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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

【日曜民俗学】「義理チョコ」の初出、造語者は?/漫画・アニメに登場はいつから?(バレンタイン全体を含めて)情報募集

きのうはバン・アレン帯のお誕生日、あるいは進駐軍のバレンタイン少佐が子供たちにチョコを配った日でしたね。


で、そんなことはどうでもいいんだけど、つらつらとニュースやら記事やらを見て…ふと、思いついたこと。

「義理チョコ」という言葉(概念)の初出、造語者は?

『そういえば「義理チョコ」って言葉、自分の記憶ではそんなに昔から…少なくとも俺が生まれる前からあった言葉じゃないよな。たぶん80年代のどこかぐらいにできた新語の筈だ。今から頑張れば、初出や造語者の特定ができるんじゃないか??』
と…。

上の発想、たぶん感覚的には納得できる人も多いんじゃないかな。
ちなみに、初出探しの初歩の初歩

twitter内の初出探し法 https://togetter.com/li/1084358 
青空文庫内を検索する http://www.aozora.gr.jp/index.html 
国会図書館デジタルコレクションを検索 http://dl.ndl.go.jp/ 
ヤフー知恵袋内検索 https://chiebukuro.yahoo.co.jp/

のうち、青空文庫内には無い(笑)。国会図書館には「平成15年」の記録に存在していた。
まぁ、どっちも意味はないな。
しかし、こっから先はどうしようもない。さてぶっちゃけ、あとはどこのどなたか、「大手新聞の記事データベース」が使用できる方なら、かなりのところまで迫れると思うんです。


あとは…どうしようもなくなったら、「図書館レファレンスサービス」に聞くという手段があるだろうが、近くにそんな大きな図書館もないし、まぁゆるゆると調べていきますよ。
rnavi.ndl.go.jp
www.library.city.chiba.jp

今回は、調べるというより「お題」を出したような気分でして、だれか気が向いたら調べて、結果が出た上でさらに気が向いたら教えてください。

ウィキペディアには「義理チョコ」という項目があり、その項目があるだけで大変に評価されるべきだとは思うけど、好漢惜しむべし、この言葉及び概念の初出や造語者は特定されていない。見つけることが出来れば、ささやかな知の集積となろう。
ja.wikipedia.org


「義理チョコ」或いはバレンタイン全体が、漫画(アニメ)に登場したのはいつから?

これねえ。それこそ60年代後半…はどうだったかな。 あるいは70年代には、たぶん、ゼッタイ出てきたろう。80年代はもう定番だったはずだ。
自分の記憶で書くけど、たしか「うる星やつら」で、サクラ先生が「バレンタインデーとはなんじゃ?」と聞いてきて、諸星あたるが「テレビでめちゃくちゃ宣伝しとるやないか!まんがだってこの時季はバレンタインデーのネタがごろごろしてるのに…」とややメタなことを言い始めたが、サクラ先生が「あいにくテレビやまんがには興味が無くてな!」とかえすという話があったはずだ。


あ、画像見っけた。

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うる星やつら 「バレンタインデーとはなんじゃ」サクラ先生


奇面組」でも、バレンタインデーを「なんだそれは?」と、「とぼけてる」男の子と「素で知らない」男の子両方がいる(奇面組のメンツはもちろん後者)、というギャグがあったような…

ただ「バレンタインという習慣を知らない人がいる」というのも、ひょっとしてギリギリで成立し得るような、そんな時代だったような気もするなあ…このへんになると自分が子どもだったから、わかるようでわからんちん。


藤子・F・不二雄がバレンタインデーをネタにしたのがいつごろだったか、F先生で人生に必要なことを学んだはずの当方も、実はパッとは出てこない。季節ネタを案外大切にされる方だったのだが…いや、手塚治虫だって、バレンタインのネタ、たとえばあれだけの長期連載のブラック・ジャックに出てきたかな?ピノコブラックジャックに手作りのチョコを渡す…みたいな話。あったかもな。
このへん、おかしいな記憶がかなりおんぼろになってきたか……。

そんな漫画の中で「義理チョコ」「本命チョコ」などの言葉が出てきたのはいつごろか。

あんがい、サザエさんフジ三太郎、タンマ君のような新聞・雑誌の時事4コマやショート漫画のほうが早かったりする気がしていやなんだが(笑)、まぁストーリー漫画に限定してね。
さらに予想すれば、ことの性質上、たぶん少女漫画のほうが登場が早いだろうから、いま自分が頭のなかの記憶をふり絞っても、どうしようもない。


ただ、構造上マイナー作品でなくメジャー作品になり、また一作家や担当編集のセンスだけで生まれる漫画ではなく、多くの人のチェック・関門をくぐって登場する「アニメ作品」の場合、エピソードにバレンタインデーが登場した作品で年表などを創れば、ひとつの民俗史になるだろう。


こういう研究には、すでにその結果のみならず、研究手法それ自体が皆のお手本になるような金字塔的な作品がある。
m-dojo.hatenadiary.com
を経由して

katoyuu.hatenablog.jp
katoyuu.hatenablog.jp


記事にも書いたけど、自分も「…という調べ方があるんじゃないか」とだけは思いついたけど、それだけで何もしないうちに、このような金字塔的な研究が生まれてしまっていたのだ。悔しさ半分の一方で「いやあ、誰かが勝手に調べてくれて、自分の興味が満たされるのはラクだなぁ」ともつくづく思ったのだった(笑)


まあ、そんなわけで、皆さん、研究者気質の人は調べるだろうけど、普通の人は、いちいち調べなくてもいいんだ。自分の記憶でいいから「漫画」「アニメ」で、「バレンタインデー」「特に『義理チョコ(という言葉、概念)』」が登場する作品を挙げてください、ということです。コメント欄およびブクマなどで情報募集。


(※ここに「ドラマ」「小説」を加えてもいいのだろうけど、まあ手を広げすぎるのも良くない)


そして…こういうことはさもありなん、と思った。
www.all-nationz.com




※【日曜民俗学】という言葉は一種のメタタグで、この言葉でブログ内検索してもらえれば、似たようなことであーだこーだ考えてる類似記事が読めます。

【重要追記】研究結果が寄せられました


bunshun.jp
 初期のカスタマイズは「シャイ(恥)」な日本人の気質、「ムラ社会」という日本社会の特徴、「返礼品」という日本社会の習慣が反映されている。1970~80年代に登場した「義理チョコ」や「ホワイトデー」がそれだ。

「女から男への、恋の打ち明け」というイベントは浸透しても、国民性はそうそう変化しない。当時の女性たちは現在よりもシャイだったし、過酷なムラ社会に生きていた。

 本命への告白には、気恥ずかしさが伴う。また、学校や会社という小さなムラ社会で、安全・快適に暮らすには、攻撃材料にされないような工夫が必要だった。勇気を出せない同性からの嫉妬、男性の上司や先輩からの羨望を込めた嫌味。ムラ社会で生き延びるには、攻撃対象になってはならない。そこで生まれた工夫が「義理チョコ」である。

「義理チョコ」とはその性格を考えると、本来「筋違いチョコ」とも言うべきものだ。「本来、差し上げる必要はありませんが、そんなあなたから筋違いな責め苦を負わないため」のチョコ。本来何の義理もないが、筋違いな忠義を求める心に火をつけないために必要な処世術アイテムだった。

 1982年12月22日付の日本経済新聞の「ロッテは来年のバレンタインデー向けのチョコレート商戦で(中略)女の子が男の子へ"あいさつ"がわりに気軽にプレゼントするという"義理チョコ"が最大の売れ筋とみた」という記事からも現象に対するメーカーの後追い戦略であることが窺える。

 一方「ホワイトデー」はメーカー主導で展開された。1970年頃から、不二家やエイワといった製菓メーカーがそれぞれ「バレンタインにはお返しを」とキャンディやビスケットなどの販売促進にいそしんだ。直接のきっかけとなったのは福岡の老舗菓子店「石村萬盛堂」だろう。当初は「マシュマロデー」という名前だったというが、この提案は贈り物に対して、「返礼品を渡す」という日本独特の習慣に見事にハマった。最近では、都内の菓子専門店に話を聞くと「バレンタインよりも、ホワイトデーのほうが数が出る」という。




なるほど!サブタイトルだけに限定してもかなりわかるか!

ある棋士の「電線を飛び立つ雀の数を瞬時に数えた」との伝説への一考察

升田幸三は、自分にとっては本物より、それをモデルにした「月下の棋士」の彼…「刈田升三」のほうがなじみ深い。

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月下の棋士升田幸三をモデルにした「刈田升三」


まぁそれはそれとして、将棋業界で長く活動し、彼らの評伝や逸話集などが読まれている大崎善生氏のエッセイから、面白かった部分を引用。

天才か変人か。とにかく棋士は半端じゃない。電線にとまる雀の数を瞬時に当てる、一秒間に一億三手読めるなど伝説は枚挙に暇(いとま)ない。名人たちの奇抜な行動に目をみはり、本を一冊しか読んだことがない専門誌の編集者に打ちのめされる。非凡で強靱な情熱を傾ける人びとを描き出す、笑いと感動の初エッセイ!

ここに「升田幸三伝説」という一篇がある。

羽生・谷川将棋を升田に解説してもらったことがある。よろよろと現れた老升田はバンの前に座り、細かい解説は一切せずに、ぎょろりと目を光らせてこう言い放った。「谷川、羽生 未だなり」

升田には風変わりな特技がいくつかあった。その中の有名なものに、電線に止まったスズメの数を瞬時にして数えるというのがある。本人に言わせれば、風景を写真のように記憶しているのだからそれは雑作もないことです、 ということなのだそうである。
ある後輩棋士と道を歩いている時、升田は電線を指さして言った。
「49羽」
「えっ?」と 後輩が聞くと、怒ったような目で睨みながらもう一度こう言った 。
「49羽じゃ」
これが、升田のスズメ数え伝説の真相だという噂もある。升田が49羽といえば、それに逆らえる者はいない。しかも電線から飛び立ったスズメの数を気にしながら生きている人間なんかそうはいないのだから。
「28羽」と升田はすかさず次の電線を指差す。
「ハハア」とひれ伏す後輩。
升田が28羽といえば28羽。そしてここに一つの伝説が誕生するのである 。


おもしろいね。
偉人の逸話集、伝説物語はたくさんあるけど、そのうちのいくつかは、こういう「自己劇化」のなせるわざであろう。司馬遼太郎も、乃木希典や、あと誰だったかな、そういう、自分で自分を演出するという才能と指向を指摘していた。これは決して悪いことではないし、それによって人の世とは潤いを持つものだ。というか、無名の人間だって、「自分のキャラ」に合わせて、自分はこうふるまわなければならない、ということはあるし、ことによるとそういう傾向は強まっているのかもしれない。





ちなみにこれを書いた大崎善生さんは将棋会館の職員時代、升田の事務写真を撮影することになり、うっかり「5、6枚ほど」と言ってしまったために、シャッター枚数を数えられて「お前11枚も撮ったな」と言われたそうな。
ただ「昔どっかの田舎もんのカメラマンが写真を撮りに来て、バケツ何杯もフラッシュを詰め込んで撮りおる。田舎もんは限度というものを知らないからいけない。それと比べると君なんかいい方じゃ」と寛容だったらしい。
大崎氏は升田が逝去し、雑誌「将棋世界」で追悼号を編むときになって、その「田舎もんのカメラマン」が土門拳であることを知ったのだという。
これはまた、別のリアルな伝説。

鬼の眼 土門拳の仕事

鬼の眼 土門拳の仕事

土門拳 風貌

土門拳 風貌

武の道は険しく、遠い。石井慧を叱った、あの師は今……/石原夜叉坊、崖っぷちUFC戦(WOWOW)




本日UFC 石原夜叉坊、崖っぷちの一戦

全日本プロレス「四天王の時代」を描く本「夜の虹を架ける」

アマゾンの紹介文を、そのまま転載します
こういう例は何度か、見たことがあるけど、紹介文にしては気合と分量がありすぎる(笑)

夜の虹を架ける 四天王プロレス「リングに捧げた過剰な純真」

夜の虹を架ける 四天王プロレス「リングに捧げた過剰な純真」

家族が寝静まった日曜日の深夜。
眠い目をこすりながら、チャンネルを合わせるとテレビ画面に映し出されるあの男たち。
キック、逆水平、エルボー…痛みがダイレクトに伝わる打撃。
パワーボムノド輪落とし、ジャーマン…見ている自分の息が詰まる投げ技。
倒れても倒れても、何度も立ち上がる男たち。
繰り返される2・9の攻防。
頑張る、あきらめない、手を抜かない。
そんな言葉は口にせずとも、そのすべてをリング上で体現する闘い。
最後の力を振り絞って放たれた急角度のスープレックス
3回叩かれるマット。乱打されるゴング。鳴り止まない拍手。
妙に冴えた目のまま、布団にもぐり込む。
明日、僕も頑張ろう。今日よりちょっとだけ。前を向いて――。

 90年代、リングに熱狂を呼び込んだ「四天王プロレス」。
 そこにいた4人の男――三沢光晴川田利明田上明、小橋健太。

 投げっ放しジャーマンやエプロンでの攻防に象徴される激しい闘いは、
多くのファンを魅了し、海外を含めたのちのプロレスシーンにも大きな影響を与えた。
その一方で、2009年6月の三沢の死を境に、「やり過ぎ」だったとする
四天王プロレス批判があがったのは事実だ。
あの時代、闘いの当事者たちはどのような思いを胸にリングに上がり、
そして今、どのように考えているのか。元週刊プロレス全日本番として日々、
王道マットの取材を続け、またジャイアント馬場からの信頼も厚かった「一休」こと市瀬英俊記者が記す、
「明るく、楽しく、激しいプロレス」の真実――。

「投げっ放しジャーマンの受け身なんて、どう考えたって取れるわけがない。
そんなの試合でやらない限り……。誰もそんなケガするようなこと、教えてくれるわけがないし。
そんな受け身、ないからさ。試合が終わって生きていることに感謝っていうぐらい、
ホント、何回もこれ死んだかなと思うことがあったよ」(川田利明
「せっかくプロレスを見に来てもらったんだから、喜んで帰ってもらおうと。
それは常に思ってたよね、プロとして。なーんだ、っていう思いで帰らせるわけにはいかない。
でも、セミの試合がワーッと沸くじゃない。オイオイ、と思ったよ。
どうすっか、やばいなあって」(田上明)「三沢さんとプロレス観について話し合ったことはないですけど、
お互いに覚悟を持って前の試合を乗り越えようとする気持ちがぶつかり合った結果なんですよね。
無謀なことをしようとか、そういうのはまったくなかった」(小橋建太

「日々、何か違う自分を見せていこうというのは三沢さんたちであって、
俺はその場を必死に頑張るだけだから。ああしよう、こうしようではなく頑張ってつなごう、
最後まで残ろう。攻めじゃなくて、受けが俺のスタイルだから」(菊地毅
「カウント2・9の攻防だけが四天王プロレスのように言われますけど、そうじゃないんですよ。
皆さんがテレビで見ていたのはスゴイところばかりですけど、地方の会場ではそうじゃない
細かいところをやってましたから」(秋山準
「思っていた以上に凄かったです。ひとことで言えば、体を張ってるな、と。
怖いぐらいですね。攻めててもね、よくここまで受け切るな、と」(馳浩
「他団体のレスラーからやり過ぎの声が挙がるのだとすれば、それはできないことのジェラシーだよ」(和田京平
内容(「BOOK」データベースより)
痛み、耐える、痛み、倒れる。立ち上がる―“今を生きる覚悟”は死への恐怖をも超えた。放熱ノンフィクション。三沢、川田、田上、小橋。命懸けの日常がそこにあった―元週プロ全日本番が記す「明るく、楽しく、激しいプロレス」の真実。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
市瀬/英俊
1963年、東京都生まれ。千葉大学法経学部卒。ターザン山本編集長時代、『週刊プロレス』で全日本プロレス担当記者を務める。『週刊プロレス』『週刊ベースボール』編集部を経て、現在、フリーのスポーツライターとして活動する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

まだ、物理的に入手していないので書評も何もないのだが
「市瀬英俊が」
「全日四天王プロレスを」
「書いた」


これだけで、この本の意味と価値がわかる。よって紹介する。

「アマゾンの紹介文の分量」に関する過去記事

m-dojo.hatenadiary.com

三沢光晴のリングでの死に際して

m-dojo.hatenadiary.com

番組情報

朝まで生テレビ 9日深夜



アナザーストーリーズ 2/12 ,その翌週も


UFC 2/10

「藤田和日郎先生、このキャラをゲスト出演させていい?」→藤田先生の答えが『そりゃそうだ』だった




そういうわけで
島本和彦に訊いてくれ!!((((;゚Д゚)))))))」でした。

NHKスペシャル 「朝鮮戦争 秘録~知られざる権力者の攻防~」再放送は6日未明



最初の放送の反響まとめ
togetter.com