ともに、昨年の記事。
76回目の終戦記念日を迎え、甲子園にサイレンが鳴り響いた。
正午となった第1試合の5回裏、ノースアジア大明桜の攻撃が始まる前に試合を一時中断。ベンチの選手はベンチ前に整列し、審判は一塁側ベンチ横の通路前に整列。グラウンドの選手たちはポジションで脱帽して1分間、戦没者追悼のための黙とうが行われた。
聖地から、戦争の犠牲者に祈りをささげた。甲子園で終戦の日の黙とうは、63年の第45回全国選手権大会から行われている。
76回目の終戦記念日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれた。天皇、皇后両陛下や戦没者遺族ら185人が参列し、日中戦争と第二次世界大戦で犠牲になった約310万人を悼んだ。(略)
天皇陛下は正午に黙とうをささげ、約2分間にわたり追悼のおことばを述べた。先の大戦に関連し、昨年に続き「深い反省の上に立って」との表現を用いて「再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」と不戦の決意を表明した。
はい、15日なので、以前書いた記事のおさらい。
「行政の弔意強制は内心の自由に反する」話、9月27日(安倍国葬)前の8月6、9、15日に問題と直面するのでは
これが、単純に安倍晋三の業績や実績、あるいは人格……まあそれを言うよりは「『国民的合意』が国葬に達しない」とかへちまとか、そういう基準だったら、両原爆の日や終戦の日は比べるまでもない。こちらのほうに弔意を示すのは圧倒的な「国民的合意」がありましょう。
それに弔意を示さないのは反日だっ。ちがうか。
だが…【弔意を 行政が 示す のは、「内心の自由」に反する】、という論の組み立てしちゃったら、それは成り立たないのよ。
(略)
弔意を行政として示すこと自体が「内心の自由」に反する…ということだったら、行政機関がサイレンを鳴らしたり、そもそも式典をすることが内心の自由に抵触するのではないでしょうか。
甲子園大会は一応、民間企業の主催ということになってるのだっけ?正確には民間企業の某社と、公益財団法人日本高等学校野球連盟の共催か。
ただ、「主催は民間企業であるから、自由に主催者の意思として参加者に「弔意を強制」しています、それがなにか?それがいやな球児や高校は、この大会から出てけっ」とは言えまい、その企業のスタンス的に(笑)
さすれば、特に今年は…
・正午にサイレンおよび「黙祷」の号令の下、黙祷の儀式を行う正午の対戦チーム2高校と、関係者、球場の観客は、『弔意の強制』をされているのだろうか?
・それとも、みなが自発的に、自主的に弔意を示していたりなんかで、「強制」ではないのか?
・そもそもサイレンや号令のような、弔意を示しましょうという行動を主催者がその場で行うこと自体が「弔意を強制」することになるのか?そうではないのか?
・甲子園は民間企業主催だからゆるされるとしたら、日本武道館の戦没者追悼式典(費用は税金、法令根拠は…よくしらない)における黙祷その他は許されるのか?
そんな疑問と、自分なりの回答を頭に描きつつ、その光景をご覧ください。
ブクマを受けて少し追記。 本日が「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であることについて
以前の同趣旨記事に反応が無かったので今回もブクマはないと気楽にかいてたら反響あった、ありがとうございます
[B! 戦争] 終戦記念日。「弔意の強制」概念を念頭に、甲子園の黙祷を見よう。 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
で、そこに複数あった「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と定めているから、アベのそれとは違う(大意)、という議論ですが…※その後、消えたブクマコメントもありました
でも、これも「閣議決定」ですね、故安倍晋三氏の国争議、いや国葬儀と同様に。
https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000002h59g-att/2r9852000002h5ax.pdf
「戦没者を追悼し平和を祈念する日」について
昭和57年4月13日
閣 議 決 定1 趣 旨
先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」を設ける。
2 期 日
毎年8月15日とする。
3 行 事
政府は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に、昭和38年以降毎年実施している全国戦没者追悼式を別紙のとおり引き続き実施する。
別紙
全国戦没者追悼式の実施について
1 全国戦没者追悼式は、天皇皇后両陛下の御臨席を仰いで、毎年8月15日、日本武道館において実施する。
2 本式典における戦没者の範囲及び式典の形式は、昭和56年の式典と同様とする。
3 本式典には、全国から遺族代表を国費により参列させる。
4 式典当日は、官衙(が)等国立の施設には半期(※原文ママ)を掲げることとし、地方公共団体等に対しても同様の措置をとるよう勧奨するとともに、本式典中の一定時刻において、全国民が一斉に黙とうをするよう勧奨する
ワンモアリピート。
「4 式典当日は、官衙(が)等国立の施設には半期(※原文ママ)を掲げることとし、地方公共団体等に対しても同様の措置をとるよう勧奨するとともに、本式典中の一定時刻において、全国民が一斉に黙とうをするよう勧奨する」
どうみても「弔意の強制」です、ありがとうございました…になるかならぬか。
式典に関して「そこに行く人は何のために行っているんだ」(≒参加する時点で同意がある、という意味かと思う)という話もあったが、まず参加は、式次第の儀式に全部賛同し従う、という意味となるのか。
なるとしても、それなら安倍氏の葬儀も同様の議論が成り立つ、と。
また半旗・黙祷の勧奨は…
というか、「安倍の国争議、いや国葬儀(ギャグ使い回し)は、国会での議論と決定なしで定めるからいかんのだ」、
これはまた別方向の議論・反対論としてはじゅうぶん成立するんだけど、「弔意の強制は憲法違反」的な主張とは、あまり両立しがたいと思う。なぜならその場合「そう国会で定めることが『弔意の強制』だ」となるのではないでしょうか。
同趣旨のツイートあり
安倍さんの国葬について法的根拠がないということを問題にする方がいます。主要野党の国会議員もこれを問題視しており、閣議決定ではおよそ法的に不十分であると言うのです。
— くるくる🐰 (@_crr_) 2022年8月16日
では、彼らは昨日の政府主催の全国戦没者追悼式の法的根拠をどう理解した上で参加されていたのか。たいへん興味があります。
主要野党の議員が言う話が正しいとすれば、おそらく全国戦没者追悼式についても閣議決定以外に開催の根拠となる法的根拠が存在するのでしょう(ないけど)。
— くるくる🐰 (@_crr_) 2022年8月16日
いったいどのような理解に基づいて参加なさっていたのか国会議員の方から話を聞いてみたいです。
全国戦没者追悼式においても、政府は国会や裁判所などの国家機関のほか、自治体や民間団体に対しても半旗や黙祷の協力を依頼しています。
— くるくる🐰 (@_crr_) 2022年8月16日
これは国葬批判をする方の文脈で言えば内心の自由の侵害の問題を想起させるものですが、これも閣議決定以外の法的根拠があってやっている話ではありません。
私自身は国葬に関する議論当初から法的根拠の不存在を理由とする反対論は「筋が悪い」と考えてきました。しかしながら私のような考え方はどちらかというと少数なようで、政治家の一部や一定の世論はこれに一応の理があると考えるようです。
— くるくる🐰 (@_crr_) 2022年8月16日
とすれば、尚更追悼式についても一家言お持ちなのでしょう。