…緊急事態宣言発布や給付金交付の遅れをみては「戦力の逐次投入は愚策」と批判し、さらにはコロナ対策はウィルス相手の「戦争」であり、「戦略」を以て対さなければならぬと唱える。平和な日本のどこに、これほど多くの軍師が‥‥…(中略)右に挙げた「戦力の逐次投入は愚策」というようなアナロジーは、兵力の集中運用によって決戦に勝ち、戦争終結をもたらすといった十九世紀までのモデルにもとづくものであろう。だが、ウィルス相手の「決戦」など在るはずもない。どこかに持てる医療リソースのすべてを投入し、そこで感染を止めて終わりなどということは夢想でしかないのだ。余談ながら付言しておくと、用兵思想の研究においても、そうした「決戦」により戦争を終結させることは十九世紀後半以降困難になったという認識は、大方の一致するところである。
以上、
著者が語る。
先月発行された『公研』5月号に掲載された拙稿「軍事アナロジーの危うさ」、ネット上でもみられるようになりました。ご一読いただければ幸いです。https://t.co/FeiuKTx1Cq
— 赤城毅/大木毅 (@akagitsuyoshi) June 1, 2020
※赤木毅/大木毅は、ジャンルによって使い分けているとのこと
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ひとつだけ「逐次投入」が当てはまるとするなら、指数関数的に増えるウイルスは、ある時期に集中してかなり厳しい隔離を行ったほうが、緩やかな隔離を長期にわたって行うより効果的で、そのために様々な資源を集中的に行うことが結果的に犠牲も少ない…という主張がある。「逐次投入を避ける」というアナロジーに関しては、まあそこに関して言えばセーフかもしれぬ。