まず、早くも再放送のお知らせ。BSジャパンは無料放送局です
http://www.bs-j.co.jp/aoihonoo/
http://www.bs-j.co.jp/program/detail/23302_201410052400.html
ドラマ☆アオイホノオ 第一話「長き戦いのはじまり」柳楽優弥×福田雄一
2014年10月5日(日)深夜0時00分〜深夜0時35分島本和彦の自伝的漫画を福田雄一が映像化!80年代初頭、漫画家を志す焔モユルと、後に日本を代表するクリエイターになる同級生との七転八倒の奮闘を描く青春群像エレジー。
すごいな。資本系列とかあるんだろうか?(※追記 あるんだって。というかテレビ東京の100%子会社らしい)
BSジャパンだと、放送地域の制限も無いだろうから、みられなかった地域(あるのかな?)の方には朗報か。
「漫画的表現をそのままドラマに」が成功した稀有の例(俺にとっては)
まず、ドラマに関して、自分が連続ストーリーで10回以上続くやつをちゃんと見られることが基本まれだ。「孤独のグルメ」は例外だけど、一話完結だしね。
あ、同じ福田雄一監督の「勇者ヨシヒコ」があったか(笑)。あれもBSジャパンで放送しねーかな。
で、自分は基本、漫画をドラマ化する時に、その感情表現や動作、リアクションなどを漫画同様に再現する系統の演出はそもそも好きじゃなかった。「コントだよ、それじゃあ」という感じである。・・・極端なものだといわゆる「漫符」というやつまで画面上で再現するからね。「のだめカンタービレ」のドラマ化は、それで見るのをやめたし、最悪なのはWOWOWでやった単発の藤子・F・不二雄「夢カメラ」のドラマ化だった。
だが今回の「アオイホノオ」も、ホノオの表情変化は漫画を再現したマンガ的(当たり前だ)なものだったし、同じように岡田斗司夫登場の際は漫画と同様、描き文字で「俺ってすごいやろオーラ」を出しているという演出がなされていた・・・のだがほとんど気にならず、ひとつの魅力となっていた。
これは「ダブルスタンダードじゃないか、矛盾しているじゃないか」と言われると、たしかに自分ではちょっと困る(笑)。なぜ他の作品と違って、アオイホノオのドラマは「漫画的表現をそのまま実写の演出に使う」ことが気にならなかったのか。
これはとりあえず「自分でも分からない」ということにさせてください。
そこをクリアしたら、あとは一気呵成に堪能するだけだ。
80年代でもオタクでもなく「まだ何者でもない若者」の普遍を描けた傑作
沢木耕太郎の著書で、ボクシングの天才であると同時に言葉の天才であったモハメド・アリが興行のあおりを兼ねて、次に挑戦する若手ボクサーの挑発をした時の言葉が描写されていたと記憶している。
「I am Champion, You are Nobody!! 」
腰にベルトを巻いた俺は王者、そして丸腰のお前は「何者でもない」!
…そう、あの天才は相手を煽ったのである。
結局このドラマ、漫画の主人公ホノオモユルも、頭のてっぺんからつま先まで当時は「Nobody」だ。
だが「絶対可憐チルドレン」の皆本さんの決め文句ではないが、「Nobody」たる若者は、それでも…いやそれゆえに「君はどこへでもいけるし、なりたいものになれる」可能性を秘めている。
そして、ホノオは、「どうしようもなく島本和彦なキャラクター」のおかげで、まさにそのようなポジティブなNobodyであり続けた。
ま、だからこそ、たまに没や自作がウケない、或いは同級生が才能を見せるという時の落胆や嫉妬、焦燥が印象に残るんだろうケドね。
だからこそ原作もドラマも、表層的には、消費者層としては分厚い40代に向けた「なつかしの80年代サブカルチャー、オタク文化」へのノスタルジーや”あるある感”を刺激するという部分も成功の大きな要因ではあったけど、可能性と現実の無力さと自負と劣等感がすべて渾然一体となっている「今はNobody、何者でもない若者」の普遍的な姿を描くことができているのだと思う。
以前、浅羽通明氏の感想を紹介したが
評論家・浅羽通明『「アオイホノオ」もいいが、同時代を描くそれ以上の傑作「グミ・チョコレート・パイン」(大槻ケンヂ)も再評価を』 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140902/p5
そういったもんでもあるだろうし、何より自分は教科書でおなじみの
「山月記」 中島敦
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/624_14544.html
人々は己を倨傲(きょごう)だ、尊大だといった。実は、それが殆んど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云いわない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった…
…自分は元来詩人として名を成す積りでいた。しかも、業未だ成らざるに、この運命に立至った。曾て作るところの詩数百篇、固より、まだ世に行われておらぬ。遺稿の所在も最早判らなくなっていよう。ところで、その中、今も尚記誦せるものが数十ある。これを我が為に伝録して戴きたいのだ。何も、これに仍って一人前の詩人面をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ…
を何度もドラマの放映中に連想したのであります。
最終回で、ヘッドギアをつけた「燃えよペン」「吼えろペン」の「炎燃」先生が、ホノオの現在の姿として登場したのは、実をいうとそういうネタばらしというかエクスキューズがなく、「ホノオ君は漫画家になれたのか」というのをドラマ単体として示しておかないと、ある意味本当に「山月記」みたいな印象を受ける人もいるだろう、という配慮があったのだと思う。
(※この「アオイホノオは主人公がその後漫画家になったと(島本和彦氏と重ねて)思えるからいいけど、その保証がないとつらすぎる…」という指摘は、ゆうきまさみ氏のつぶやきで読んだと記憶している。ちょっと探せないけど)
また、これは「若者」というだけでなく、「批評家」「情報の受け手」「ファン」というものの普遍的な滑稽さを描くことになっているのだけど、下の画像のように漫画では連載誌で販促グッズまでになった
「あだち充…!野球漫画の描き方が全然わかってないんだ」
「かわいそうなあだち充…、俺だけは認めてやろう!」
「高橋留美子はタイミングだけで生きている!」
といった「暴言」はすごいアクセントになった。
回想記の面白いところで、ホノオ君は上から目線なのだろうけど、それを読んでいる我々読者は「その後の高橋留美子、あだち充」を知っているという「歴史のカンニングペーパー」によって、ホノオ君を道化としてさらに上から目線で笑えるから最高のギャグになるのだ
編集部もそのへんうまくて、たしか連載第1回のときからブログでこんな風に宣伝してたな。
http://gekkansunday.net/rensai/aoihonoo/090422.html
とりあえず言えることはひとつ。
島本先生はあだち充先生に最低2回は殴られても
文句は言えない作品に仕上がりました。傑作です。
ちなみに
http://d.hatena.ne.jp/roido0811/20090512/p1
一方、あだち充先生の巻末コメントは「島本和彦さま、次の上京予定日を詳しくお知らせくださいませ。」
…全然大丈夫じゃないと思います。
ま、このへんは連載が進むにつれて、人間の関係も判明してくるものでこういうのもガチではないとバレてしまう。
逆に大御所・あだち充氏の器のでっかさ、寛容ぶりは相当なものだとよく分かるし、そのあだち氏を含めて多くの漫画家に愛される、島本氏のキャラクターがあってこそ、の作品でもあるのだろう。
藤田和日郎氏の面倒見のよさを「平成の寺田ヒロオ」と呼んだことがあったが、
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130725/p2
島本氏は「平成の森安なおや」なのかもしれません(笑)。キャバキャバキャバ。
ちなみに漫画関係で、こういうシャレが通じない器の小さい関係者は、格闘技漫画の周辺に・・・(以下略)、
「ベタ」をめぐるMADホーリィとのやり取りは、もちろん事実じゃないだろうけど・・・
なぜあの部分が「事実じゃない」と言えるのかは簡単明瞭、
1980年代には、おそらく、「何度も使われたおなじみのアイデアや描写、演出」のことを「ベタ」と呼ぶ風習がなかったからだ。ボケツッコミなどのお笑いバックステージ用語をあえてメタ的に多用する明石家さんまや新世代吉本芸人によって、つい最近広まった用語であるはずです。
編集者が車田正美の、暑苦しくお約束じみたドラマを照れずに打ち出す技法を「車田のベタに学べ」といい、それをホノオ(島本)が「墨汁のベタ」と勘違いする…というのは、ある意味デフォルメだろう。
しかし、このデフォルメ描写にはもちろん根も葉もあることも、また明白であります。
その証拠? 彼ら自身のその後が証拠だよ(笑)!!!
現実の島本氏は、当時きっての敏腕編集者・堀井堀江信彦氏、そして勢いに満ちた大雑誌ジャンプからの「照れやパロディはいったん排除して、大真面目な骨太の熱血を描いてみないか?」というサジェスチョンに関して、まさに「Nobody」の身ながらも自分の誇り、可能性に懸けたのだろう。「いや、ぼくの持ち味はまさにその照れ、パロディ、相対化なんですよ!」
・・・と。
そして島本氏は、ジャンプに結局載ることなく、まさにこの前「少年サンデー的なるもの」と論じた(http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140910/p1)以降30年にわたるあのテイストを作っている最中だった少年サンデーで才能を開花させる。というか、その「サンデー的なるもの」の構築者のひとりだ、彼は(笑)。
その後、いろんな出版社を渡り歩きつつ、いまこうやってワンアンドオンリーの地位をゆるぎなく築いている。
MADホーリーこと堀江信彦氏は、原作のあの格好で分かりすぎるように(笑)、その後原哲夫と組んで、まさに「ベタをベタとして押し通す」、北斗の拳という漫画を大ヒットさせ、世界にそびえる金字塔を打ち立てた。
これはもう、どっちがいい悪いではなく相性というか、時代というか、運命のめぐり合わせであろう。総合格闘技でキックボクサーと柔術家が戦うように、かみ合えばいい方向に大爆発したろうけど、かみ合わない時は徹底的にかみ合わない。
それはどちらかの才能がどうのこうの、という話ではない・・・
・・・だから諫山創氏が既に「進撃の巨人」の構想を胸に抱いていたのに「『漫画』じゃなく『ジャンプ』を持ってきてくれ」と言い放ち、数十億円規模の利益を講談社に差し上げることになった集英社の編集者だって、決して「やっちまった」な人ということではないだろう。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130712/p2
本当に運命の天秤が右に向くか左に向くかなのだ。逆に漫画家さんの卵だって、結局ボツはめぐり合わせなのではないか・・・・・・
ということを、掲載誌での連載当初でも読んで思っていた印象的なエピソードだったので、今回最終回までのシリーズの中で、この回が実写になったのはうれしかった。
ちなみに、ドラマでは「勇者ヨシヒコ」の仏様、「めしばな刑事タチバナ」でおなじみの佐藤二朗が演じ……めちゃくちゃアドリブを盛り込みまくったらしい。
その破壊力たるや、見学の島本氏が「いかんギャグ漫画家の俺が、収録中なのに爆笑してしまう!そんなことになったら大変だ!そしてギャグ漫画家として笑ったら負けだ!」と苦しんでしまったとか。
「少年サンデー1983年」を振り返る増刊号(2009年)で、島本和彦氏が語ったインタビューが貴重
さて、自分の手元には2009年に発行された「少年サンデー1983」なる増刊がある。
こういうムックですよ。
なんで1983年?なのかというと、この年のサンデーの部数が、歴代で最高だったんだそうだ。この少し前に「ゲッサン」が創刊したんだよな?ある種のサンデー・ノスタルジー商売が始まった時なのかもしれない。
そもそもでいうと、この当時のサンデーは自分はほぼ「プロレススーパースター列伝」と、「うる星やつら」「GU−GUガンモ」ぐらいしか知らなかった気がする。「炎の転校生」は当時、存在すら知らなかった、すまん。「燃えよペン」シリーズから島本氏の面白さを再確認し、数年前に文庫で読んだという流れだ・・・だが、この当時からその「ペン」シリーズと北海道のラジオの仕事で鍛えた島本氏の自分語り、業界語りは異様に面白く、このインタビューがあったからこおこの雑誌を自分は購入し、今手元にある。
このインタビューを読むと「アオイホノオ」のどこが演出、フィクションで、どこが事実に基づいているかがぼんやりとわかって非常におもしろい。
なぜ「ぼんやりか」というと、ここでのインタビューは基本的にデビュー後の回想だからだ。ただしスタンスやポリシーは当然、「アオイホノオ」の時代と一貫性があるというわけ。
まず、まさにドラマの最終回の話…、上で紹介した「ホーリイ的プレッシャー」つまりパロディや照れに対しての否定的な風潮を回想する。ジャンプではなくサンデーになり、プロデビューした後でもやっぱり言われ続けたのだそうだ。
ある漫画の定番を、別の漫画に移行してギャグにするっていうのはパロディの基本。最近の漫画では認知されている手法ですけど、1983年当時は、編集さんから「どこがおもしろいんだ?」とよく言われました。唯一、担当編集者だったMさんだけがゲラゲラ笑ってくれたんです。他の編集さんからはよく怒られましたもん。「君はパロディ漫画を描くのはやめたまえ!」って。
編集者の中にもラブコメじゃない熱血漫画を担当したいという思いもあったんでしょうね。だから私にもそっち系の漫画をすすめてくださったんでしょう。私の絵がパッと見、そっち方向も行けそうな絵柄・・・
ただし、その「唯一面白がってくれた」編集者さんは逆に「雁屋哲原作のまじめな話」を島本が原作どおりに描いたとき「君はまじめな漫画家になるつもりなのか?」と押しとどめて、アレンジ=ギャグたっぷりの作品にさせるなど伸び伸び育ててくれたみたいだ。
もっともそのせいでカリー先生は激怒し、最近まで両者の間にはわだかまりが残っていた・・・とどこで聞いたのかなあ、最近読んだんだが(笑)【追記】雁屋氏のブログ http://kariyatetsu.com/blog/972.php を教えていただき、そこではこういうふうないきさつだと書いている。
出来上がった作品を見ると、妙におかしいギャグが入っている。普通なら、私の原作にない物を入れたら私はかなり神経質に拒否するのだが、島本さんのギャグは面白いのである。担当編集者も、恐る恐る私に見せたのだが、私は「へええ、こんなことになるの」と怒るどころか、返って面白いと思った。
それが何回か続くうちに、「それなら、原作からギャグを入れてやろう」と思ってギャグを入れ始めた。では「わだかまり」は無いのかというと、ウィキペディア「風の戦士ダン」に「わだかまり」説がある(のだが、珍しく記事全体で典拠が書かれていない。だがかなり具体性あり)。「両人が後日、それぞれのブログでその事に触れた」とあり、島本氏の側も、この再会をつづったブログ記事もあったっぽい?
あと、「島本が同人誌で描いてる日記漫画にこの描写がある」という情報も得た。
そのへんが現在わかる情報です。
雁屋氏は、自分の「器量」が問われる話題だからそういう方向で回想するだろうし、島本氏はギャグとして面白い&自分の「革命ぶり」が問われる話題だからその方向で盛るだろうしなぁ…
【2020年追記】「雁屋激怒説」の拡散者の少なくとも一人は、岡田斗志夫だっ!!
https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/20141004/p5
経由で…(最終話)
島本はけっきょく、初の連載『風の戦士ダン』でベタな熱血を描くように強要される。しかしパロディやギャグしか描いてなかった島本は、原作者・雁屋哲を激怒させるようなパロディやオリジナルを入れてしまった。両者は2009年のパーティーの席上で和解するまで、延々と「気まずい関係」だったという。
かようなまでに、焔モユルにベタな熱血は無理だったのだ。
https://www.tv-tokyo.co.jp/aoihonoo/special/blog/index.html
とりあえず、真偽は別として「激怒説」は岡田斗司夫氏が語っていることが判明した
ともあれ結局、島本氏は「何と言われようがオレ流さ」を貫き・・・…
こんなふうな作風を、ある意味読者に力技で認めさせた(笑)。
だが、そうやって連載になったらなったで・・・
「『炎の転校生』の連載をやめさせてください」というハガキもたくさん届きましてね。差出人の住所まで書いてあったから復讐してやろうかと思ったけど、「ここはひとつ大人になって…やぶってやろう」とハガキをビリビリって(笑)
それはどんな定義でも「大人になって」とは言いません(笑)。
ちなみに過去に戻って自分にアドバイスできるなら
『「これでいいよ」と言ってあげたい。』
あと、
『連載は20巻超えるまで簡単にやめるな』
だそうです(笑)
なんでも・・・あの「炎の転校生」は映像化もされ、主題歌も作詞して、自分で歌ったぐらい(笑)のヒット作にも関わらず、本人にとっては
「まだ続けられる段階でやめてしまった」
「あとちょっとで手が届きそうな何かに届かずに自ら幕を引いてしまった」
「私の代表作になり損なった作品」なのだそうだ。
- 作者:島本 和彦
- 発売日: 2003/08/09
- メディア: 文庫
うーむ、創作者の見る風景は何かやっぱり違うのだろう。
この回想がちょっと泣ける。「(プロ後の)最大のライバルは安永航一郎でした…」
島本氏は「パロディは何よりも、誰かがやる前にやらなきゃいけない」という鉄則を語る。この1983年号には、ホノオの暴言のえじきになったあだち充も高橋留美子も、原秀則も細野不二彦も作品を寄せており、特に細野氏は「かっこいいSF風の絵でギャグをする」という、大学時代のホノオがひそかに練っていた新機軸を「先にやられた!!!」という話はドラマでもちょっと盛り上がるシーンだった。
だが、実際に島本氏が名を挙げた、デビュー後の「最大のライバル」は・・・・・・
(パロディは)誰かが先にやったらおしまいじゃないですか。
そういう意味では、増刊サンデーで連載していた「県立地球防衛軍」の安永航一郎が一番恐ろしかったですね。彼は東宝系の怪獣もののギャグだったんですけど、先にやられてしまうかもという恐怖がありました。
ああ!!安永航一郎!! 県立地球防衛軍!!
ん?昨年から今年にかけて復刻版が出てたのか。
県立地球防衛軍 完全復刻版 (1) (少年サンデーコミックス)
- 作者:安永 航一郎
- 発売日: 2013/12/18
- メディア: コミック
まさかの、ほぼ完全復刻版!!
27年前の今、まさに、時代はローカル!!悪者も正義の味方も、
みーんな地方に大集合。てなわけで、とある田舎の某県では、
悪の秘密結社”電柱組”の攻撃をうけ、なんと”県立地球防衛軍”を結成。
反撃を開始したわけだが…【編集担当からのおすすめ情報】
27年ぶりのカバー描き下ろし
27年ぶりの1話16p描き下ろし
かきおろしも!!!!!!
この作品は、漫画史をたどった時に必ず名前が出るような大ヒット作ではなかった。だけど、たぶんどこかの瞬間で、その時代 〜パロディが作品の中の不可欠の要素として組み込まれる時代〜 を、どの作品よりも捉えていた一瞬があったんじゃないかな。そういう漫画は、時々あるものだ。
これは好きだった漫画への、身びいきかな?
今、安永氏がどんな活動をして、最近どんな作品を描いているのか正直つかめてない。
いや検索すりゃ分かることは重々承知だが、あえてここは検索しまい。
まんが市場は膨大だし、自分だってそんなに幅広く読んでるわけでもないです。
たぶん、自分が見落としているだけなのだろう。島本氏だってある時期、あまり目に付かないような雑誌で描いていたりしたわけだし(禁句)。
だが、だからこそ!!
ドラマ化で今をときめく島本和彦が、「もっとも恐れていたのは安永航一郎だった」という一文が、ちょっと「あの時代」の回想とともに突き刺さる。
往時茫々、
夢のまた夢・・・・・・・・・・。
ちなみにやはり島本氏はこの時代から、他の漫画家に好かれる人徳があったようで、外の人の回想や復刻エッセイ漫画になんかよく登場してる(笑)
・高橋留美子
2014年に1980年代を回想した「アオイホノオ」。だからこそ「当事者の別視点の回想、感想」がブログ、twitterで百花繚乱(笑)
それが楽しかったが、自分はリアルタイム視聴の機会が少なかったので、まとめに頼ることが多かった。それが貴重な記録になっていることはいうまでもない。
矢野健太郎、一本木蛮、岡田斗司夫・・・氏らが、別視点ツイート、裏話暴露の常連で、このへんを追っていかれたい。
岡田斗志夫のツイートは面白いので、番組公式ブログにほぼ同じ内容(転載か)が、ドラマの放送回に合わせて掲載されることになった。
「だまされるな!アオイホノオ 11のひみつ」
http://www.tv-tokyo.co.jp/aoihonoo/special/blog/
なんかyoutubeにはたくさん動画があるで。
youtube内を「アオイホノオ ひみつ」あたりで検索すると色々出てくる。
もひとつだけ紹介しておく。
しかし、トークでこういうふうに笑いをダイレクトに取れると、ついついその楽しさにおぼれたりしないのだろうかね。北海道の放送局STV(サンタ・ヴィクトリー)で笑いをとりまくった島本氏が、その禁断の魅力を諫山創に伝えて、諌山氏がラジオ(出演)におぼれたら面白いのに(笑)
togetterはタグによる
http://togetter.com/t/%E3%82%A2%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%9B%E3%83%8E%E3%82%AA
あるいは、シリーズ放送中ずっと丁寧にまとめをされたこのかたによる
http://togetter.com/id/Fuzzy_MK
こういうところを合わせてご覧頂きたい。分量はいささか膨大だが・・・ともあれ、1980年代の文化と、そして一緒に普遍的なテーマを描いた、両面から楽しめる作品であります。
原作はまだまだつづくぞ!!!少なくとも20巻ぐらいまでは(笑)!!!
書き忘れ補遺 ドラマ主題歌はOP、EDともよかった
どれも「若さ」「今の無力さ=何者でもなさ」を表現して、しかもそこにポジティブな意味合いを含ませていて、とてもいい曲だと思いました。作品はこの歌でも記憶されるんじゃなかろうか。
コメント欄よりさらに補遺 「1・2の三四郎」も大きな流れの一つか?
id:fullkichi1964 2014/10/05 09:17
「炎の転校生」第1話から本誌で読んでたワタシ(笑)。
リアルタイムで読んでた者としては、83年の3月でマガジンの「1・2の三四郎」が終わって、ああいう熱血+照れ+ギャグテイストのものが無くなったなあと寂しく思ってるその半年後くらいにサンデーで「炎転」が出てきたので、こうきたか!!と。現実のスポーツで無く、特撮をベースにした学園格闘もので熱血ギャグをやっていく、というところに新しい流れを感じたものですよ。で、安永航一郎。北九州の大学に通いながらSF研に入ってたものにとっては、あれは必読必須でした(苦笑)。「どおすこい、山笠仮面参上!」とかね(笑)。
さらにいえば、「防衛軍」には伊福部あき子というキャラが出てきますが、僕の知る限り80年代のマンガで伊福部昭をベースにした名前の女子キャラを出してた作家がもう一人。
江川達也「BE FREE!」の伊福部昭子。
http://ja.wikipedia.org/wiki/BE_FREE!
まさにそういうのが同時多発的に出てきたのが80年代前半という時代でした。
gryphon 2014/10/05 09:20
ふむ、
熱血+ギャグ+照れ、ついでにパロディという漫画の登場を把握する時、小林まこと「1・2の三四郎」をどー位置付けるか。
この課題ちょっと、これを読んでくださっている漫画好きの人に○ミ\(・_・ )トゥ ←丸投げします
ただし【追記】
そのシーン忘れてたんだけど、アオイホノオの7巻には「スポ根系でギャグをやる路線は、小林まことに全部持ってかれちまった!」という場面がありました。
- 作者:島本 和彦
- 発売日: 2011/11/11
- メディア: コミック
【補遺】自分の古い島本和彦論みっけた おもろいスレへのリンク
(新連載)かっこいいとはどういうことさ。(1)島本和彦の場合 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20060502/p2
アオイホノオ 最終回 『青春とは何だ!?』 感想まとめ http://mujin.ldblog.jp/archives/41052519.html