いかがでしたか?
読んでいただいてありがとうございました、のこの記事。
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何が読まれるかわかったもんじゃねー、というのは毎回のことで、いまさらコントロールしようがねぇことは長年の経験で解ってる。
ただまぁ、こんなに読まれるなら、これを詳しく紹介したかった、ってのはあるんです。それがこの部分。
河野太郎は禅の「円相」、あるいはそれのパロディである仙厓和尚の「一円相画賛」を気取ってるのかと思われるが、まあただの逃げだろうな(笑)
円相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
20代目柴田勘十郎画。2000年ごろ
円相(えんそう)は、禅における書画のひとつで、図形の丸(円形)を一筆で描いたもの。「一円相(いちえんそう)」「円相図(えんそうず)」などとも呼ばれる。悟りや真理、仏性、宇宙全体などを円形で象徴的に表現したものとされるが、その解釈は見る人に任される。
また、円窓と書いて「己の心をうつす窓」という意味で用いられることもある。 臨済宗の位牌や塔婆の1番上に書かれることが多い。
また始まりも終わりもなく角に引っ掛かる事もない円の流れ続ける動きは、仏教が教える捕らわれのない心、執着から解放された心を表わしている。
ja.wikipedia.org
まずもって、河野太郎が本当にそういう意味で書いたのか、この丸が「円相」かってのはわからんのだけど、……賢明なるはてな読者の皆さんほかは、アレがおそらく円相であろうとは一見してわかるじゃん(これ大前提ね)、
1:ストレートに「ああ、円相か、なるほど了解」と思うのか
それとも、
たぶん字が間違いなく下手である(他の実例多数)河野太郎のそれを
2:「『ごまかし』だろうけど、ほほう洒落た誤魔化し方、逃げ方だな」とにやりとして、好印象を持つのか
3:「『ごまかし』であり、姑息、卑怯にすぎるわ!」と悪印象を持つのか
どれなんですかね?というのも、書いてる筆者は河野太郎も福島瑞穂も鼻たれ孺子、顔じゃねぇんだっ、ってぐらいの悪筆である、そもそも(笑)
河野太郎のあの揮毫を見て 1、もしくは2 であると思ってくれる人が結構な割合でいるなら、喜んでパクろうと思う(爆笑)。……で、どうなんですかね??
いや、これけっこう切実なんだけど、その話がメインじゃない。この円相から発展した、というかセルフパロディ的な、こういう作品がある、という話を・・・・・・これはもう、実物を見てもらうのみ。
天下の出光ミュージアム収蔵品。(ほかのとこにもあるかしらん)
一円相画賛 (いちえんそうがさん)
仙厓(1750 - 1837)
江戸時代
紙本墨画・墨書
26.0×42.0cm丸い円を描くことは円満な悟りの境地の表明であるとして、古来より禅僧の間で好んで描かれてきました。しかし、「これを茶菓子だと思って食べよ」という賛文からは、大切な円相図をいとも簡単に捨て去ってしまうおうとする仙厓の態度を読み取ることができます。禅においては常により高い悟りの境地を求め続けるべきであり、画賛の完成は、さらに深い悟りの追求へのスタートでもあるのです。本図は、禅僧・仙厓の真摯な求道精神を示しています。
idemitsu-museum.or.jp
いかがでしたか?
いや、まさにほんとに、皆さんはこの作品をみてどうお感じですか。
高畑勲が、これについて少し触れたりしているな
purplepig01.blog.fc2.com
そもそも禅宗というのが老荘思想の影響をたぶんに受けた、逆説、皮肉、あるいは冷笑の要素を抜きにはできないもので、これも「ほほう」と思うか「ふざけるな」と思うか、受け取り次第。
あるいは名人が三度「はてな」と首をひねり、千金の値がつくかもしれないな。
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個人的には、著作権フリーになっている(当たり前だ)これで、Tシャツやハンカチを作って売りたいくらい大好きなんだけどね。
そしてこの作品、往年の名作初動漫画「とめはねっ!」のおそらく2巻20話?で紹介されているんだが、
何しろ今回、前の記事があんなにバズるとは思わなかったので、あの作品から画像を採取しそこねた。実家にあるんだよあの本。
こんなに読まれるならこの話と仙厓和尚の話をそもそも記事内に盛り込み、「とめはねっ!」の画像も用意していたんだがな。
機会があったら、画像をあらためて再録して、この記事に追加で引用しましょう。
ちなみにドラマにもなったが、いまDVDとか売ったりサブスクにあるのかな。NHKオンデマンドでもないのかな。…検索したらなかった。
あと余談ですが、河合克敏先生、まだ再始動はなさそうでしょうか?ご近況が知りたいところ。
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余談 筆に「狸の毛」が使われてることは、昔から弄られてる。
ここに書いちゃえ、引用しちゃえ
狸(たぬき)の毛は筆の材料に用いられてきた。人をたぶらかす、という古くからの語り伝えを織り交ぜた都々逸がある。〈筆の先での約束ァおよし 筆は狸の毛でござる…〉。江戸の昔、男女が変わらぬ思慕を誓い合った「起請文きしょうもん」のことだろう。真心あっての約束だよ、と
◆東京電力の経営陣にも味わってほしい文句である。6~9か月後には放射性物質の漏出を封じ、避難区域を解除する――原発事故を収束させる「工程表」が筆先の約束で終わっては困る
◆20キロ圏内はきょうから、許可なしには立ち入り禁止となる。自宅にいるだけで罰金もしくは拘留という異常な環境は、明確なゴールがあって初めて耐え忍べるものだろう
◆6~9か月が過ぎたとき、「不測の事態により遺憾ながら…」などと言い訳をし、「想定外」の一語で約束を反古ほごにするような狸の筆先のたぶらかしは、万々が一にもあってはならない
◆“まゆつば”とは、狐狸こりに化かされないおまじないとして、眉に唾を付けたことに由来するという。震災前は「安全神話」に裏切られ、震災後は「工程表」に裏切られることになれば、唾も涙も涸かれ果てる。
(2011年4月22日01時23分 読売新聞「編集手帳」)