「近代食文化研究会」さんについてはこのブログでの紹介も多いし、「説明不要」としていいかな。
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この前の名著。
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そして・・・・・
まもなく発売される『牛丼の戦前史』。
— 近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」9月上旬発売 (@ksk18681912) September 3, 2019
第一章では、吉野家の歴史を検証します。
いままで吉野家の歴史といえば吉野家自身の「大本営発表」しかありませんでしたが、様々な資料から客観的にこれを検証します。
例えば、吉野家創業者松田栄吉が昭和10年に作っていた牛丼とはどういうものだったのか。
— 近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」9月上旬発売 (@ksk18681912) September 3, 2019
断片的な証言と、当時の牛丼に関する豊富な資料から、その内容を推測します。
その結果明らかになったのは、現在の吉野家の牛丼と松田栄吉の牛丼は、全く異なっていたということです。
また、昭和30年代に吉野家二代目松田瑞穂が作っていた牛丼は、初代のそれとも、現在の吉野家のそれとも異なるものでした。
— 近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」9月上旬発売 (@ksk18681912) September 3, 2019
意外な材料を使っていたのです。
吉野家を取り上げた主な理由は2つです。
— 近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」9月上旬発売 (@ksk18681912) September 3, 2019
一つは、吉野家の歴史の裏に隠れてしまった、あるイノベーティブな企業の存在です。
現在は世間から忘れ去られてしまったその企業は、本来ならば外食業の歴史に燦然と輝く存在だったはずです。
私はその企業のことを「クレイジー」と評価しました。もちろんいい意味においてです。
— 近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」9月上旬発売 (@ksk18681912) September 3, 2019
極端な話、吉野家が存在しなくても現在の牛丼は存在したでしょうが、そのクレイジーな企業がなければ、現在の国民食牛丼はなかったかもしれません。
少なくとも、その企業がなければ、現在の吉野家もなかったことは明らかです。
— 近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」9月上旬発売 (@ksk18681912) September 3, 2019
『牛丼の戦前史』ではそのクレイジーな企業を歴史の闇からサルベージし、驚きの姿を明らかにします。
吉野家を取り上げた2つ目の理由は、牛鍋丼です。
— 近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」9月上旬発売 (@ksk18681912) September 3, 2019
2010年に発表された吉野家の牛鍋丼。
当時は「創業の味」というキャッチフレーズで売り出していました。
ところがこの牛鍋丼、哀しい宿命を背負わされた商品だったのです。
— 近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」9月上旬発売 (@ksk18681912) September 3, 2019
そしてこの牛鍋丼が、牛丼の歴史観に大きな影響を与えました。
であるがゆえに、『牛丼の戦前史』は、牛鍋丼から話を始めなければならなかったのです。
そろそろ発売間近の「牛丼の戦前史」
— 近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」9月上旬発売 (@ksk18681912) September 4, 2019
第一章の吉野家に続く第二章では、牛丼の歴史をたどる前に、鰻丼や親子丼などを含めた「丼物(どんぶりもの)」の歴史を追っていきます。
なぜなら、現在流布している丼物の起源説は間違いだらけだからです。
丼物は室町時代の芳飯に由来するという説があります。
— 近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」9月上旬発売 (@ksk18681912) September 4, 2019
「牛丼の戦前史」は複数の理由をあげて、芳飯ルーツ説の間違いを指摘します。
丼物は、明治時代に生まれたものです。
室町時代生まれの芳飯とは何の関係もありません。
丼物は、明治時代に生まれたというよりは、明治という時代が丼物を生んだと言ったほうがよいでしょう。
— 近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」9月上旬発売 (@ksk18681912) September 4, 2019
そう主張するのは、民俗学者の柳田国男です。
鰻飯は明治時代ではなく、江戸時代からあるじゃないか。そう反論する人もいるかもしれません。
— 近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」9月上旬発売 (@ksk18681912) September 4, 2019
たしかに鰻飯は江戸時代19世紀からありますが、その当時の鰻飯(うなぎめし)は、我々が知っている鰻丼(うなぎどんぶり)とは似て非なるものでした。
私の過去の発言がtogetterにまとめられていますが。https://t.co/ka3isTbjZL
— 近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」9月上旬発売 (@ksk18681912) September 4, 2019
江戸時代の地層からは、我々が慣れ親しんだ「どんぶり」という器はほとんど発掘されません。
なぜなら、蕎麦や鰻飯を入れていた「丼鉢」という器は、茶碗ほどの大きさしかなかったからです。
— 近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」9月上旬発売 (@ksk18681912) September 4, 2019
我々が慣れ親しんだあの大きなどんぶりは、明治時代以降に現れます。
そして鰻飯の容器も大きくなり、名称も「鰻丼」へと変化していくのです。
なぜ江戸時代には大きな器「どんぶり」が存在しなかったのか。
— 近代食文化研究会@「牛丼の戦前史」9月上旬発売 (@ksk18681912) September 4, 2019
なぜ明治時代に大きな器「どんぶり」が現れ、鰻丼や天丼や親子丼が登場したのか。
「牛丼の戦前史」第二章「明治という時代が生んだ丼(どんぶり)物」において、その謎を解き明かします。
まだAmazonなどでは書影などが出ていない様子。