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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

種痘を広めた町医者を描く吉村昭「雪の花」紹介―「人類は、感染症に打ち勝つ」の誓いと、没140年の慰霊を込めて。

今年はとにかくコロナウイルスの年で、当ブログも関連記事がすごく多くなったし新聞やテレビのニュースも、未だにほとんどがこの話題で終始している。

今なお予断は許さないものの、
それでも人類は、コロナウイルスを克服する(共存、という言葉を使う人もいるかもしれないがまあどちらでも構わない)、と信じている。
そんな希望を、この本から見出したい。

吉村昭「雪の花」である。

雪の花 (新潮文庫)

雪の花 (新潮文庫)

  • 作者:昭, 吉村
  • 発売日: 1988/04/28
  • メディア: 文庫

数年ごとに大流行して多くの人命を奪う天然痘。それに絶対確実な予防法が異国から伝わったと知った福井藩の町医・笠原良策は、私財をなげうち生命を賭して種痘の苗を福井に持ち込んだ。しかし天然痘の膿を身体に植え込むなどということに庶民は激しい恐怖心をいだき、藩医の妨害もあっていっこうに広まらなかった……。狂人とさげすまれながら天然痘と闘った一町医の感動の生涯。


吉村昭は短編の名手と言われることも多く、上下巻に渡るような大長編も書くけれど、ページ数で言ったら結構少なめの、 読むのに手頃な中編と長編の間ぐらいのボリュームの作品も書いている。この作品もまさにその中編と長編の間ぐらいの作品でページ数で言うと文庫本は本編で160ページほどであり、今回再読した時も(再読だからということもあるけど)1時間かそこらで読めたような気がしたな。
だが読後感は非常に爽やかと言うか端正と言うか、自ずから居住まいを正したくなるような、そんな作品なのである。

今の福井県、つまり福井藩漢方医・笠原良策は 天保年間に猛威を振るう天然痘の脅威を目の当たりにした。
当時の幕府は巧妙な漢方医を集めて意見を求め、治療法の標準を定めるとそれを各藩に伝え領民を救うよう指示したが、それは「牛の糞を黒焼きにし粉末にして服用せよ。その牛は白黒茶の体毛を持った牛がいい。」というものでな…いや、当時の幕府が治療法開発やそれを全国に伝えて民の保護を命じたそれ自体は、結構評価に値するのだけど治療法でなぜそれを選んだ、という、 何と言うか「残念」な話でな…ちなみにこのお薬、大変まずい味だったらしい(当たり前だ)。



この治療法の効果のなさを第一線の医師として嫌というほど感じた笠原だったが、さりとて代わりの治療法があるではない。 疲労困憊した笠原が福井内にある山中温泉蘭学を学んだ加賀の大武了玄と知り合うところから物語は動き出す。
蘭方医学に興味を持った彼は、京都の日野鼎哉という学者の門をたたき、正式に オランダ 医学を学ぶ。
そして師匠から、一冊の本を見せてもらう。日本より先にジェンナーの種痘法を輸入した中国で書かれた漢文の種痘手引き本、邱浩川の著した「引痘略」だった。


(ちなみに中国への種痘はスペイン→中央アメリカ→南アメリカ→フィリピン→そしてマカオに伝わったという)
実はこの種痘法が日本に来る前は前史があり人の天然痘を由来に予防しようとする「人痘法」が1700年代に長崎に伝わり 寛政年間には九州でかなり広がっていたようなのだ。 この方法は清の乾隆帝時代に完成した医学書にも記されている。
ただこれは欧州でも同じなのだが、はじめその「天然痘は一度かかれば免疫がついて二度とかからない」→「じゃああらかじめごく軽い天然痘にかかることで重病化を防ごう」というアイデアまでは出ていたのだが「人の天然痘を人にうつすやり方だと、結局症状は普通に発病するのと同じような重さになりかねない」という欠陥があり廃れてしまっていたのだ。



※昔の人の名誉のためにいうと、「人痘法」はちゃんと、軽症で済むような工夫を重ねていたんですよ。ここまでひどくはねえ。それでも、不十分だったというだけで。


で、その問題をクリアしたのが、ジェンナーによる、牛痘を利用した画期的な方法だったというわけです。
日本にこれ以前に伝わらなかったかと言えば、シーボルト始め何度か伝わったのであるが…様々な事情により定着はしなかった(その理由に関しては、後でちょっと解説するが詳しくは同書を読んでください)。

なんとか種痘法を日本に定着させる方法はないか…知恵を絞った高山の頭に一人の人物が浮かぶ。それは福井藩主にして幕末の四賢侯の一人と言われた松平春嶽その人である。人物評に毀誉褒貶はあろうが、西洋の文物を取り入れるという点では間違いなく開明的であった松平春嶽の力なら、種痘法を取り入れてくれるかもしれない。また単純に 種痘法を海外から輸入するだけでは心もとない「権威ある組織の公認」も得られるかもしれない―。
福井の医者である自分だからこそ生まれた実現可能性に気付いた高山は、この時から「全てを投げうって」日本に種痘法を定着させることを誓う。
嘆願書には 、天然痘
「国家人民の厄難是より大なるものは更に無御座侯」「然るに近世西洋において此病を免れ候 良法発明に相成り申し候」 「此痘苗の有無は数百人の生命に関わり候へば何卒1日も早く手に入申度義に御座候」
さらに、ここがすごいのだが、こう付け加える。
「その費用は私方にて残らず差出し申す可く候 願の通りご周旋の程伏してお願い奉げたてまつり候」…と。

この小説の中では、主人公から妻にこう言わせている。
「前もって言っておくが、仕事を果たすためには莫大な費用がかかる。私たちは一文無しになるどころか、背負いきれぬような借金を背負わなければならなくなるかもしれぬ。しかし多くの人がそれで救われるのだ。お前にも苦労をかけることになるが、今から覚悟しておいてほしい」



しかし最初の正規ルートでの陳情書提出はそのまま棚晒しとなり、握りつぶされる。君主本人がいかに開明的と言っても下の官僚組織が、それに合わせて動いてくれるわけではないのだ。しかも藩内には微妙なパワーバランスや権力闘争もあり、現場官僚にとっては下手に動くことこそが危険であったりもする(え?この部分こそが、今のコロナ危機を思わせるって?)
そして無策のまま2年が経過し、再び天然痘の流行が発生する…高山は、意を決して、正規ルートではなく藩医半井元沖から側用人中根雪江を通じて歎願、松平春嶽からの許可を得ることに成功する。しかも松平春嶽は、当時の老中である隠れた傑物・阿部正弘からの正式な輸入許可も取り付けていたのだ。

その許可に前後して、後に幕末維新で決定的な役割を果たす佐賀藩鍋島直正が、一種の独立王国として自分の藩で種痘を広めることに成功。
長崎にはすでに種痘の株が広まり、ついには京都にまで株が届いた。それを故郷の福井に持ち帰り広めることを誓った高山が詠んだ和歌がある。
「たとえわれ 命死ぬとも 死なましき 人は死なさぬ 道ひらきせむ」


だが当時の牛痘は・・・・・・ここからがドラマ的にスリリングになるのだが、株はちょっとしたことで効力を失い、成功率がイチかバチかになってしまう。しかも、ウイルスと同様に、「人から人に」次々と植え付けて広げなければ消滅してしまう。さらには、それができるのは、種痘を植えられた人に痕が出てから七日めぐらい…という、厄介な制約があるのだ。(シーボルトの時代に、種痘法が普及しなかったのはこれが理由。海路の輸送では株の効力が無くなってしまい、輸入が難しかったのだ)

予防法である種痘は基本、こどもに接種する。
笠原は、福井に京都から種痘を持っていくために、 家族ぐるみで幼児二人を雇う。まず彼らに接種し、家族とともにそのまま福井に連れて行くことを計画したのだ。
だが時期は旧暦の11月。早くも福井と京都の間の山岳地帯(栃ノ木峠)は大雪に見舞われたという連絡が……それでも当時の種痘が持つ「タイムリミット」を考えると、この豪雪地帯を幼児を連れて越えなければいけないのだ!!

地味な医学的ドラマであるはずのこの作品が突如として冒険小説のようなドラマチックな展開を見せているのだが(笑)、事実なんだからしゃーない。



そういや、ドラマといえば、創作だったら「いかにも大物ゲストを特別出演させたいために作ったシーンですなあ」と揶揄されかねないような展開がこの前にある。
大阪で、これまた蘭学と医学のために生涯をかけた大物中の大物、福沢諭吉が最も敬愛した師匠である緒方洪庵」が登場する。緒方洪庵の大きな業績の一つである、関西方面での種痘の普及は、そもそも笠原から分けてもらった株によるものだったのだ。
その株を得るために、無名の福井の医者に頭を下げる緒方洪庵も、「天下の福井藩」がもらった株であることに伴う、様々なしがらみを超えて分け与えることに成功した笠原も、ともに偉大であった。


この決死の……実際、一行が本当に九死に一生のピンチを体験した「栃ノ木峠越え」で話を終えられれば、英雄的医学者の英雄譚で終わるのだが…そこからまたうまくいかない。


大阪でも長崎でも相当に、この新医術、しかも免疫を得るために軽い病を自分からかかりに行くという、この療法が普及するには大変な苦労をした。
それより田舎で保守的な福井で、いかに藩の許可があったとて周囲の理解がスムーズであるわけがない(今だって反ワクチンカルトは猛威を振るっているのだ)。

いくら声を大にしても、なかなか子どもに種痘をしてもらおうという親が出てこない。上記のような理由で、種痘をしてもらう子供がいないということは、単に「暇だねー」ということではなく、その株が死滅してしまう、ということなのである。


絶対に必要な、福井藩という行政の協力が、旗振り役の藩主の地元不在もあり「否定もしないけど積極的な協力・推進もしない」という曖昧なもので(今のコロナウイルスの以下略)…。
天然痘はこの地域では何もかも破壊する「めっちゃ」と呼ばれていたが、笠原は保守的な地域からは「めっちゃ医者」というあだ名をつけられた。もちろん「天然痘を予防してくれるありがたいお医者さま」という意味ではなく「天然痘を広めようとする恐ろしいマッド医者」という意味で、 時には石を投げられるまでする。


埒のあかない状況、せっかく根付こうとした種痘の株が死滅するかもしれない危機に、ついに覚悟を決めた笠原は「直言一条他見禁」という、およそ江戸時代にはありえないような激烈な行政批判を率直に記した 口上書をつくり、提出した。
一歩間違えばご政道批判で打ち首もあり得るようなものだったが、結果的にこの訴えは福井藩に届き、公の「除痘館」も設置され、じわじわと推進の体裁が整う。
さらに、100の説法も一の証拠にしかず。種痘を行った子供の天然痘死亡者が、 うまく種痘が定着しなかった、たった1名だったという事実が、種痘の市民権獲得に何よりの力となった。


時代は激動し、松平春嶽が支えようとした幕府も崩壊、世は明治となったが、笠原は淡々と福井で天然痘防止のための 須藤に力を捧げた。
明治13年8月23日逝去。今年は笠原良策の、没140年に当たる。


関連リンク
ja.wikipedia.org
sites.google.com
rekishi-club.com


種痘拡大の歴史については、もう少し勉強して包括的なものを書きたい。

資料は多くの協力を得て結構集まっている。
緒方洪庵適塾の業績を伝える資料を、現在の博物館で出してある奴をもらっているし、「まんが医学の歴史」、手塚治虫陽だまりの樹」、みなもと太郎風雲児たち」などなどの画像資料を得ている。フィクションとしての天然痘のモデルにした病気と 治療法を書いてあるという点ではよしながふみ「大奥」などもある。

風雲児たち 17巻 (SPコミックス)

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大奥 10 (ジェッツコミックス)

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まんが医学の歴史

まんが医学の歴史

  • 作者:茨木 保
  • 発売日: 2008/02/01
  • メディア: 単行本

内容紹介
1798年にジェンナーが発明し瞬く間に世界にひろがった種痘。しかし「鎖国」政策下の日本への導入には50年の歳月を要した。最新技術を日本に伝え、広めようとする苦闘のなかで形成されていった国内外の医師や学者の知的ネットワークを辿りながら、その後の日本の近代化を準備することにもなった彼らの営みを生き生きと描き出す。

m-dojo.hatenadiary.com



例えばジェンナーを生んだイギリスを拠点にして、種痘法が広まった地域を徐々に色をつけて拡大していく様を視覚化する、 なんて動画も…技術的に作れればねぇ…

まあそういう「種痘物語」を描きたいという夢想の中には、この感動的な吉村昭の傑作「雪の花」 をご紹介したいという項目も確実にあったので、そのうちの一つを先行して実現することができた、 ということです。


これら偉大な先人たちにあやかって、人類がコロナを克服せんことを!!!

(了)