【創作系譜論】
ゾルゲ市蔵 @zolge1
https://twitter.com/zolge1/status/548000319548821504
正義に賛同するものは「味方」であるのに、悪のそれは「手先」と呼ばれる。趣旨は違えど同じサポーターであるのにひどい話だ。考えてみろ「浦和レッズの味方」なのに「柏レイソルの手先」とかだったら怒るだろう。そんなら「秘密警察の味方」とか「愛と真実の手先」とかだって別にいいはずだ。
ははは、とひとしきり笑ったのですが、実際のところ、外国語を学ぶ時に、結構上級者になった人が次の課題となるのは、こういう言語のニュアンス的な対応だという。ナントカという名称があったはずだが…将棋は「指す」、碁は「打つ」でしょ。
それはなぜそう使い分けるんだ、といったって日本人でも困るわけで(笑)
で、文法上の問題もないから、「将棋を打ちましょうか」といってもあれで…まあ、外国語の初心者には必要のない話。
「正義の味方」という言葉を生んだ「月光仮面」。あの三日月は「イスラムの象徴」?
今やふつうの用語になっている「正義の味方」は一種の”造語”だという話は何度もしました。
「俺は正義の味方だが、どうやら正義は俺の味方ではないらしい」 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130214/p6
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_b18d.html
ところで「正義の味方」という言葉を作ったのは川内康範先生だということはご存じでしょうか。主題歌『月光仮面は誰でしょう』の中に、「月光仮面のおじさんは 正義の味方よ善い人よ」という一節がありますが、まさにこれが日本最初の使用例なのです。俺が「なぜ正義ではなく、味方なのでしょうか」と尋ねましたところ、
「(月光仮面の発想は)月光菩薩という仏に由来しているんだけど、月光菩薩というのは脇仏(わきぼとけ)でね、決して主役じゃないんだ。つまり、裏方なんだな。だから“正義の味方”なんだよ。この世に真の正義があるとすれば、それは神か仏だよな。だから月光仮面は神でも仏でもない、まさに人間なんだよ」
という明快な答えが返ってきました
で、まあ、ここの話から「月光仮面のモチーフは月光菩薩」という話も合わせて分かりますね。
ですが。昨日、別のことでリンクを張った鈴木邦男氏の回想ですが…
http://www.magazine9.jp/kunio/090708/
…城卓也が歌って大ヒットした「骨まで愛して」という歌がある。あれは南方の島に戦死者の遺骨収集に行き、そこでヒントを得て作詞したという。驚いた。全くの恋愛の歌かと思ってたのに。川内さんでなくては出来ない。思い切った発想の飛躍、転換がある。
又、こんな話も聞いた。「月光仮面」は額に月のマークがある。あれはイスラムだと言う。何を言ってるのだろうと思った。でも、考えてみると、1960年代、「月光仮面」の次は「七色仮面」で、その次は「アラーの使者」だった。だから本当なのだ。昔から、イスラムに対する憧れがあったのだろう。アメリカに対抗するにはイスラムしかないと思っていたのかもしれない。
直接、本人から聞いたという証言である。
でも「月光菩薩が元」というのもウソではないだろう。要はふたつのイメージを混ぜ合わせたんじゃないだろうか。これこそ「まぜるな危険」であり、ジハーディスト、サラフィー主義者に「ブッディズムの月光菩薩と、イスラームの三日月の象徴を混ぜましたよハハハ」と言ってOKになるかNGになるかは…「神のみぞ知る」だが(笑)、ひとつの戦後史を彩った、特撮史の元祖となったヒーローに関する貴重な証言であると思います。
お、ウィキペディアにもない情報なので追加しておこう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%85%89%E4%BB%AE%E9%9D%A2
ちなみに「アラーの使者」は、高校で世界史を学んだ時、イスラム教誕生の章に入ったとき、名物世界史教師が毎年うたっていたものです。