも少し理由になる。

プラネテス』のポリティカ その1 - 猿虎日記(さるとらにっき)
http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20060123/p1

プラネテス』のポリティカ その2 - 猿虎日記(さるとらにっき)
http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20090808/p1

プラネテスのポリティカ その3 - 猿虎日記(さるとらにっき)
http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20090814/p1

この中で一番話題の中心になっているのは、同作品の中の技術者・プロジェクトリーダーである「ロックスミス」という男の描写に関する評価だ。読んでもらえれば分かるんだが、作中でロケット計画の推進中、大事故が発生する。
このときの記者会見で、こういうことを言うような人、という造形だ。


一度、このキャラクターが興味深いという話は一回だけかるーくこのブログで触れている。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050226#p2

ロケット打ち上げといえば、「栄光無き天才たち」はもう読んだかね。

また、近未来の宇宙開発をテーマにした「プラネテス」(だったか)には、ある技術者が、死者まで出した実験事故の責任を記者会見で追及されて「貴重なデータが取れましたので、つぎは失敗しません、ご期待ください」と言い放ち、記者を絶句させる場面がある。

【補足】コイツ誰だったっけ、と例の「架空世界の悪党図鑑」http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20041221で探したらウェルナー・ロックスミスという人だ
http://jns.ixla.jp/users/negativehappy367/planetes_002.htm


でまあ、元エントリに対しての意見をまとめようと思ったら、コメント欄およびブックマークにおいて先に言われていることがほとんどで、蛇足になることは承知で言うと、ロックスミスの強烈さは「大義」でもなんでもない「自分の欲望」「エゴイズム」として巨大ロケットの計画を進め、そこに対して微動もしないこと。そしてその自分の欲望、エゴイズムと常識のズレを隠そうともしないことが、少なくとも自分にとっての強烈な印象の源になっている、つうことだ。
類似品を挙げるなら、これも一部はブクマやコメントで既出だが

へうげもの」の千利休であり、
パトレイバー内海課長であり、
また唐沢商会紀田順一郎が描くところの古本マニア、鉄道マニアなど各種コレクターの常軌を逸した情熱である。
コメント欄にもあったように、八百屋お七など、自分と恋人の恋愛を、社会常識や正義・人道に優先させた人も入るかもしれない。


ロックスミスが「我が侭」を行動原理としていることは作中でも、ゴロー(主人公の父)の台詞によって指摘されている。
もし「大義の前に犠牲はやむをえない」的なテーマなら、あの記者会見の時に「本当に犠牲は痛ましい。しかしワレワレの未来のために・・・」というような気宇壮大にして内容空虚な演説をしたほうがテーマとしては素直だし、ついでにロックスミスは”政治家”として優秀である。(というか実際、あんな会見は、この人間が結果的に責任者の地位にとどまり、計画を実現したこととは無関係に”政治”で何もなしえない男であることを証明している)
また、ロックスミスが自分にも責任がある事故で死んだ、優秀な技師と自身について宮沢賢治の「グスコーブドリ」になぞらえられる場面があるんだが、上のURLでは宮沢のグスコーブドリの造形から、「みんなのための自己犠牲」という部分を当てはめようとしている、と批判的に評されている。
だが自分は、作者は結論としてはそれを一回転させているんだと思うんだが。
グスコーブドリは「みんなのために自己犠牲をする」という流れで登場させつつ、グスコーブドリにも殉職技師にもいる妹の存在を媒介にして「大きな大きな、大目標(※それが「我が侭」であろうと、「みんなのための自己犠牲」であろうと!)のある連中は、肉親を含む回りのことなんか、二の次、三の次になってしまう」という、悲しいまでのどうしようもなさ、そしてそれがデタラメな魅力を放つということを描写しているんだと思う。


そもそも宇宙開発や宇宙進出、それこそ現実世界でも山本夏彦が「何用あって月世界へ。月はながめるものである」と一文で評したように、突き詰めるとそれがいいことか悪いことか、何の役に立つのか立たないのかも分からない面がある。
だから、プラネテスでも「なんで俺(と人類)は宇宙へ行くのか。考えに考えたけどよくわかんねー。でもとにかく行っちまおう」的なトートロジー的な話が何度か出てくる。これはそうしないと、そこで話が終わるからでもあるだろうが(笑)、政治的な肯定論ではなく、とにかく冒険やロマンや決断主義的なことでイキオイをつけるしかないからでもあると思う。
ロックスミスの悪魔的な言動も、結局はそういう意味において非政治的な、ロマンチストの妄想であり、だからこそ大きな印象を与えるんだと考える次第である。
そして、「正しい」と「美しい・すごい」はまた別の概念。一致することもあれば一致しないこともある。
ロックスミス的な人物が実際にいたときには排除されるかもしれない・・・というかかなりの確率で排除するだろう。俺も含めて。
だが、SF漫画の登場人物としてはこの上なく「すごい」キャラクターだった。
参考 「美は正義を超えるか?」 http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20071101#p7


プラネテス(1) (モーニング KC)

プラネテス(1) (モーニング KC)

余談

自分はキャラクターやストーリーの中で、自分がどの部分に惹かれるかを”因数分解”する癖があるんだが『「おいおい、ちょっとその価値観は普通の常識とずれてるよ」というのをみんなが平然と『俺(たち)の常識』として展開する、というのがツボであるらしい。
上にも類例を示したが、たとえば「ちびまるこちゃん」で、家族が「コタツから出ないぞ」という常識を共有し、電話がなっても無視しつつけて、切れたら「こんな寒い日に電話なんて非常識な」「(ベルが)20回で切るなんて、たいした用事じゃねえだろう」という、そんなささいなシーンですらも、このロックスミスの「類例」として思い出しました。


※当初の予定にないまま、しかも時間制限がある中で書き始めたエントリーであるため、ちょっと文章(というより構成)の推敲に時間を書けることが出来なかった。
あとで小幅な形だけど、文章を直すかもしれないとあらかじめ言っておきます。