投票日前に紹介したかったけど、遅くなってしまった。
ここからの続きでもある。
m-dojo.hatenadiary.com
さて、あらためて。少し前に、ちょっと話題になったこの増田。
■○○に投票した人は責任を取れ、みたいなことを後から言う人 [はてなブックマークで表示]
そういう言葉が投票率を下げているのだと分からんのかね
責められることを恐れて選挙に行かなくなるタイプの人がいるんだ
失敗を恐れて何もしないことが最適解になってる人を選挙に行かせるには
もっと気軽に失敗できる空気を作るしかない
失敗したと思ったら次の選挙で別の候補に入れて、
そうやって世の中は良くなっていくんじゃないの
たとえどんな候補に入れようと選挙に行かないよりはいい
そのためには投票者を責めるべきではない
anond.hatelabo.jp
自分は当時、こうブクマした(このあと、この記事の紹介URLに変更予定)
これについては何度も紹介してるんだが、ブクマでも出ている憲法15条とからめて、呉智英が非常に深くて面白い考察をしてるよ。あとで詳しく紹介しよう
https://b.hatena.ne.jp/entry/4721857576925923266/comment/gryphon
そう、他のブクマにも「憲法第15条」に触れたものがいくつかある。
[B! 選挙] ○○に投票した人は責任を取れ、みたいなことを後から言う人
ただ、憲法を巡る論議や解説でもめったに詳しく語られることは無い「憲法第15条4項」について、長ーく語った珍しい文章がある。
それが呉智英氏が「ホントの話」に収めた「無責任と民主主義の精神」だ。
これを抜粋紹介したい。
……憲法の条文で一番興味深いのは、第十五条です。これは選挙について規定した条文で、制限選挙ではなく普通選挙をするとか、選挙は秘密投票でやるとか、それこそ散文的で実務的なように思えます。しかし、その第四項は注意して読むと、考えようによっては恐ろしいことが書いてあるのだとわかります。
第五条4項 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
秘密投票を規定しただけの条文なんですが、この後半部分、すごいと思いませんか。
(略)…冗談を言っているのではありません。我々が理想だと思ってきた民主主義、日本国憲法に完全とは言えなくてもほぼ十分に結実している民主主義、これがいかに不安定で危ういものかを、憲法は率直に認めているのです。国民主権――これが近代的国民国家の大原理です。ところが、その国民は主権の最も肝要な行使である選挙において、公的にも私的にも何の責任も問われない、一切無責任でよろしい。憲法はそう言っているんです。
なぜ憲法はそんな恐ろしいことを言っているのか。逆に、国民一人一人に公的にも私的にも責任を問うたら、もっと恐ろしいことになるからです。政治家が失態を演じるたびに、日本中で何百万件という損害賠償の裁判が起きるでしょう。もちろん、訴訟の相手方は政治家ではなく、その政治家に投票した国民一人一人……刑事事件になるかもしれない。そんな時、もちろん逮捕されるのはその政治家だけでなく、その政治家に投票した何百万人という国民全員…(略)そんな事態になったら、国民的統合が崩れるどころではない。社会そのものが成立しくなる。だから、国民は国家の主権者でありながら主権の行使に責任を負わせるわけにはいかないのです。
近代社会と株式会社の登場
ちょっと憲法から離れてみましょう。
ーロッパでは、二、三百年前までは、借金が返せないと刑務所に入れられました。
法制史学的には「債務拘留」というらしいんですが……現代では、こんなことはありません。たとえ何百億円借金があったとしても、そのために刑務所に入ることはない…しかし、中世までのヨーロッパでは、破産は借金主に責任を取らせる懲罰でした。囚人のように、定められた色の服を着せられて市庁舎の前でさらし者にされたり、鉄の首輪をつけられたりしました。近代社会の経済では、会社が大きな役割を果たしています。(略)…有限会社は、文字通り有限責任が中心になる。株式会社はさらに進んで、出資した株式の分しか責任がない。株券がただの紙切れになるだけで、それを超えて会社の借金を返済する義務はないんです。それ故にこそ安心して誰もが出資し、資本の巨大集中が可能になり、近代資本主義が成立するわけですね。
さて、破産制度にしろ株式会社の出現にしろ、そこには人間は有限責任しか取り得ないんだというペシミズムが流れています。このペシミズムの上に豊かな経済生活が花開いているのです。大いなる逆説です。
(略)
株式会社が起こした公害について、出資者は株券以上の責任はない。公害が発覚するまで、その株券保有によってどれほど儲けていようと、何の責任もないのです。こうなると……(略)公害会社は破産させ、債務者は公害被害者への賠償金の全額支払いを終えるまで首に鉄の輪をつけ、街の中でさらし者にする。こうした方がいいように思えてきます。しかし、その債務者というのは、たまたま一時期チッソの株券を証券会社で買って持っていた単なる市民でもあるのです。
相互補完のペシミズムとオプティミズム
株式会社と選挙はよく似ています。誰もが参加できる開かれた民主主義的な制度でである。株式化された資本も一票の投票も、ともにそれだけでは小さなものだけれども、結集することによって大きな力を発揮する。これも民主主義そのものです。そして、無責任を前提としなけれは成立し得ない制度であることも、この二つはよく似ています。
民主主義は……人間に全幅の信頼を置く明るい思想だと、私たちは何となく信じています。……(略)暗いカーテンを開けば、そこには理性と自由意志と責任能力を備えた人間が顕現われる、というオプティミズムです…しかし……そのオプティミズムを成立させるには、人間には責任能力なとありはしないんだ、というペシミズムが必要である。まり、この二つはお互いに成立の根拠となっているわけですね。(後略)