実施前の社説も、目に付く限り含めて。
(社説)安倍氏「国葬」 分断深めた首相の独断
2022年9月28日 5時00分
本来なら、選挙中に凶弾に倒れた元首相を静かに追悼する場とすべきところを、最後まで賛否両論が渦巻く中で挙行した。社会の分断を深め、この国の民主主義に禍根を残したというほかない。異例の「国葬」を決断した岸田首相の責任は、厳しく問われ続けねばならない。
国内外から4千人以上が参列して、安倍元首相の国葬が営まれた。一般向けの献花台には、早朝から多くの人が列をつくった。一方、反対する集会やデモ行進も各地で行われた。
首相経験者の葬儀は、内閣と自民党の合同葬が定着しており、約5年の長期政権を担った中曽根元首相もそうだった。同じ形式だったら、世論の反発はここまで強くなかったかもしれないが、首相は法的根拠があいまいで、戦後は吉田茂の1例しかない国葬を選んだ。
戦前の「国葬令」では、「国家に偉勲ある者」が、天皇の思(おぼ)し召(め)しである「特旨」によって国葬の対象となった。天皇主権から国民主権に代わった戦後の民主主義の下で、国葬を行おうというのに、国民の代表である国会の理解を得る努力なしに、首相は国葬を独断した。
安倍氏が憲政史上最長の8年8カ月、首相の座にあったのは事実だが、その業績への賛否は分かれ、評価は定まっていない。強引な国会運営や説明責任の軽視、森友・加計・桜を見る会などの「負の遺産」もある。
政権基盤の強化に向け、安倍氏を支持してきた党内外の保守派へのアピールを狙い、国葬に違和感を持つ世論の存在に思いが至らなかったとすれば、首相による国葬の「私物化」と評されても仕方あるまい。
首相は追悼の辞で、安保・外交分野を中心に安倍政権の業績をたたえ、集団的自衛権の一部行使に道を開いた安保法制や特定秘密保護法の制定などを挙げた。しかし、これらは、強い反対論があるなか、数の力で押し切って成立させたものだ。国葬が安倍政権に対する評価を定め、自由な論評を封じることがあってはならないことを、改めて確認したい。
国葬への反対は時がたつほど強まった。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民党政治家との関係が次々と明らかになり、その要として安倍氏の役割に焦点があたったことが影響したに違いない。
数々の疑問や懸念を抱えた国民を置き去りにしたまま、国葬は行われ、社会の分断にとどまらず、国民と政治との溝を広げることになった。その距離を縮め、信頼回復の先頭に立つのは、国葬を決めた首相以外にない。週明けに始まる臨時国会への対応が試金石となる。
https://www.asahi.com/articles/DA3S15429404.html
読売新聞
安倍元首相国葬 功績たたえ多くの人が悼んだ
2022/09/28 05:00
この記事をスクラップする
◆外交遺産を戦略的に活用したい◆
海外から多くの要人が来日し、安倍晋三元首相を悼んでくれたのは、日本人にとってありがたいことではないか。改めて哀悼の意を表したい。
7月に銃撃されて死去した安倍氏の国葬が、東京・日本武道館で行われ、国内外から参列した4200人が献花した。
このうち海外からは、国際機関を含む210超の代表団から700人が出席した。
日本が世界第3位の経済大国であることに加え、安倍氏が首相時代、「地球儀を 俯瞰ふかん する外交」と称して80か国・地域を訪ね、良好な関係を築いたことが多数の参列につながったのだろう。
◆日本の存在感を高めた
国葬会場の近くに設けられた一般用の献花台にも、多くの人が弔問に訪れた。憲政史上最長の8年8か月間、首相の重責を担った人が、突然の蛮行で亡くなった衝撃の大きさを物語っている。
安倍氏は、2012年末に首相に返り咲いて以降、「アベノミクス」を旗印に経済再生に取り組んだ。混迷していた政治を安定させた功績は大きい。
国際社会で日本の存在感を高めたことも特筆に値する。
国際情勢の変動期を迎え、集団的自衛権の限定的な行使容認に道を開いた。安倍氏が掲げた「自由で開かれたインド太平洋」の構想は、欧米各国に浸透している。
政府は、こうした外交の「遺産」を活用し、日本の国際的な地位をさらに高める必要がある。
岸田首相は、国葬に参列した30か国以上の首脳級らと「弔問外交」に臨んだ。米国のハリス副大統領には安倍氏の外交路線を引き継ぐ考えを伝え、ハリス氏も、インド太平洋構想の重要性を唱えた。
ロシアはウクライナを侵略し、中国は台湾を威嚇し続けている。安倍政権時代に比べ、国際情勢は一段と悪化している。
国際秩序をどう回復し、世界の平和と安定に貢献していくか。岸田首相は、米欧などと協調し、これまで以上に戦略的な外交を展開することが欠かせない。
首相経験者の国葬は戦後、1967年の吉田茂元首相だけだった。75年に佐藤栄作元首相が死去した際には、内閣と自民党、国民有志による「国民葬」が行われた。近年は、政府と自民党が費用を折半する「合同葬」が主流だ。
◆内心の自由とは別問題
様々な追悼形式がある中、岸田首相が、国外からの弔意に礼節をもって応えようと安倍氏の葬儀を国葬としたことは理解できる。
立憲民主党や共産党は、国葬について「内心の自由を侵す。憲法違反だ」と批判した。だが、国葬への賛否も、弔意の表明も自由に行われたではないか。誰の内心の自由が侵されたと言うのか。
野党は「安倍氏の政治的評価が定まっていない」と主張するが、どんな歴史的人物でも評価に異論を唱える人がいる。時間をかければ定まるものでもない。
初めから「国葬反対」の前提に立って無理な論点を持ち出し、反対論を盛り上げようという野党の姿勢は理解に苦しむ。遺族への配慮も欠いていよう。
一方で、政府の運び方にも不十分な点があった。国葬を55年ぶりに実施するからには、政府は早い段階で国会で説明するなど、策を尽くすべきだった。
参院選直後の臨時国会で審議しなかったことが、説明不十分という印象を与えたのではないか。
岸田首相が「国葬は国民の権利を制約するものではないため、行政権の範囲で実施できる」と国会で説明したのは、国葬の閣議決定から1か月半後だ。
国民民主党の玉木代表は、各党と党首会談を開くよう促していたが、首相は応じなかった。
一部の野党は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と安倍氏ら自民党との関わりを、国葬反対論に結びつけた。
◆警備の体制も問われた
旧統一教会の問題は、国葬とは別に、活動の実態解明を進めるべきだ。反社会的な活動が続いているなら、具体的な対応策を考えねばならない。与野党が協力し、国会に調査会を設ける手もある。
国葬では、警察の威信も問われた。安倍氏を警護できず、命を守ることができなかった失態を踏まえ、最大級の態勢で警備に臨んだ。警視庁は全国からの応援を含め2万人を動員し、会場周辺の不審物の確認にも全力を挙げた。
式典は大きな混乱なく終了した。今回の警備体制を改めて検証し、来年5月に広島市で開かれる先進7か国首脳会議(G7サミット)に生かしてほしい。
https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20220927-OYT1T50231/
あす安倍氏「国葬」 首相の浅慮が不信広げた
注目の連載
オピニオン
朝刊政治面
毎日新聞 2022/9/26 東京朝刊 English version 844文字
安倍晋三元首相の「国葬」があす行われる。日を追うごとに反対論が広がる異様な状況下での実施となる。銃撃事件の衝撃が冷めやらぬ中、岸田文雄首相は国会に諮ることなく閣議決定した。民主政治の手続きを欠いた対応が、国民の不信を招く結果となった。
安倍氏をなぜ国葬とするのか。最大の疑問は直前になっても解消されていない。
そもそも、明確な基準や法的根拠がないまま、政治家の国葬を実施することには問題が多い。
首相は「時の政府が総合的に判断するのが、あるべき姿だ」と強調した。これでは、恣意(しい)的な運用がまかり通ってしまう。
戦後に首相経験者の国葬が行われたのは、1967年の吉田茂元首相だけだ。その際も内閣の一存で決めたことが問題となった。
80年の大平正芳元首相以降は、政府と自民党が費用を折半する「合同葬」が主流となった。野党の理解を得る「政治の知恵」だったが、首相はその慣例をないがしろにした。安倍氏を支持する保守層に配慮して拙速に決めたのだとすれば、浅慮と言うほかない。
反対論が強まったのは、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と安倍氏の密接な関わりが明らかになったことも一因だ。そうした人物を国葬とすることは、教団と「関係を絶つ」と宣言した自民の方針と矛盾する。
首相は国葬とした理由と経緯を「丁寧に説明する」と言いながら、その責任を果たしていない。決定から1カ月半もたって行われた国会質疑でも、従来の説明を繰り返すだけだった。
毎日新聞の最近の世論調査で、「反対」は62%に上り、「賛成」は27%にとどまった。国会質疑後に反対が増えたのは、首相が説明するほど疑問や矛盾が浮き彫りになったからではないか。
野党第1党の立憲民主党は執行役員が欠席を決め、自民の閣僚経験者にも出席を見合わせる動きが出ている。国葬が国民の分断を深めている形だ。
世論に配慮して政府は各自治体などに弔意の協力を求めず、もはや国葬とは名ばかりだ。葬儀の形式にこだわり、追悼する環境を損なった首相の責任は重い。
安倍元首相の「国葬」 合意なき追悼の重い教訓
オピニオン
朝刊政治面
毎日新聞 2022/9/28 東京朝刊 English version 1611文字
参院選の遊説中に銃撃され亡くなった安倍晋三元首相の「国葬」が、厳戒下で営まれた。首相経験者としては戦後2例目となり、1967年の吉田茂元首相以来55年ぶりである。
三権の長や海外の要人ら4000人以上が参列し、会場外の献花台には長い列ができた。岸田文雄首相は弔辞で、「開かれた国際秩序の維持増進に、世界の誰より力を尽くした」と功績をたたえた。
凶弾に倒れた故人を悼む機会を設けること自体には、異論は少ないだろう。
しかし、国葬反対の声は日を追うごとに高まり、毎日新聞の直近の世論調査では約6割に上った。一部の野党幹部が参列せず、反対集会も開かれた。
分断招いた強引な手法
岸田首相は当初「国全体で弔意を示す」と説明したが、幅広い国民の合意は得られず、かえって分断を招いた。その責任は、国葬という形式にこだわり、強引に進めた首相自身にある。
そもそも政治家の国葬には、明確な基準や法的根拠がない。そうであれば、主権者である国民を代表する国会が、決定手続きに関与することが不可欠だったはずだ。
だが、首相は「暴力に屈せず、民主主義を守る」と言いながら、国会に諮らず、閣議決定だけで実施を決めた。議会制民主主義のルールを軽視し、行政権を乱用したと言われても仕方がない。
国葬には約16億6000万円の国費がかかり、国会の議決を経ない予備費からも支出される。
「安倍氏をなぜ国葬とするのか」という根本的な疑問は、最後まで解消されなかった。
歴代最長の通算8年8カ月間、首相を務めた安倍氏だが、退陣してまだ2年で、歴史的な評価は定まっていない。森友・加計学園や「桜を見る会」などの問題も未解明のままだ。
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との深い関わりが発覚したことが、反対論に拍車をかけた。自民党議員と教団の重要な接点となっていた疑いが浮上している。
ところが岸田首相は、安倍氏が死去したことを理由に調査を拒んでいる。閣僚や自民党議員に対する調査も不十分だ。疑念にふたをしようとする姿勢に、国民の不信が深まった。
批判の高まりを受け、「弔意を強制するものではない」と首相は繰り返した。自治体や教育委員会などに対する弔意表明の協力要請も見送った。
無理を通そうとした結果、国葬色は薄れて、名ばかりのものとなった。
実施決定から約1カ月半後に、ようやく開かれた衆参両院の閉会中審査は、わずか計3時間にとどまった。首相の答弁は説得力に欠けた。
国葬を強行した手法は、首相が掲げる「聞く力」や「丁寧な説明」とは程遠い。かつて安倍・菅両内閣が独断で物事を決め、異論に耳を傾けなかったことに対する反省はうかがえない。
前例にしてはならない
一連の経緯から浮かび上がったのは、政治家の国葬は、価値観が多様化する現代になじまないということだ。戦前・戦中には、皇族だけでなく、軍功があった人物も国葬とされ、国威発揚の手段に使われた。その反省から、旧国葬令は敗戦直後に廃止された。
吉田元首相の国葬の際にも、基準の曖昧さや法的根拠の欠如が問題となった。
このため75年の佐藤栄作元首相の葬儀は、内閣・自民党・国民有志の「国民葬」として行われた。80年の大平正芳元首相以降、内閣と自民党による「合同葬」が主流となってきた。
国民の理解を得て、静かに故人を送る環境をどう整えるのか。半世紀以上にわたり、首相経験者の国葬が行われなかったのは、対立や混乱を避けるための政治的な知恵だった。
にもかかわらず岸田首相は、国葬の実施について「時の政府が総合的に判断するのが、あるべき姿だ」と強弁した。それでは、恣意(しい)的に運用される恐れがあり、特定の政治家への弔意を国民に強いることにもつながりかねない。
そうした事情への配慮を欠いたことが、追悼の環境を損ない、分断を深めてしまった。前例とすることがあってはならない。
今回の国葬の重い教訓である。
https://mainichi.jp/articles/20220928/ddm/005/070/119000c
<社説>安倍元首相きょう国葬 静かな追悼阻んだ独断
2022年9月27日 07時59分
故安倍晋三元首相の国葬がきょう、東京・日本武道館で営まれ、国内外から約四千三百人の参列が予定されている。
安倍氏は首相を憲政史上最長となる通算八年八カ月務め、今年七月、民主主義の根幹である選挙の遊説中に凶弾に倒れた。
政策や政治姿勢には賛否両論があるにせよ、安倍氏を政府や自民党が関与して悼むことに大きな異論はなかったはずだ。
しかし、野党第一党の立憲民主党役員らが欠席し、武道館周辺や全国各地で国葬に反対するデモも予定される。とても故人を静かに送る環境とは言えまい。
そうした状況を招いたのは岸田文雄首相が独断で決めた「国葬」という形式にほかならない。
首相は安倍氏の死去十四日後の七月二十二日、国葬実施を閣議決定した。自民党保守派への配慮もあり、手厚く弔いたいという判断だが、法的根拠を欠いていた。
政府が国葬の法的根拠に挙げる内閣府設置法は、国の儀式に関する事務を内閣府が担当すると定めるに過ぎない。同法を根拠に国の儀式としての国葬を、政府の一存で営む裁量権まで与えられていると解釈するには無理がある。
◆決定手続きにずさんさ
戦前戦中に国葬を行う根拠となっていた国葬令は敗戦後の一九四七年に失効し、その後、国葬を定義した法令は存在しない。
首相は当初、国葬を「故人に対する敬意と弔意を『国全体』として表す国の公式行事」と位置付けていたが、国民の反対が強まると「国全体」の表現は消え、国民への弔意表明の要請も見送った。
国を挙げた追悼が難しい状況にもかかわらず、国葬として実施する意味があるのだろうか。
政府が国葬と決めたから国葬として行うというなら、国家の名の下で安倍氏を顕彰しようという思惑が際立つだけだ。これでは、いくら弔意を強制しないとしても国民の反発を招くのは当然だ。
国葬実施の決定に至る手順もずさんだった。
国として故人を悼むなら、国権の最高機関であり、国民の代表で構成する国会の関与が不可欠のはずだが、首相は実施も予算も国会に諮らなかった。法的根拠のない国の儀式を行政権の行使として行うこと自体が乱暴極まりない。
首相が衆参両院の閉会中審査に出席して説明に応じたのは国葬閣議決定の一カ月半後。しかも従来の説明を繰り返すにとどまり、逆に反対が強まった。国民の理解を得られないまま国葬を当初の予定通り営むことが妥当なのか。
六七年、吉田茂元首相の国葬が行われた。戦後唯一の前例だ。当時の佐藤栄作首相は国葬に反対する野党第一党、社会党の説得を衆院副議長に非公式に依頼。社会党はこれを前例としないことを条件に委員長代理が出席に応じた。
七五年に佐藤氏が死去した際、当時の三木武夫首相は法的根拠の乏しさや野党の反対を考慮して国葬を見送り、内閣、自民党、国民有志による「国民葬」とした経緯があり、八〇年、在職中に亡くなった大平正芳首相以降、首相経験者の公的葬儀は内閣・自民党合同葬の形式がほぼ定着している。
◆合同葬の慣例をも破る
今年一月に亡くなった海部俊樹元首相の葬儀が「公費を使う合同葬などは辞退する」との遺族からの申し出で近親者のみで執り行われたように、内閣と政党による合同葬にも明確な法的根拠や基準はなく、税金支出や弔意要請の是非という問題もあるが、安倍氏の国葬ほど大きな反対はなかった。
岸田首相は歴代政権が積み上げた慣例を破り、首相経験者の公葬を政治問題化したことになる。
安倍氏の死去後、自民党と旧統一教会(世界平和統一家庭連合)との深い関係が明らかになったことも国葬反対が強まった要因だ。森友・加計学園や桜を見る会を巡る問題への批判もやまず、歴史的評価の定まっていない首相経験者の国葬を行う危うさを示す。
立憲民主党の支持母体の一つである連合の芳野友子会長は出席を「苦渋の判断」と述べた。招待者に出欠の決断を迫り、その理由を説明せざるを得ないような賛否渦巻く国葬が、故人を悼む儀式にふさわしいとはとても思えない。
首相は国葬を巡り「国の行事を考える際に役立てられるようしっかり検証する」と言明した。首相経験者らにはどんな公葬がふさわしいのか。今回の教訓を踏まえ、一定の基準や国会関与の手続きを定めておくことも検討に値する。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/204943
<社説>「安倍政治」検証は続く 分断の国葬を終えて
2022年9月28日 07時06分
故安倍晋三元首相の国葬がきのう東京・日本武道館で行われた、代表撮影。故人への敬意と弔意を表す国の公式行事として国葬が行われたとしても、国葬実施により国民は分断され、安倍氏の歴史的評価も定まったわけではない。「安倍政治」の検証作業は私たち自身が続ける必要がある。
安倍氏は二〇一二年十二月の衆院選で首相に復帰し、二〇年九月に体調不良を理由に内閣総辞職した。第一次内閣の一年間と合わせると通算八年八カ月、首相の座にあったことになる。この間、私たちの暮らしや、社会や政治はよくなったのだろうか。
まず検証すべきは大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略という「三本の矢」からなる安倍氏の経済政策「アベノミクス」の功罪だ。
第二次内閣発足間もない一三年に始まったアベノミクスが当初、国内経済に強い刺激を与えたことは事実だろう。金融緩和と財政出動で金融市場に大量の投資資金が流れ込み、株価は回復。多くの企業が財務環境を好転させた。
しかし、利益を内部留保にため込んだ企業は人件費に回さず、給与は今に至るまで伸びていない。経済格差も広がっている。
アベノミクスが描いた「投資活性化による利益が賃上げを促し、消費が伸びる」という好循環は結果として実現しなかった。
最大の理由は、外国人観光客の増加以外に、効果的な成長戦略を見いだせなかったことだろう。
◆政策縛るアベノミクス
岸田文雄首相はアベノミクスを事実上継承し、野放図で場当たり的な財政出動と緩和一辺倒の金融政策を続ける。それは結果として政策の手足を縛り、日本経済の懸念材料となっている円安・物価高に対する政府・日銀による政策の選択肢を狭めている。
私たちの暮らしにとって、アベノミクスは「功」よりも「罪」の方がはるかに大きい。
安倍氏の後継政権である菅義偉前首相、岸田首相は国葬での追悼の辞で、いずれもアベノミクスに言及しなかったが、これまでの経済政策を検証し、改めるべきは改めることが、政策の選択肢を広げる第一歩ではないか。
「安倍一強」の定着とともに発覚した森友・加計両学園や「桜を見る会」を巡る問題ではいずれも安倍氏ら政権中枢に近い人物や団体の優遇が疑われ、公平・公正であるべき行政は大きく傷ついた。
側近議員や官僚による安倍氏らへの「忖度(そんたく)」が横行し、森友問題では財務省は公文書改ざんに手を染め、改ざんを指示された担当者が自死する事態にもなった。
桜を見る会前夜の夕食会を巡っては、安倍氏は国会で百回以上の虚偽答弁を繰り返した。日本の議会制民主主義の汚点でもある。
しかも、これらの問題はいずれも真相解明に至っていない。安倍氏が亡くなっても不問に付さず、解明に努めるのは国会の責任だ。
安倍氏を中心として、自民党議員と旧統一教会(世界平和統一家庭連合)との密接な関係も明らかになった。反社会的な活動をしていた団体が政権与党の政策決定に影響を与えていたのではないか、と有権者は疑念を抱いている。
この際、安倍氏や前派閥会長の細田博之衆院議長を含め、教団との関係やその影響を徹底調査することが、政治への信頼回復につながるのではないか。
◆憲法や国会を軽んじて
安倍内閣は、歴代政権が違憲としてきた「集団的自衛権の行使」を閣議決定で容認し、安全保障関連法の成立を強行した。時々の政権が国会での議論の積み重ねを軽視し、憲法を都合よく解釈する姿勢は、立憲主義を揺るがす。
岸田首相も歴代政権が否定してきた敵基地攻撃能力の保有に踏み切ろうとしている。憲法に基づく臨時国会の召集要求に応じない姿勢も、安倍氏と変わらない。
安倍氏は、街頭演説で抗議の声を上げた有権者に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い放ったことがある。
世論が二分される中で行われた国葬は、国民を分断することで、賛否の分かれる政策を進めてきた安倍政治の象徴でもあろう。
ただ、こうした安倍政治は、国政選挙での度重なる自民党勝利の結果である。有権者の政治への諦めや無関心が低投票率となり、政権に驕(おご)りや緩みを許してきたとは言えないだろうか。安倍政治の検証は同時に、私たち主権者の振る舞いを自問することでもある。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/205085
国葬の朝に 礼節ある日本の姿を示したい 論説委員長 榊原智
2022/9/27 05:00
榊原 智
コラム
主張
国葬の朝を迎えた。
参院選遊説中に、テロリストの凶弾に斃(たお)れた安倍晋三元首相を悼む葬儀である。会場は昭和42年の吉田茂元首相の国葬と同じ日本武道館で、秋篠宮皇嗣殿下、岸田文雄首相はじめ国内外の約4300人の参列となる。会場近くの公園や各地の献花場へも多くの人々が訪れるだろう。
今、何より大切なことは、国葬を厳粛に、そして堂々と営んで故人を送ることだ。テロに屈しない日本を世界に示すことにもなる。
その当日に、葬儀を大声で誹(そし)り、乱すような振る舞いがあれば、日本の品格をひどく損なう。厳に慎んでもらいたい。
岸田首相は自信をもって国葬を執り行えばよい。国葬の判断と政府の法的手続きは間違っていない。
安倍氏の治績は国葬に値する。憲政史上最長の8年8カ月の首相在任を記録したから、だけではない。
首相の最重要の責務は国家国民を守り抜くことだ。東西冷戦といった国際構造を踏まえ、安全保障を確保する方策を講じなければならない。
首相は堂々と執行せよ
戦後の首相経験者の国葬の前例となる吉田氏は日本を占領から独立させ、日米安全保障条約を結んだ。東西冷戦期に自由主義の国として平和と繁栄を享受する基盤を作った。安倍氏の功績はこれに劣らない。憲法解釈を是正し、集団的自衛権の限定行使容認を柱とする安全保障関連法を成立させた。国家安全保障会議(NSC)や特定秘密保護法などを作った。岸田首相は8月の記者会見で「ポスト冷戦期の次の時代」に入ったという認識を示し、「わが国の平和と安全を守るために全力を尽くす」と語った。「米中新冷戦」の時代を指しているのだろう。
安倍氏は安全保障の構造改革を進めた。同盟国米国などと守り合う仕組みを整えた。これらが新冷戦の時代を生き抜く基盤になった。
安倍氏は一連の改革を回避してもよかったが、日本と国民のために火中の栗(くり)を拾った。抑止力構築の大切さ、難しさを理解できない野党やメディアから総攻撃されるリスクを冒して改革を進めた。
政府は防衛力の抜本的強化策を検討中だが、安倍氏の改革がなければ中国、北朝鮮、ロシアの脅威を前に立ち往生していただろう。
敗戦後の国政を預かった吉田氏がなしえなかった役割も果たした。日本や世界にとって望ましい国際秩序を作ろうと能動的に働いた。提唱した「自由で開かれたインド太平洋」構想は、欧米諸国の戦略になった。日米、オーストラリア、インドの4カ国の枠組み「クアッド」を実現した。どちらも覇権主義的な中国を抑止するのに欠かせなかった。
米国が離脱しても環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)をまとめ、自由貿易を擁護した。
友人の忠告に耳傾けよう
「状況対応型」が多かった戦後日本の首相とは異なり、安倍氏の国際社会における存在感は際立ち、日本の地位向上にもつながった。だからこそ訃報を聞いたバイデン米大統領は「世界の損失だ」と悼み、極めて多数の国・地域の首脳、政府が弔意を示してくれた。国葬には約700人の海外要人が訪れる。旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)問題や北方領土政策など安倍氏にも不十分な点はあった。だが国際的、歴史的視野に立てば国葬で送ることこそ、最もふさわしい。
国葬の決定後、報道各社の世論調査では反対が賛成を上回った。これを見て、鬼の首をとったように反対を言い募る政党や政治家がいるのは極めて見苦しい。
日本の首相は内閣(政府)を掌握する役割だ。議院内閣制の諸ルールにのっとって他の国会議員、政党との政治的闘争を勝ち抜いてその座を占める。有権者の支持を集め、6回続けて国政選挙に勝利した安倍氏に拒否感を抱く反対勢力が存在するのは不思議ではない。
ただし、民主主義国の政治闘争はルールと信頼、礼節を伴うべきだ。葬儀まで攻撃に持ち出しては相互に持つべき最低限の信頼、敬意まで失わせ、民主主義を動揺させると気づくべきだ。立憲民主党の有力議員が国葬案内状の写真をツイッターに掲げ欠席を宣(のたま)ったのには心底驚いた。なぜ静かに欠席できないのか。
ジョージアのティムラズ・レジャバ駐日大使はツイッターで国葬をめぐり「故人に対する目に余る言動に心を締め付けられております」「今は政治ではなく日本全体の姿が試される局面です」と投稿した。良識ある友人の忠告に耳を傾けたい。
https://www.sankei.com/article/20220927-WE7ZQH2CJVNMBMHDLKTOPB35PY/