INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

【新書メモ】「ポテトチップスと日本人(稲田豊史)」を、なぜか梶原一騎調で紹介します(一応完成)

この前の続き。

我々は、なぜかくもポテトチップスが好きなのか?
アメリカ〉の影、〈経済大国〉の夢、〈格差社会〉の波……。
ポテトチップスを透かせば時代が見える。

和洋折衷の完成形「のり塩」、洋食への憧れが育てた「コンソメパンチ」、団塊ジュニアを魅了した「ピザポテト」、
ポテトチップスを軸に語る戦後食文化史×日本人論 。

「新書大賞2023」第2位の『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ─コンテンツ消費の現在形』で注目の著者、待望の新刊!

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●目次
【第1章】 ジャガイモを受け入れた戦後日本 ――日本食化するポテチ
【第2章】 団塊ジュニアの胃袋を狙う ――大衆化するポテチ
【第3章】 欲望と消費と経済成長と ――プラットフォーム化するポテチ
【第4章】 下流社会が求めた“貧者のパン” ――ジャンクフード化するポテチ
【第5章】 経済の低迷とダイバーシティ ――国民食化するポテチ


この本を読んで、内容をメモ的に記録する【新書メモ】をかき始めたのだが…

※【新書メモ】は準タグで、この言葉でブログ内を検索すると、これまでの関連記事が読めます
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内容があまりにドラマチックな話が多かったので、ついつい脳内の梶原一騎が起動して、そういうふうに脚色されてしまい、この前のプロローグ記事になった
 ↓
m-dojo.hatenadiary.com



以下は、ずっとやってると話が進まないことが分かってるので、基本真面目にかくけど、ところどころで上記「心の梶原一騎」が干渉するから、そのつもりで読んでね(笑)
では、アメリカでポテトチップが生まれるまでは過去記事として…そこからスタート。

歴史に名高い「岩倉使節団」は1872年、ポテトチップス発祥の地サラトガスプリングスに宿泊しこの地の名産である「蛮薯の油煎」を食したと記録にあるーーー。


この当時は…いや今もなおアメリカではポテトチップスは料理の一つであるという意識が強いが(後述)、その後1920-30年代、食料点での袋売り、包装しての販売などに進化していく…。

さらに禁酒法が廃止されて酒の需要が高まったこと、第二次対戦中に砂糖は配給制になったが塩とじゃがいもの供給に不足はなかったためポテトチップスは配給制から免れて戦争中も普通に作られたこと…こと多くの要素が相まってアメリカでは動く一般的な食べ物になった。



そして…!この食べものを本格的に日本に持ち込んだのは濱田音四郎!

船の乗組員としてハワイに寄港したところ、出航時間に間に合わず置きざりにされ、そのまま現地で働き始めたとの逸話を持つこのタフガイは、終戦後に帰国…進駐軍が祖国で食べていたポテトチップを日本でも食べたい、との需要があることを見抜き洗濯機の脱水機を改良したり、フライヤーを日本国内で製造するなどして現地生産
今も続く「フラ印」のポテトチップを製造し始めた!!!

さあ、日本に上陸したポテトチップ、いやが上にも嵐を呼ぶ!!!




占領が終わり進駐軍が引き上げたため、日本市場の拡大を狙った音四郎はこう回想する…

「当時じゃがいもはさつまいもより下に見られていたのでケンもホロロ…
『ナンダッ、ジャガイモなんて持ってきやがって!消え失せろっ』とね(ちょっと梶原一騎入ってきました)」


「ここ日本ではな、戦時中に米が食えずジャガイモが「代用食」だったイメージがあってな…印象が悪いのだ」


だが…濱田はあきらめなかった!経済復興と共に消費量の増すビールに最適なおつまみ、として売り込むほか、じゃがいもの本来のほくほく感がなく、従来の代用食イメージとは切り離されていることもあいまって…徐々に浸透していった。


そして、その味に驚愕した青年社長がいた!長野県諏訪市の出身の小池和夫……自分の会社には、故郷の諏訪湖のように大きくなれ!との野心を込めて、こう命名していた。
その名は…湖池屋!!!



フラ印のポテトチップは、懐の暖かい占領軍の御用達、そして酔客向けの飲み屋のおつまみ…そのようなところが売り込み先だったため35g36円となかなかに高価……

湖池屋は、こう考えた!!
「も、もしこのポテトチップを…子供のおかし並みの値段で、手軽に販売できたら?」


しかし、米国帰りの濱田…フラ印と違い、小池のポテトチップス製造は全くゼロからのスタート…。

「クソッ、なぜ同じ温度でもじゃがいもが焦げたり焦げなかったりするんだ?」
「しゃ、社長、わかりましたあ!収穫後の貯蔵の仕方…冷蔵庫か常温の倉庫かでジャガイモの持つ糖分が変わってくるんです!」


そんなところからの試行錯誤がつづく…。
現在の湖池屋会長、小池孝は、父親の苦闘の姿をこう思い出す…

「4歳か5歳くらいだった僕は工場によく遊びに行っていたけど、あげるのに失敗して黒焦げのポテトチップスがいつも大量に積んである。それをちょっとつまんで食べてみると当然まずい(笑)一体何を作ってるんだろうってね」

しかし…
湖池屋のポテトチップは立派に作れる!一人の超大物お菓子業者が製造法を指導するからな!」
「エッ、そ、その超大物とは?」
「わたしだよ…それとも、フラ印の濱田は 超大物ではないかな?」
「は…濱田さん!」
小池は泣いた、泣いた、ただ泣いた!!!!


※…といいつつ、この新書ではそういう伝説があった、ということは紹介しつつも、こと湖池屋との関係では事実ではないだろう、と推測している。多くの異説異伝も検証しているので、この新書は面白い。上は引用者の、ただのノリである(笑)


ノリといえば…

「わが社…湖池屋は、のり塩ポテトチップで勝負するぞ!!」
「エーーツ!そんなポテトチップは当然アメリカにも存在しない!!イヤハヤ、社長の決断にはいつも驚かされます!!!!」

ここから、ポテトチップ発祥の地アメリカとは姿形を変えた、日本独自のポテトチップの歴史が本格的に幕を開ける!!!


第二部

そもそも じゃがいも とは いかなる 芋 なのか?様々なデータを総合するとーーー
米や小麦が育たない 寒冷地や乾燥地帯でも育つ タフさ!
75日程度で生育する速さ、 最大の 手軽さ! 小麦の3倍とも言われる 生産量!
デンプン ビタミンミネラルなどを含んだ 栄養素
茹でたり焼いたりすればすぐ食べられる 手軽さ

それゆえに じゃがいもは「貧乏人のパン」じゃがいも畑は「怠け者のベッド」とも言われるーーー
日本でも 江戸時代に輸入され 広まったが、 寒冷地の北海道では まさに 開拓の命綱… さらには 繊維産業の糊として じゃがいもから作られる でんぷん 需要が爆発的に高まった!

しかし 戦後、 ジャガイモの運命は さらに激変する!

米が足りない時の代用食 という不名誉なイメージがついた ほか、でんぷんの供給は コストがほぼ半分とも言われる「 コーンスターチ」の輸入によって満たされ始めたからで…

それゆえに、 湖池屋らがのろしをあげた「ポテトチップス 革命」は、 じゃがいもにとっても 将来の希望だった!!

しかし日本のじゃがいもが、 ポテトチップス 革命を担うためにはもう一人のキーマンが必要だった… それこそ 「北海道のドン」!!

ポテトチップスのナゾは、いよいよ核心に迫る!!

正体追求はいよいよ謎の核心に迫る! プロレススーパースター列伝 

北海道のドンとは?

数年前、 100作目の連続テレビ小説 として話題を呼んだ「なつぞら」!
そこに出てくる主人公・なつの養父のモデルといわれる……ホクレン会長!! その名も 太田寛一!!!!


その時 湖池屋は、 のり塩 チップの大ヒットで生産量が急増、 プライヤーによる大量生産に踏み切ったものの、 思わぬ 苦闘をしていた!

「ウーム、なんでこんなに、 あげた チップの品質が安定しないのだ?とにかく一定の品質、 味を保たなければとても 大量生産は無理… 様々に 製法を見直しているのだが」

「フム… 分かったぞ、 ズバリ、それはジャガイモの方の統一が必要!! 大きさ、 品質、 品種… 全てを一つの規格にして加工できなければ 大量生産は不可能だっ」


そこで湖池屋創業者・小池一夫と、北海道のドン・太田の直接対決が実現する…

「まさか太田さん、あんたが直接来るとは…」
「わしの子分はみな弱いから、わしが来るしかないんじゃ 手下(てか)が強けりゃ昼寝してるわい ポテトチップがなんぼのもんやっ、どっからなりと来さらせっ!!!」

「よそう…」
「わかっとりゃええ!」


そんなことで肝胆相照らした2人は、前代未聞の大型取引を締結!とほうのない大量の、均一なジャガイモを、決まった価格で毎年一企業の湖池屋に卸すーーーこれにより湖池屋の大量生産は可能になると同時に、北海道の農民に安定した収入基盤が生まれた!!!


しかし・・・そんな順風満帆に見えた湖池屋の前に、ついに最大最後の敵が現れた!!
それが広島に本拠を置く「西の大巨人」カルビーだった!!!

「ううっ、広島の武闘派・カルビーがついに動くか!」
この情報は、当時のポテトチップス業界にとってまさにマグニチュード10の大震災!!!


カルビー…たしかに後発だが!!もち米原料で作っていたあられを、小麦粉で作る、そんな代用と創意工夫が持ち味!
すでにその実力は「かっぱえびせん」によって誰もが認めていた!!
そして彼らは官憲…北海道幹部のほうから「まだまだ北海道にはジャガイモが余っている、なんとかできないか」と相談を持ち込まれて、既にパイプが生まれていた。
さあ「殺しの軍団」カルビーの全国侵攻は、まさに大車輪!!

「通れるだけの細い道を開けてください さもないと大岩を転がしますよ」


その言葉通りーーーーーーーーーーーーー彼らは、1袋100円!!まだまだポテトチップが高級品だった当時としては破格の安値!!
業界は騒然とし…盟主湖池屋は、ついにカルビーに「参入はいい、だが中小企業をつぶすような価格は…」と歩み寄りを求めたが、
カルビーは答えた!!
「広島カルビーのポテトチップは芋かもしれんが(※いや芋だよ)、旅の風下に立ったことは一遍もないんで。おどれらよう覚えとけや!」
www.youtube.com

実際に、ここでカルビー湖池屋の長い闘いが始まる!!
カルビーは、あらたに「うすしお」味を掲げた!当初は受けて立つ立場の湖池屋
「ふん…うちより50円安い!!まあ、それが妥当な味と品質だゼ」「安かろう悪かろうとはまさにこのこと…」と余裕を見せていたが!!


カルビーの本領はまさにここから!!走りながら考える!!徐々に品質は向上し、シェアを奪っていった!!
さらに、カルビーはかくなる戦略を立てる!!

「ポテトチップは、生鮮食品だ!!!」


ひとまずの読み切り

紹介者の体力と集中力の限界で、 ここからはダイジェストとなるが……

カルビー はポテトチップを 生鮮食料品と位置づけ、 営業部隊の徹底した店頭の商品の日付チェック、 日光の影響を受けないアルミ蒸着式の袋の採用( この変化を覚えている人もいるだろう)、 さらに 湖池屋をかつて 助けた ホクレンを飛ばし、 個別の農家や農協と交渉して じゃがいもを調達する方針を取り ホクレンと全面対決する!!

味においても日本で「コンソメ」を これが広めた とも言える「 コンソメパンチ」 味を前線に投入! 大ヒットを飛ばす !1990年代には映画「ET」 などの影響によって広く知られるようになったピザの味を気軽に楽しめる ピザポテトを開発 定番とした。

湖池屋はそれらの猛攻 に対して 例えば 80年代に激辛 ブームを産んだ「カラムーチョ」を 大ヒットさせ、 独自の地位を築く。


もちろん 他のメーカーも「わさビーフ」 や無添加の「できたてポテトチップ」などで存在感を発揮!!

これらの努力を忘れなければ まだまだ デブをハッピーにしてくれるはず!
(了)