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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「社会的にそぐわない科学的事実は、拒絶せよと言うのか?」…スポーツ遺伝子研究者が懸念する

「スポーツ遺伝子は勝者を決めるのか?」という本がある。

飛ばし読みをしつつ、あっさりネタバレするけど「非常に個別的で、一概には言えない」的な結論らしい。
たぶん、皆が注目するであろう「陸上競技とアフリカ系」についての論考と言うか、蘊蓄、小ネタが興味深い。ジャマイカの話も出てくる。


ただ、最終章にて、こんな話が出てくる。

ハードカバー版のインクが乾くかどうかというころ、私が「一万時間の法則」を批判していることが主要ニュースとして取り上げられ話題になった。私への批判の急先鋒となったのは、Bounce(邦訳『非才!』山形浩生・守岡桜訳、柏書房)の著者であり、イギリスのジャャーナリストであるマシュー・サイドだ(訳注以前は著名な卓球選手であり、オリンピックに2度出場している。彼のこの有名な著作は高いパフォーマンスを実現する方法に関するもので、1万時間の法則、別名「10年の法則」に大いに依拠しており、遺伝子の重要性は最低限しか評価していない。

サイドがBBCラジオで一緒にインタビューを受けたときに、彼は、私が記した科学的内容に反論するのではなく、天賦の資質を認めた場合の社会的な影響について持論を展開した。遺伝的資質という概念を含む社会的メッセージは、人々の努力を制限し、潜在的能力を発揮するのを妨げる、というのがサイドの主張だ。
(略)
私に対するサイドの批判でとても気になるのは、彼にとって望ましい社会的メッセージにそぐわない科学的事実は拒絶すべきだと主張しているように見えるところだ。特定のメッセージを支持する研究をことさら取り上げ、それに相反する研究を軽視するのは、よかれと思ってなされたのかもしれないが、よくても誤解を招き、悪くすると有害ですらある(後者の例として、第11章を参照)。いずれにしても、広範な科学研究を認めずに、最適な社会的メッセージを選べると考えるのは、おこがましいように思える。魔法の数字や唯一の方法を示すよりも、個々人の生まれつきの違いについて、どのようなものが存在するのか、どれほど重要なのかをともに理解するほうが、最良の結果を求めやすくなる。
(略)‥‥私たちは、個々人の特異性についてもっと多くのデータを集めようと努力すべきであれ そこから無理に目をそらさせようとするメンタリティを受け入れてはならない。
(略)
…ある日、ある著名大学の運動学部長を取材のために訪れたとき、このようなメンタリティの典型例に出会った。その学部長は、運動をしている人間が栄養サブリメントにどう反応するかを調べたデータが手元にあるが、 黒人と白人の間で反応に差があったため、それを公表することを控えていると打ち明けた。彼は異なる民族の被験者間の差異を公に認めることによって反響が巻き起こることを危惧したのだ。その意図はともかくとして、データの公表を控えたことは、科学界ならびに 一般の人にとって情報が失われたことを意味する


医学的研究は、社会的(民主主義的)価値観と衝突することがたまにあるが、やはり「スポーツ遺伝子」の研究となると、その問題が一番はっきりくっきり、出てくるのだろうか。


なお、ここで「スポーツ遺伝子」のライバル的に登場する「1万時間の法則」とは
studyhacker.net
を参照のこと…だが、

いっけん、素晴らしく平等に見える「競争の激しい分野でトップになるには1万時間練習を積むこと。遺伝子や素質は関係ない」という考え方は、結果として幼いころから、ある分野一本に絞ってお稽古をしてきた…それができる良家の子女にのみスポーツや芸術分野での成功が約束され、たとえば中学から興味を持った子や、高校で野球からサッカーに、など練習ジャンルを変えた子、、あらゆるスポーツや芸術が楽しくて、小さい頃はいろいろやっていた、という子に「君たちは練習が『1万時間』に達するには、はじめるのが遅すぎた。だから、4歳からこの分野をやっている彼らにかないっこないよ…」という足切りをしてしまう、というのだ。
なるほど、そういう逆説はありえる‥‥。

追記 こんな話とも関係するだろうか

ike-og.hatenablog.com
…まず、政治信条に反する事実/科学的知見に接したとき人はそれを受け入れるのが非常に難しい、ということをこの件は強く示してしまっている。
彼が紹介した論文は抗議活動の可能性や戦略の重要性を実証的に指摘するものであり、問題のツイートはその結果の一部を紹介しただけである。
しかし、抗議活動を支持する人の一部からはトーンポリーシングをしていると見られてしまったうえ、科学的知見を売りにしているはずの会社から解雇されることにまでなってしまった。
学術的研究にあたっては政治信条よりも科学的な厳密さや手続きが重要なことは当然だが、研究以外のシチュエーションでは、特に政治信条を強く持っているほど、後者を優先させることは困難になってしまう。