永井豪先生は『けっこう仮面』を執筆する際、パロディ元である『月光仮面』の原作者・川内康範先生に許可をもらいに行き「素顔隠して体隠さず」という決めゼリフに河内先生が爆笑、「それはけっこうだね」と一発OKをゲットした方なのであらゆる意味で創作エネルギーのケタが違う。
— らくしゃさ@赤の騎士ドクペ物語 (@Rakshasa_JP) June 10, 2020
又聞き話ですが、当時けっこう仮面の悪役ネタになるのがステータスみたいになり、手塚先生が永井先生に「何でボクのキャラは出ないの?」と催促され、鉄椀オツム、リボンの志士の連続出演となったそうです。
— 武侠忍者 (@bukyouninja1) June 10, 2020
はじめまして。
— らくしゃさ@赤の騎士ドクペ物語 (@Rakshasa_JP) June 10, 2020
そんなことがあったんですか。
そういえば手塚治虫先生の『ブラック・ジャック』でも永井豪先生まんまのキャラが登場して「僕のことを冷奴と呼ばないなんて珍しい人だね」と言うシーンがありましたね。
川内康範氏については
手塚治虫が、パロディ満載の作品を見た時に「なんで僕の作品は出ないの??」という反応を見せることはよくあることで…、
某DAICONの時にそれをだな・・・・・・・・・・
「僕の所で仕事手伝って欲しいぐらいです」
これは手塚治虫がダイコンの楽屋で実際に言ったセリフ。
「ぜひ東京に来て、24時間テレビのアニメを手伝って欲しい」と言った。24時間テレビのアニメ、とは日テレの「愛は地球を救う」特番で流される『ブレーメン4 地獄の中の天使たち』のことである。
しかし、このセリフが手塚から出たのは1981年8月22日。そして「手伝って欲しい」という『ブレーメン4 地獄の中の天使たち』のオンエアは翌日8月23日。もちろん間に合うわけがない!!
この手塚の恐るべきオファーに、当日は全員が凍り付いた。「手塚伝説はウソじゃなかったんだ・・・」と思い知らされた一瞬だった。
ちなみに、『ブレーメン4 地獄の中の天使たち』は大幅に未完成のままオンエアされ、翌年の24時間テレビのアニメは別会社に移された。「なにか・・・ (手塚) ・・・足りませんよね?」
岡田斗司夫演ずる手塚治虫は、「なにか」と「足りませんよね?」の間に声ナシで「手塚」というセリフを入れている。もちろんシナリオにはないアドリブだけど、福田監督はこんなバカな演技にもOKだして、本編で採用してくれた。
この一事をもって、岡田斗司夫は福田監督を「生涯の監督」と呼び、以後は福田作品には「ノーギャラ・ノー出演NG」で望むことを誓ったのである!
そもそも手塚治虫の場合「パロディにされて怒る」云々より、自分が「パロディをやる」側だからな……
gryphonjapan @gryphonjapan 2時間前
両者が漫画のなかで互いをDisりあう「いしかわじゅんvs吾妻ひでお抗争」という、実にマイナーな漫画界でのお遊びを、2人が雑誌で展開していたら、いしかわじゅんに手塚が電話して「『七色いんこ』で、二人のキャラを真似た校長と教頭が喧嘩するシーンを描いたんだけどお許しを」と連絡してきて、「こんな小さな話題まで食いつくとは」、といしかわ氏が驚いたという逸話が。
余談 雁屋哲氏は「風の戦士ダン」に激怒したのか?面白がったのか??
m-dojo.hatenadiary.com
という長文感想を書いた時、当初「雁屋哲 、ギャグを自分の原作に加えていく島本和彦に激怒説」に立って紹介し、ある方から「雁屋氏は別に激怒してないし、気まずい関係でも無かったですよ」と言われ、じゃあどこでそんな話が?となったんだが…
岡田斗司夫氏だよ「激怒説」「気まずい関係説」の拡散者は!!
なんの運命のいたずらか、島本はけっきょく、初の連載『風の戦士ダン』でベタな熱血を描くように強要される。しかしパロディやギャグしか描いてなかった島本は、原作者・雁屋哲を激怒させるようなパロディやオリジナルを入れてしまった。両者は2009年のパーティーの席上で和解するまで、延々と「気まずい関係」だったという。
かようなまでに、焔モユルにベタな熱血は無理だったのだ。
https://www.tv-tokyo.co.jp/aoihonoo/special/blog/index.html