いきなり余談。
「銀河英雄伝説」をゲームにすると、あまりにも帝国側が優秀な軍人が多い一方、自由惑星同盟側はその数が足りなくて人的なバランスが取りにくいー とはよく言われる。信長の野望も、少なくとも初期のバージョンでは武田信玄があまりに武将が多すぎて強すぎた.…。みな実感あるよな?
で、幕末の日本ではどうだろうか。すぐれた政治家、識見ある開明者が意外にたくさん旧幕府にいて、実は明治日本の躍進の礎を人知れず築いていた…というのは小栗上野介や、川路聖謨などの事績が知られて、徐々に常識化していったけれども、純粋に軍事シミュレーションを作ると…やっぱり討幕側、官軍側に有利になってしまう気がする。 個人的な剣術だと、新選組がいるけれどね。…とくに、将軍様を直にお守りする旗本直参たちが、江戸300年の太平に慣れ切って使い物にならなくなってた、と言われたりしてました。
ところが、そんななかで異彩を放つーーちゃきちゃきの江戸っ子で、旗本のいいところに生まれたサラブレッドだけど、剣の腕前はスーパースター級で軍事指揮者としても一級品、という人がいたんですよ。そこにおまけして、のちに戦闘で隻腕になったというキャラ付け(キャラつけ言うな)、さらには…というかこれが一番、一部ファンには重要かもしれませんが、当時からとにかく「見目よし」「眉目秀麗」などと描写されまくったイケメンらしい(笑)。
それが江戸の小天狗こと「伊庭八郎」。
そして、彼を描いた漫画「MUJIN-無尽ー」が現在、ヤングキングアワーズで連載されています。
伊庭さんのことなんて昔から知ってたよ、というか超有名人でしょ?常識だよ、という方にはスマン、
自分が知ったのは、たしか山内昌之の産経新聞コラム「幕末から学ぶ現在」で紹介された時だから、俺もにわかだ。
あるところに、転載されて残っているようだね。
【幕末から学ぶ現在(いま)】(45)東大教授・山内昌之 伊庭八郎 (1/3ページ)
2010.1.14 08:08伊庭八郎には不思議な人気がある。「伊庭八郎の会」なる同好の士の集いもあるらしい。おそらく「歴女(レキジョ)」なる好学の女性たちの間にもファンが多いのではないか。
江戸の女騒がす麒麟児
幕府の直参だった八郎は、将軍の家茂(いえもち)に随行して西下しながら、鳥羽伏見の戦いで敗れ、江戸に戻った。その後も、蝦夷(えぞ)地に転戦して幕府瓦解の悲劇に殉じたヒーローである。日本人好みの滅びの美学に加えて、颯爽(さっそう)とした男前ぶりも人気の源であろう。背丈は5尺2寸(158センチ)と小柄であったが、とにかく「白皙(はくせき)美好」とか「眉目(びもく)秀麗、俳優の如(ごと)き好男子」と評判が高かった。
剣も達人の八郎は、幕末江戸四大道場の一つ、御徒町の「練武館」を主宰した心形刀(しんぎょうとう)流宗家・伊庭家の御曹司という毛並みの良さだった。「伊庭の麒麟児(きりんじ)」は気風のよい江戸っ子の典型なのである。芝居や錦絵に登場する役者めいた男がそのまま当代随一の剣客だったのだから、江戸の女たちが…(後略)
「MUJIN」は基本的に史実に添った作品なのだけど、だからゆえに、というか、最初にこのひと…伊庭の経歴を知った方が分かりやすい(※ただし、史実だけれどもネタバレになります!そこのところは自己責任で。)
伊庭 八郎(いば はちろう)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての武士・幕臣。諱は秀穎(ひでさと)。隻腕の剣客として知られる。
生涯
天保15年(1844年)[4]、「幕末江戸四大道場」の一つに数えられる御徒町の剣術道場「練武館」を営む心形刀流宗家を、養子となって継いだ伊庭秀業の長男として江戸に生まれた。伊庭家では実力のある門弟が宗家の養子となって流儀を継承することが多いが、秀業も実子ではなく養子とした秀俊[2]に継がせており、秀穎はこの義理の兄にあたる秀俊の養子となって後に宗家を継ぐことになる。
幼少の頃は剣術よりも漢学や蘭学に興味があり、剣術の稽古を始めたのは遅くなってからだったが、次第に頭角を現し“伊庭の小天狗”“伊庭の麒麟児”と異名をとるようになる。元治元年(1864年)、江戸幕府に大御番士として登用されると直ぐに奥詰(将軍の親衛隊)となった。幕臣子弟の武術指導のための講武所がつくられると教授方を務めた。
慶応2年(1866年)に奥詰が改編され遊撃隊となると、八郎も秀俊と共に一員となった。慶応3年(1867年)10月、遊撃隊に上洛の命令が下り江戸を出立した。遊撃隊は将軍を大阪まで護衛した後、伏見に布陣。翌4年(1868年)1月、鳥羽・伏見の戦いが勃発
試し読みにもリンクを張って、もうすこしこの物語と史実にそって話を続けよう。
けっこう試し読める部分だけで面白いよ。
sokuyomi.jp
一読して思うのは、「裕福な、いいところの、おぼっちゃんの善良さ、まっすぐさ」を描く作品だなあ、ということです。漫画やエンターテインメントの中では、主人公がやはり読者に「よりそう」必要があることもあって、こういうタイプはそれほどに一般的ではない、と思う。いささかギャグ気味に、金や権力で難題を解決!みたいな属性を使うために大金持ち設定だったりすることはあるけど、ナチュラルな形で「名家、金持ちのところで育った主人公が、それゆえにかっこいい」というと身もふたもないものな(笑)。ただ、そういうふうな作品やキャラクターの心地よさというのも確実にあって、少数ながら系譜をたどることもできるでしょう。
自分が真っ先に思いつくというか、この「MUJIN」を読むたびに思い出すのは、ここでも何度か言及している村上もとか「龍」だが、キャラクター性は、非常に共通している。(その村上もとかも最近「侠医冬馬」の中で重要人物として伊庭を登場させた。)
MUJINの伊庭八郎は実在の人物だが、龍と同じように家の経済状態も家格も何不自由ないのに、分け隔てなく、身分の低い人たちに対しても敬意と明るさ、人懐っこさを失わずに接している。そして剣の腕はめちゃめちゃに立つ。女性にもてる(笑)。そして、彼を狂言回しにして、同時代の偉人有名人が重厚な群像劇を演じてくれる。
そんな話なんですよね。
で、これも史実らしいんだけど、ドン=キホーテにサンチョ・パンサがいたがごとく、伊庭にも従者・荒井鎌吉という男がいて、このひとは元料理人。というか、その料亭に伊庭八郎や榎本武明らが常連となったために親しくなり、戊辰戦争の時に板前をやめて従者になったそうだ。
江戸の下谷広小路(現在の上野広小路駅北側)の料亭・鳥八十(とりやそ)で、板前として働く。
鳥八十は当時の江戸の料亭番付にも名が載る高級料亭で、榎本武揚や伊庭八郎たちが贔屓としていた。万延元年(1860年)には鳥八十で丙辰丸の盟約が行われ、明治時代には榎本武揚が足繁く通い、高級官僚の談合が頻繁に行われていた。
ある時、常連客だった伊庭八郎と意気投合し弟子となり、伊庭の実家である下谷御徒町の剣術道場で心形刀流を学ぶ。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争が勃発すると、旧幕府軍遊撃隊の伊庭八郎の従者として箱根戦争(箱根山崎の戦い)に従軍…(略)……伊庭の死を見届けた後、彼の遺品を預かり、伊庭家の菩提寺の貞源寺へ届ける。
明治32年(1899年)9月10日、上野東照宮で行われた『旧幕府』史談会「伊庭八郎を偲ぶ会」に伊庭想太郎に伴われて出席、戊辰戦争の談話を語る[2]。その後の消息は不明。
MUJINは、その人物が語り手なので、うまいぐあいに、昨今はやりのグルメマンガ的な要素として、必要以上に当時のうまい料理の話が出てくるのであります。
実は「栄光なき天才たち」の作者森田信吾が、MUJINに先駆けて2005年に「伊庭征西日記」という、伊庭が将軍護衛に伴って京都に行った時の日記をもとにした全一巻の漫画を描いているのサ(唐突に勝海舟調)。
だけど、その中でもこう書かれているネ。
この時期に数多く残された、勤王の志士と言われる者たちの日記には、判で押したように…所謂”時勢論”を語るものが多いーーー
だが一方、幕臣・伊庭八郎の「征西日記」には、見事に一行も、そのような記述はない‥ただ、自らの業務と、京・大阪での物見遊山、そして食事の記録だけが、事細かに書かれているだけである。
こういう解説書も、2年前に出ている
ま、そんなところも、すこし浮世離れした、坊ちゃんとしての伊庭の良さが出ているのかもしれない。
あまり数も出ていないであろう、この森田信吾版の伊庭八郎と、MUJINの伊庭八郎を比べると、まだMUJINでは描写されていない、「伊庭が肺病(結核)を患っていた」という部分を強調していることと、確かに江戸っ子の気質でもあろう、都会人的な「皮肉っぽさ」、鼻っ柱の強さも描いていて、ちょっとニュアンスは違うのだけど、それもまた読み比べの楽しさ。
あと、MUJINは、森田漫画では当然描ききれないような、幕末が折り返し地点を迎えて少し先の、まだいくぶんのどかな…、そしてその反面でさまざまな「水面下の駆け引き」が行われている江戸の政情を、いろんな手法…特に道場や料亭に、ちらりと重要人物が登場するような形で…描いている。
これは逆に「風雲児たち 幕末篇」と読み比べるべきものかもしれない。たとえば、いまだにわからない部分もある「山岡鉄舟は勤王討幕運動、それに結び付いて頭角を現した清河八郎とどのような関係にあったか」といった話。山岡はお人好しで騙されたのか、あるいはもっと深く、積極的な役割を果たしていたのか…そんな部分も描かれています。
そして、新選組…これは森田版では京都で初めて出会うことになっているが、MUJINは上洛前の江戸ですでに親交を結んでいることになっている。この新撰組描写もみどころのひとつだろう。やはり「気持ちのいい男の集団」として描かれている。まだ血にまみれる前だからだけれどもね…
夏目房之介氏は知るのが遅く、今年になってから読んだそうだが、このように絶賛している。
いやあ、面白い! 今まで知らなかった不明を恥じるよ。表紙に見覚えはあったけど、神保町高岡書店でたまたま見つけた5巻を買って読んでみたら、これが無茶苦茶面白くて、一気にハマった。1巻から買いなおし楽しみながら読んだ。最近では珍しく仕事抜きのマンガ読みになれた作品。時代劇と歴史ものの中間的な感じで、テイストは藤沢周平っぽい。何せ、出てくる男も女もかっこいい。粋で気風がいい。そういうとこは上質の時代劇。でも、講武所の月代の形とか、考証っぽいとこもあり、やや類型的ながら歴史ものの骨格もある。歴史好きには、うれしい娯楽作品
佐幕側の、強いキャラもいろいろ発掘されてきたようだね。
「歴史秘話ヒストリア」で最近、あいついで佐幕側のヒーロー発掘みたいなのをやってた。
これはある意味で、そっちのほうには今までスポットライトが当たっていなかった、ということの証明でもありましょうが…
大名自身が脱藩して(チャゲ&ASUKAからASUKAが脱退、みたい…)、佐幕側に加わって戊辰戦争を戦った例だとか、実は庄内藩軍は、戦闘自体は連戦連勝だったとか…それもまた面白い。
www.nhk.or.jp
最後の大名 時代を駆ける
●本放送 令和元年 7月24日(水) 22:30~23:20 総合 全国
エピソード1 殿様が「脱藩」した理由「ウサギ」こそ林と德川両家の絆の始まりだった
20歳で請西藩(千葉・木更津)の藩主となった林 忠崇(はやし・ただたか)。容姿端麗、文武両道で将来は老中ともいわれた德川幕府きっての逸材でした。しかし、時は幕末。大政奉還、戊辰戦争と時代が激動する中、德川家への忠義と藩を守ることの板挟みになった忠崇は決断します――「脱藩いたす!」
エピソード2 一文字大名の戊辰戦争
誇りある德川第一の家臣『一文字大名』林家、そのあるじ忠崇の新政府軍との戦いが始まりました。緒戦は箱根関で勝利するなど健闘しますが、東北諸藩の『奥羽越列藩同盟』と共に戦うも時利あらず。敗退の忠崇に「新政府が德川家存続を許した」との一報が…やがて忠崇は、辞世の句をしたためます。
西郷と最後まで闘った男
●本放送 令和元年 9月 4日(水) 22:30~23:20 総合 全国※放送予定は変更されることがあります。地域によっては放送の有無もあります。
当日の新聞・最寄りのNHKのHPなどでご確認下さい。
エピソード1 酒井玄蕃 参上!美男、文武両道だった酒井玄蕃(ドラマパートより)
幕末、江戸を警備した山形・庄内藩。重臣の家に生まれた酒井玄蕃(さかい・げんば)は自身も刀をとって治安維持に尽力します。そこに立ちはだかる薩摩藩の西郷隆盛。武力で徳川幕府打倒を図る西郷は、江戸をかく乱し幕府を挑発。幕府はまんまと乗せられ、警備の庄内藩に薩摩藩屋敷焼き打ちを命じ……。
エピソード2 鬼玄蕃の誓い
旧幕府VS.新政府「戊辰戦争」開戦。玄蕃の庄内藩は新政府から敵と名指しされました。部隊長となった玄蕃は「破軍星」輝く北斗七星を旗印に。これは敵を滅ぼすも自身にも災いをもたらしかねない不吉の星。この旗に決意を込めた玄蕃は、たくみな用兵で強大な新政府軍相手に奮戦「鬼玄蕃」と恐れられます。「破軍星」を背に玄蕃は戦った(ドラマパートより)
エピソード3 希望は憎しみを越えて