朝日新聞デジタルには「コメントプラス」というサービスがあり、著名人が記事に対してコメントをつける。会員はそれを読める…というものだ。
こんな一覧もある。
www.asahi.com
これまで読めなかったこれをいま、少し読めるので、遡って読んでいるが、2021年のこんな記事に、津田大介氏がコメントを寄せている。
古ーい話題で今さら書いてもしょうがない気もするが、一応メモがわりに
河野太郎氏「堂々とブロックします」 ネット番組で宣言
2021年9月18日 21時16分
私は堂々とブロックします――。自民党総裁選に立候補した河野太郎行革担当相は18日夜、インターネットの動画中継サイト「ニコニコ生放送」に出演し、こう宣言した。その理由として、「誹謗(ひぼう)中傷や罵詈(ばり)雑言をおっしゃるのは勝手ですけれども、それを人に見せるのを強制するのは、相手が芸能人であれ、政治家であれ、誰であれ、できないんだろうと思います」と説明した。
(略)…河野氏は240万を超すツイッターのフォロワー数を誇るが、この機能を多用することから、ネット上で「ブロック太郎」とも呼ばれている。
河野氏は「私がブロックしないと、私のフォロワーが誹謗中傷のリプ(リプライ)を読まなければいけない。みんなが楽しくやろうと思っている時に、そんなものを私のフォロワーに読ませる必要はない」と(後略)
これへの、津田氏のコメント。分割しながら思うことを述べたい。
津田大介(ジャーナリスト)
2021年9月18日23時23分 投稿
【解説】河野さんはツイッターの使い方と仕様を勘違いされているようです。「私がブロックしないと、私のフォロワーが誹謗中傷のリプ(リプライ)を読まなければいけない。みんなが楽しくやろうと思っている時に、そんなものを私のフォロワーに読ませる必要はない」とおっしゃっていますが、ツイッターの仕様上、自分の投稿に不快なリプライがあった際にそのユーザーをブロックをしても、投稿そのものが削除されるわけではありません。それぞれのユーザーのタイムラインに投稿されるコメントが、擬似的にツリー状に表示されるだけに過ぎないため、河野さんがいくら不快なリプをブロックしても、河野さんのフォロワーには河野さんの投稿にぶら下がる不快なコメントが表示されてしまうのです。すなわち「自分のフォロワーに不快な投稿を見せたくない」という目的を、ご自身が投稿したユーザーをブロックすることでは達成できないのです。
「ツイッターの仕様上、自分の投稿に不快なリプライがあった際にそのユーザーをブロックをしても、投稿そのものが削除されるわけではありません」
「いくら不快なリプをブロックしても、河野さんのフォロワーには河野さんの投稿にぶら下がる不快なコメントが表示されてしまう」
「自分のフォロワーに不快な投稿を見せたくない」という目的を、ご自身が投稿したユーザーをブロックすることでは達成できない
これは端的に、津田氏が間違っているというか考えが及んでいないのである。
そのコメントそのものを削除や非表示にできないのは事実。だが、ブロックを行えば、それを「書いた人」は『以後』、相手の投稿を読めないしリプできない、残念ながら。
ゆえにその人からの「不快(※これは主観)なコメント」は『その後』連続して行われなくなる。それによって「読ませる必要はない」という目標は達成できる。
これはその後、後援会場での罵声に喩えているが、その喩えが「ブーメラン」になるだろう。罵声を叫んだ人間をつまみ出したとしても、最初の罵声は発せられた以上、消せはしない。つまみ出すのは「その後」の罵声の続きをシャットアウトするため。
この時点で、津田氏のコメントの指摘はITジャーナリストにしてはぞんざいすぎる。朝日新聞デジタルの読者の大半はわからないだろうと踏んでいる、としたら正しいかもだけど(笑)
。
ちなみに。
逆にいえばツイッター社が途中からこのように変えたクソ仕様のせいで誹謗中傷コメントが減らず、多くの炎上や分断を招いている。このことは広く一般には知られていないため、メディアもツイッター社に対してこの仕様を変えるつもりはないのか批判的に質問していただきたいですね。
そう、津田氏は自分のツイートに「異論反論」(誹謗中傷とは言わない。津田氏が嫌うのは「異論」「反論」だ。そう判断し得る)がかかれることに以前から苛立ってて、初期twitterならそんな仕様はなかったのに!と懐かしんでいるんだよな。これ、以前も気づいて指摘したけど、またやってる(・∀・)ニヤニヤ、 な感じでした。
Facebookやブログのコメント欄のようにリプライもスレッド表示するなら、攻撃的あるいは不快なリプを付けられた側がそのツイートを「削除」する権限を付けるべきです。Facebookやブログ、Instagramのコメント欄は付けられた側コメントを削除管理できるので。見せ方同じなのに権限が違う。#Twitter2018 https://t.co/PN8Mvunj9s
— 津田大介 (@tsuda) 2017年12月22日
元々ツイッターはスレッドの仕組みを持っておらずそれが結果的に炎上抑止効果を生んでたんですね。しかし収益不足に悩むツイッターは途中からFB風のスレッドを強引に導入したのですが、元々その想定で作ってなかったので炎上加速装置になった。つまり同社がイズムを捨てたが故の悲劇なんですよこれは。 https://t.co/YN23shikKL
— 津田大介 (@tsuda) 2017年12月23日
限られた信頼できる知人とつながることを前提としたフェイスブックのコメント欄は、自らの後援会や国政報告会で支持者向けにスピーチするようなものです。そもそも公開設定にしない限り、自分自身が承認した人にしか投稿は見られませんから。
これに対してツイッターは誰が聞いているかわからず、批判的な人からヤジを飛ばされることもある街頭演説のようなものです。自らの後援会や国政報告会でクソリプ(罵声)を飛ばしてくるような人がいたら、その人がその場から排除されるのは当然ですが、誰でも足を止めて聞くことができる街頭演説に対してヤジを飛ばした人を暴力的に排除することはできません
(略)
河野さんがツイッターでブロックしまくっているのは、街頭演説で少しでも異論やヤジを飛ばす人がいたら、演説を聞けないようにする対応に等しい
これもぜんぜん違うだろうよ。
フェイスブックで承認する人間への「信頼」って、意見に異論をまったく唱えないイエスマン集めるって事かいな。
多くのひとは読んで情報を取得するに値する人間のフェイスブック記事を読んでいるので、それが賛同してるか反対してるかは全く別っしょ。むしろ批判するため、批判コメントするためにフェイスブック申請をする人がいたっていっこうにかまわないと思うよ。
後援会や国政報告会の罵声を排除できるのは、そこに施設管理権があってそれを行使する範囲内の話だし、そもそも罵声でなくても、大きな声でスピーチ当事者以外の人間が発声すること自体が基本的に妨害になり得るからだ。フェイスブックには「コメント欄」があるわけでね。国政報告会で言えば会場アンケートの紙に自由な意見をかくようなもんだ。
フェイスブックでもtwitterでもインスタグラムでも、基本的には同じことで、フェイスブックは国政報告会で排除可、twitterは「街頭演説」だから排除はできない、って変な理屈だ。
そもそも、自分で「投稿そのものが削除されるわけではありません」というのを冒頭の河野批判に持ってきといて、それは矛盾だろうさ。もしそうなら、ブロックしたってヤジは飛ばせる、ということになるわけで。
…ワクチン担当大臣のように発信する情報が極めて公共性の高い立場に就かれている際に、ツイッターだけで独占的に情報発信を行う…省庁のウェブサイトに掲載されている情報は国民の(というかブロッキングをしていない国の世界中の)誰もが見られる公共の財産…ツイッターで「大臣としての情報」を発信されてしまうと、公共性が高い情報であるにも関わらずそれにアクセスできない……大臣としてツイッターで情報発信をされたいのであれば、ユーザーをブロックするべきではないし、ブロックをしたいのなら「大臣」としての職務に関係しない、個人的な情報だけをツイッターで流す。このどちらかを選ぶ必要がある
これについては本来メインの議論で、自分の意見はこの時に書き尽くしている。
m-dojo.hatenadiary.com
・村の公立掲示板があって、いろんな公告や公報が掲載されている。そこに、川野次郎村長が「3期目を目指し出馬を決意!!どうかわたくしに清き一票を!!」とかのポスター載せてたら、「公私混同」。
・だけど逆に、川野次郎村長が自宅前のに大きな私的掲示板をつくってて、そこに「私に清き一票を!」「25日に報告集会を開催します」とか書いていた。ただ、村長就任後は村長として得た情報の中で、「夏祭りは延期です」など知らせたい行政情報もどんどん盛り込んだ。この場合はいわば「私公混同」になる。果たしてそれは問題か?
という点。この点については、下の部分もいっさいやるな、という厳格論もわからないじゃない。
だけどな、ついでにいうけど、津田大介氏が一時期就任していた「あいちトリエンナーレ芸術監督」は国務大臣とイコールとは言わんが、公的な資金も得た、公的な存在でもあったことは否定できんでしょう。
津田大介氏は、津田大介アカウントから発信する情報で、あいちトリエンナーレ芸術監督としてと、ITジャーナリストだったかアクティビストだったか運動家だったか(曖昧)、そのへんの「として」を使い分けてましたかねぇ?
津田大介氏もまた河野太郎に負けず劣らず恣意的に、別に誹謗中傷するでない、批判的ながら丁寧な指摘、批評、批判のアカウントに対してブロックしまくってたじゃないすか(笑)。
「私はきっちり、あいちトリエンナーレ芸術監督就任時代はブロックを解除してました、なぜなら自分の批判者にもあいちトリエンナーレという公的な催しの情報は発信しなければならなかったからです」とでも言える振る舞いならよかった、というか説得力があったんだけど、そうじゃなかったよね…という話で、このメモ的な覚書はおしまい。
さすがに話題がふるすぎたか。
まあたまたま見たのだから、勘弁しておくれ。
後で使うための原文倉庫
「自分のフォロワーに不快な投稿を見せたくない」という目的を、ご自身が投稿したユーザーをブロックすることでは達成できないのです。
これがブログやフェイスブックのコメント欄であれば話は別です。ブログやフェイスブックのコメント欄は、管理権が自分にあるため、自分で不快な投稿を削除したり、ユーザーをブロックすれば、そこにアクセスしてきた人に不快な投稿を見せなくすることができます。しかし、(繰り返しになりますが)ツイッターはあくまで「それぞれのタイムラインに投稿された投稿(ツイート)を擬似的にブログやフェイスブックのコメント欄のように見せている」に過ぎないため、他人の投稿を「削除」できないのです。逆にいえばツイッター社が途中からこのように変えたクソ仕様のせいで誹謗中傷コメントが減らず、多くの炎上や分断を招いている。このことは広く一般には知られていないため、メディアもツイッター社に対してこの仕様を変えるつもりはないのか批判的に質問していただきたいですね。