そういうわけで、表題にうたったように、あの時から計算すると「はじめての」沖縄全戦没者追悼式、であります。
過去のリンク集と記事を、少し固有名詞を変えて再掲載する
過去(昨年)の記事。
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だいたい過去の記事には書いてるんだけど、抜粋とおさらいね。
(略)……単純に安倍晋三の業績や実績、あるいは人格……まあそれを言うよりは「『国民的合意』が国葬に達しない」とかへちまとか、そういう基準だったら、沖縄慰霊の日は比べるまでもない。こちらのほうに弔意を示すのは圧倒的な「国民的・県民的合意」がありましょう。
それに弔意を示さないのは反日だっ。ちがうか。だから弔意の強制ではない??
だが…【弔意を 行政が 示す のは、「内心の自由」に反する】、という論の組み立てしちゃったら、それは成り立たないのよ。
箇条書き
・2022年の故安倍晋三国葬において黙祷などが呼び掛けられ、行政機関で実施されたことへの反対議論があった。
・これが「黙祷の呼び掛けや行政機関での実施そのものは『内心の自由』を侵害する『弔意の強制』ではない」との前提の上で……
・「安倍晋三氏への弔意は、国民の呼び掛けや行政機関での実施に値しない/だが沖縄の軍民の犠牲者への黙祷呼び掛けなどは、国民と県民大多数が合意し、実施するに値する」という個別評価に基づく反対・賛成なら、別になあんの問題もないのよ。
(もうひとつ追加すると「条例や法律があればいい。沖縄県は条例があるから認めるが、安倍国葬や終戦記念日の追悼は閣議決定だから認めない」という論者はセーフ)
・そうではなく【弔意を行政が示すこと、呼び掛けることそれ自体が「内心の自由」に反する】との立場に立って反対論を語った人は、6.23の沖縄慰霊の日の、県の振る舞いに対して、どう考え、何を表明するでしょうか……
ちなみに余談だが、国葬を思い出したところでこちらにもリンクを張っておく。ブタギエヨッ。
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