平山優氏のツイートより。
本日5月8日は、新暦だが、豊臣氏滅亡、大坂落城の日。そして、真田大助散華の日。悲惨な落城と、人々の死は、戦国のゲルニカとも俗称される屏風絵として今も私たちに凄惨さを伝えている。全ての落命した方々に、遠く東の山国より合掌。
— K・HIRAYAMA (@HIRAYAMAYUUKAIN) 2021年5月8日
大助は、秀頼側近速水守久をはじめ、多くの者から落ち延びるように、東軍の真田軍陣所まで送るからと勧められても頷かず、父信繁が秀頼公のお供をせよとの遺命を守り、秀頼らが籠る蔵の入口に筵をしき、食べ物をとらずに瞑目し、最期の時をまっていた。その姿に、誰もが涙を流した。この模様を、現場で
— K・HIRAYAMA (@HIRAYAMAYUUKAIN) 2021年5月8日
速水より聞いた、秀忠使者井伊直孝ももらい泣きし、速水らとともに、若き大助を称賛したという。この話、泣ける😭
— K・HIRAYAMA (@HIRAYAMAYUUKAIN) 2021年5月8日
この時、大助が手に持っていた数珠は、生母大谷氏から授けられたもので、最期の時はこれをもつようにと言われた、母との絆の証と記録されている。
— K・HIRAYAMA (@HIRAYAMAYUUKAIN) 2021年5月8日
貼り付けた三谷幸喜脚本「真田丸」も司馬遼太郎「城塞」も、真田大助の最後のシーンは描かれていない。ツイートにある「東軍の真田軍陣所まで送る」というのは、兄の信之の軍のことなんだろうな。