の流れで、ウィキペディアを普通より多めに見たり巡回してました。
そんで、自分が少しだけ過去にかかわった項目に、新事実というか、紹介した話を覆すような情報が追加更新されていました。
正義の味方(せいぎのみかた)は、勧善懲悪的に行動する人物を指す語で[1]、主に創作物のヒーローを指す[1]。川内康範が『月光仮面』の主題歌(1958年)で用いて広まったとされ[1][2]、これ自体を川内の造語とする説もあるが[3][4]、用例は19世紀から存在する[注 1]。中でも徳富蘇峰の『国民之友』誌の記事[注 2]や内村鑑三の著作[注 3]では、「正義の味方」という表現がたびたび用いられている[注 2][注 3]。また群馬県の廃娼運動団体の機関誌『上毛之青年』誌でも、社告などに「正義の味方」という言葉が見受けられる[注 4]。『東京毎日新聞』[注 5]は大正時代中頃から昭和時代初期にかけて「我等は正義の味方也」というスローガンを広告や日々の紙面で標榜していた[注 6][21][24]。田中耕太郎などの学者や芥川龍之介などの作家も[注 7]、『月光仮面』以前にこの語を用いている。創作物のヒーローを指す意味としても、『月光仮面』以前に永松健夫が『黄金バット』で「正義の味方」という語をたびたび用いている[注 8]。
ふうむ、例の初出調べ壱ノ型とかやっておけばよかった。
【メモ】言葉の初出を調べる方法いろいろ
【メモ】言葉の初出を調べる方法いろいろ - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
でも、こんなに明確に断言してる資料だからなあ
…ところで「正義の味方」という言葉を作ったのは川内康範先生だということはご存じでしょうか。主題歌『月光仮面は誰でしょう』の中に、「月光仮面のおじさんは 正義の味方よ善い人よ」という一節がありますが、まさにこれが日本最初の使用例なのです。俺が「なぜ正義ではなく、味方なのでしょうか」と尋ねましたところ、
「(月光仮面の発想は)月光菩薩という仏に由来しているんだけど、月光菩薩というのは脇仏(わきぼとけ)でね、決して主役じゃないんだ。つまり、裏方なんだな。だから“正義の味方”なんだよ。この世に真の正義があるとすれば、それは神か仏だよな。だから月光仮面は神でも仏でもない、まさに人間なんだよ」
という明快な答えが返ってきました。それにしても、さすがは詩人だけあって先生の言語感覚には非凡なものがあります。たとえば『月光仮面』のキャッチフレーズが
「憎むな!殺すな!赦(ゆる)しましょう!」
ただ、話はここで終わらないその1。
「正義の味方」という言葉は川内氏の造語でないとしても、ここに「絶対の正義、正義そのものには人間はなれないしならない。だから、せいぜい『正義”の味方”』なんだ」という意味を込めたとしたら、それは確かに、こんな解釈をしたのは川内氏が初めてと思うし、実に斬新で深い発想であるという評価は揺るがないだろう。
ただ、話はここで終わらないその2。
そういう意味を込めた…として、仮に月光仮面の時代にそう考えていたとしても、それを黙っていたら戦前からの「東京毎日新聞」「国民之友」、あるいは「黄金バット」と何ら変わることはないのです。
とすると、川内氏が、ここに上記のような意味を込めたんだ、と語った時点から、これが「新語」になったと言える……こういう印象深い話を語った相手が、竹熊健太郎氏が初めてだとしたら、その時。そしてそれをブログに記したのが2007/03/23だとしたら、まさにその時、にまで時代が下ります。(インタビュー集「箆棒な人々」、には載ってたかな?)
篦棒な人々ー戦後サブカルチャー偉人伝 (河出文庫 た 24-1)
- 作者:竹熊 健太郎
- 発売日: 2007/12/04
- メディア: 文庫
同時に、ここで川内のやはり晩年の証言に基づく「月光仮面の月光はイスラムのイメージ」というのも、後付けバリバリなのか、ここでも書いているように実際すぐ「アラーの使者」という活劇も書いてるし事実なんじゃない?となるのか……
m-dojo.hatenadiary.com
ちなみに、これをおれが「月光仮面」のウィキペ項目に追記した箇所は残っている(笑)
ja.wikipedia.org
とまれ、造語に関しても、「共和」や「経済」のように、言葉はあったけど〇〇が新しい意味を付け加えた、となると、難しいことになる。「正義の味方」はどう解釈すべきですかね。