最初におまけを
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— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) February 7, 2026
日本国憲法第十五条の4 後半部。
……選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
…このネタ、実は何回か既にやってるんです。
民主主義なら、これが当然なんです。選挙人、すなわち、国民国家における国民ですね、これに、社会に対し、歴史に対し、人類に対し、何の責任も負わせないからこそ、民主主義は成立するんです。
そうでなければ、賢者の政治、哲人政治しかありません。
政治を担う賢者は人民に対し、歴史に対し、社会に対し、人類に対し、常に絶対的に無限の責任を負うから哲人政治です。
民主主義はちがう。なぁーんの責任もない。賢者も哲人もへったくれもない。無責任でよろしい、バカ万歳。これが民主主義なんですね。
私が民主主義者・人権思想家に対して抱く根本的な疑問は、憲法を守れと言いながら、歴史への責任とか社会への義務とか人類の使命とか、何故平気で口走るのか、ということです。そんなことを国民に要求するのは、明らかに憲法違反なんです。
この記事に続く。
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憲法第15条と有権者の「無責任」~呉智英「ホントの話」 なぜ憲法はそんな恐ろしいことを言っているのか。逆に、国民一人一人に公的にも私的にも責任を問うたら、もっと恐ろしいことになるからです。政治家が失態を演じるたびに、日本中で何百万件という損害賠償の裁判が起きるでしょう。もちろん、訴訟の相手方は政治家ではなく、その政治家に投票した国民一人一人……刑事事件になるかもしれない。そんな時、もちろん逮捕されるのはその政治家だけでなく、その政治家に投票した何百万人という国民全員…(略)そんな事態になったら、国民的統合が崩れるどころではない。社会そのものが成立しくなる。だから、国民は国家の主権者でありながら主権の行使に責任を負わせるわけにはいかないのです。
近代社会と株式会社の登場
ちょっと憲法から離れてみましょう。
ーロッパでは、二、三百年前までは、借金が返せないと刑務所に入れられました。
法制史学的には「債務拘留」というらしいんですが……現代では、こんなことはありません。たとえ何百億円借金があったとしても、そのために刑務所に入ることはない…しかし、中世までのヨーロッパでは、破産は借金主に責任を取らせる懲罰でした。囚人のように、定められた色の服を着せられて市庁舎の前でさらし者にされたり、鉄の首輪をつけられたりしました。近代社会の経済では、会社が大きな役割を果たしています。(略)…有限会社は、文字通り有限責任が中心になる。株式会社はさらに進んで、出資した株式の分しか責任がない。株券がただの紙切れになるだけで、それを超えて会社の借金を返済する義務はないんです。それ故にこそ安心して誰もが出資し、資本の巨大集中が可能になり、近代資本主義が成立するわけですね。
さて、破産制度にしろ株式会社の出現にしろ、そこには人間は有限責任しか取り得ないんだというペシミズムが流れています。このペシミズムの上に豊かな経済生活が花開いているのです。大いなる逆説です。
(略)
株式会社が起こした公害について、出資者は株券以上の責任は…(後略)
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