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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「男同士の愛は女性にとって『安全』だから支持された」「愛や性のおいしい所取り」…BL分野の「真祖」が語るが、そうなん?

評伝「栗本薫中島梓」を読みました。表題のこの二名は、同日人物の別ペンネーム…って今さら説明しないでもいいよね?

栗本薫中島梓、二つの名前を持ち、作家・評論家・演出家・音楽家など、才能を自在に操り多くの人たちに感動を与える稀有な存在でありながら、ついに自身の心理的葛藤による苦悩から逃れることはできなかった人。その生涯を関係者への取材と著作から検証する。

自分は栗本薫中島梓もいい読者ではない。
山藤章二と組んだ短文エッセイ「にんげん動物園」、特撮を論じた本ということで読んだ「わが心のフラッシュマン」、浅羽通明が推奨していたので読んだ「コミュニケーション不全症候群」、小説ではグインサーガを数巻読んだのだっけか。

ただ、それらはなかなかに印象深いものだったし、「わが心のフラッシュマン」の一節は鮮烈な印象ゆえに記事にして、当時も相当ブクマがついたな
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今後、これに関する、中島梓関連の記事をもう一本書く予定。

・・・・・・・・ただ、今記事を読み直すと、この本も要はBL、当時の言葉でいえば「やおい」を論じてる部分も多いにあったのに、それに気づいたか気づいてないのかスルーしてるな!
無理もない、自分がまったく無縁の世界であるBLについて「調べようか、考えようか!」と思い立ったのが、ブログのおかげではっきりわかる、2011年の話だ(記事内では、気になり始めたのが2007年ごろから、と書いている)。そこからまだ4年目、経験値もあまり溜まってなかった。
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だから今回の中島梓栗本薫評伝は、彼女と、「BL黎明期」…ほんと藤子不二雄的な「BL道」を調べる、という意味での調査意欲も込めて読んでみたのだった。
そしたら、ちゃんといろいろ書いてあったよ。


だが、そこで、1978年に創刊されたBL雑誌…もちろん当時、BLという言葉なぞないが……「JUNE」の編集長が、一種の「総括」を語っている。このひとはそもそもワセダミステリクラブで中島の1年後輩。
雑誌創刊の際は、こういうのが好きだと知っていた中島梓にいろいろ相談に乗ってもらったとか。現在は京都精華大准教授だとか。


「JUNE」はそりゃ伝説の雑誌だよ。ファンロード経由で俺も誌名だけは見知ってたような気がする(笑)

その”総括”を、引用紹介しよう。207-208P,6章のラストだ。

<JUNE>の編集長を務めた佐川俊彦は、男性同士の性愛が、女性たちの支持を集めたことについて、筆者にこう語った。

サン出版の社長が<JUNE>に『いま、危険な愛にめざめて』というコピーをつけたのですが、私はこれはちょっと違うと思っていた。男同士の愛というのは、むしろ女性にとっては安全な愛だから支持を集めたんだと思うんです。それは、女の子にとっては自由になれる場所、心のすきまを埋めてくれる場所であったし、ファンタジーだからこそ、愛や性のおいしいとこ取りをすることができた」

 女性に愛される、この分野について、男性である筆者がどのように理屈をつけても、女性読者からは「分かってない」と言われてしまいそうだ。だがあえて言うならば、女性というのは、いくら性について自由になったといっても、どうしてもセックスにおいては男性に対して従属的な位置にされがちであるし、望まない妊娠をしてしまう危険性をはらんでいる。性において自由になれないと感じる女性たちが、自分たちの望む性を生きられる場所こそが、このやおいの小説の世界であったのかもしれない。

BLは女性にとって「安全な愛」「愛と性のいいとこどり」佐川俊彦

そうなんでしょうか。
ぶっちゃけ、そこに書いてある通りに、こちらもよくわからんよ。
ただ、……「JUNE」といえばレジェンドどころか、一種の「真祖」。仏教でいえば比叡山延暦寺、日ノ本根本道場みたいなもんでしょ?そこの編集長なんだから、渋川剛気みたいなもんだ。
「あのJUNEの編集長がそう言っちまったんだ、な〜〜ンも言えネェ、言える訳がネェ」ってこと……なんだろうか? いやいや、ホイス・グレイシーが10年後にUFCに復帰したらケチョンケチョンだったように、もはやそんな初期のBLなど、時代遅れの骨とう品、テキサスの化石になっている…のかもしれんのか??



ただ、自分も、最初に仮説を立てた時は似たような論を立てたんだよね。こんな感じで。

仮説2…『少年同士の恋愛は自分が第三者、傍観できる立場になるから』

恋愛の生々しい葛藤や感情の動きは、フィクションの中でも体験するときにヘビーで重い感情を持たされてしんどい。だから対象は自分と縁遠いほうがよく、そういう縁遠いところの恋愛模様を眺める、というほうがエンターテイメントとして楽しめる。自分と根本的に性別が違う男同士の恋愛は、安心することができ、自分も傷つかない
(※この論考の特に後半部分、もともとは田中芳樹氏の発言。だが、そのとき彼は自分の「銀英伝」キャラのやおい本に相当怒っており、割り引くことも必要か(笑))
 
 

仮説3…『普通に少年と少女が漫画内で恋愛をすると、女性読者は作中の少女に嫉妬するから』(山岸涼子説)

2の変形といえば言えるかもしれないけど…個人的には「えーっ?そんなことあるかなぁ」と思わないでもないけど、仰ってる人が人だからなるほどとせざるを得ないでしょ。
文庫版「日出処の天子」で、山岸氏と梅原猛氏の対談があり、そこで本人が言明してるんすよ。

(クリックするとオリジナルサイズも見られます)

私は何度も男性の編集者さんを説き伏せるのに苦心した覚えがあるんですけれども、男性の目から見ると少女マンガに男しか出てこないというのは納得がいかないようなんですね。ところが私は逆だと思っておりまして、というのも読者は作品に自己投影して見るわけなんですね。ですから素敵な男性と結ばれたいのは本当の自分自身なんです。ところがそこに自分より理想的な女性が出てきて、自分の好きなその作中の男性と結ばれるというと、ある種の嫉妬みたいなものが出ちゃうんです。で、それよりも男同士のほうがいっそ楽なんですね。

 


あと、佐川氏は別の箇所で、こう表現している(149P)

中島梓さんたちの生み出したやおい文化は、女の子にとっては心の隙間を埋めてくれるもので、その物語を通じて、初めて彼女たちは性的に自由になることができたんです。

そういえばもうひとつ…彼女が書いた、このジャンルの作品のキャラクターやあらすじが、たくさん同書では紹介されているが、ぶっちゃけ彼女のBL小説は、かなり「性暴力」度が高い。

ある男がもうひとりの男を愛するあまり、自分の手で殺すというモチーフが、中島梓が最も描きたかったシチュエーションであろうことは、その後の数々の作品を見てもよくわかる。(147)P

いま、表現規制の論点の中で「性描写が問題なのではない。違法で人権を侵害するような”性暴力”の描写が問題なのだ」という言い方がされることがあるが、その視点で見ると………。




とりあえず、この部分は実際に「よくわからない」なので、まず情報として投げて置き、識者の分析を待つことにでもしようか。



ちなみに、それ以降の同書の文章はこう続く。

中島梓は、その後〈JUNE〉で、『終わりのないラブソング』という、少年同士の性愛を描いた長い物語を連載するほか、『小説道場』という、読者が創作したやおい小説を批評・指導していく連載をすることになる。また、今西良と森田透(※註 彼女の書くBL小説のキャラクター)の物語を《東京サーガ》と呼ばれる一連の作品群へと発展させていったり、同人誌の形態でもやおい小説を書き続けるなど、この分野は彼女の作家としての支柱のような存在でありつづけた。
なぜ女性がやおいを書き、読むのかというテーマについても、後に中島梓名義の評論『コミュニケーション不全症候群』(筑摩書房)などで論じている。
そうして、自らの表現をさまざまなジャンルに広げていった中島梓=栗本薫は、ついに終生書き続ける長大な物語を生み出し始める。
グイン・サーガ》の誕生である。


このほか印象に残ったのは
・ミステリ「ぼくらの時代」は「トリックがフェアか論争」があった、ということ、


沢田研二のファン(正確にはドラマ「悪魔のようなあいつ」で沢田研二が演じた可門良というキャラ)で、それをモチーフにして創作し、それを東京サーガと言われる一連の作品の主人公たる今西良というキャラに変換した…という、二次創作のはしりのようなことをしてた話
グイン・サーガの創作秘話


・有名な、ハンセン氏病の描写をめぐる筆禍事件


・演劇にのめり込んで相当な負債を抱えたこと


・自分の死後のグインサーガの書き手に江森備という人を考えていたこと、
……などが面白い話でした。

とくに、初期?の「パソコン通信」に興味を持ち、そこで濃いファンたちの濃厚なサークルを作っていったことは興味深い。


あと、ここも相当に印象に残っているが、中島氏は「JUNEというジャンルを定着させ、後に続く人材を育てよう」という強烈な意志があり、実際にそれによってジャンルが生まれた面もある、ということ。
榊原史保美氏が、それについて、自分が個人的に作家としてやっていく中で応援してくれた、という話を語り感謝しているくだりは感動的だ。

「とにかく中島さんからはこのJUNEというジャンルで、後に続く人を育てようとされている気持ちを感じました。この分野を世の中に定着させたいという意志で、私たちのことも応援してくれた。デビュー当時から売れっ子作家だった中島さんにとって、こういうジャンルの小説を書くのはリスクでしかなかったはずです。それを敢えてやり続けたというのは、彼女のなかにやらなければならない必然性があったのでしょう。私はJUNEというひとつのジャンルが立ち上がる時にそこにいられたことは幸せでしたし、中島さんがその場所を作ってくれたことは本当にありがたかったです」(288P)

 
 

『日本人は、なぜこんなにも漫画が好きなのか…
(略)なぜ、外国の人はこれまで漫画を読まずにいたのだろうか。
答えの一つは、彼らの国に手塚治虫がいなかったからだ』
 平成元年2月10日朝日新聞社

有名な言葉だが、漫画をBL、手塚治虫中島梓に変換することができるかもしれない。