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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「日本の味」だけじゃない!世界をまたぐ、納豆の旅…高野秀行「謎のアジア納豆」

謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉

謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉

日本は「納豆後進国」だった!?

誰もが「日本独自の伝統食品」と信じて疑わない納豆。だが、アジア大陸には日本人以上に納豆を食べている民族がいくつも存在した。
日本の納豆とアジアの納豆は同じなのか、違うのか?
起源はどこなのか?
そもそも納豆とは一体何なのか?
納豆の謎にとりつかれたノンフィクション作家は、ミャンマーやネパールの山中をさまよい、研究所で菌の勉強にはげみ、中国に納豆の源流を求め、日本では東北から九州を駆けめぐる。
縦横無尽な取材と試食の先に見えてきた、納豆の驚くべき<素顔>とは?

日本人の常識を打ち砕く、壮大すぎる「納豆をめぐる冒険」!



この本でも導入部などで紹介されているが、 日本人は外国人に対して「納豆を食べられますか?」と聞くのが好きだ。そんで「はい、大好きですよ」と言うと喜ぶし「いやー、あれはね、さすがにちょっと駄目です」「なんであんなの食べるの?わかんない」とか言われても「そうでしょそうでしょ、あれは日本人じゃないとちょっと分からないよねー」とそういう逆方向の喜び方をする…と。くーねるまるたさんは納豆食えるかな。たぶん食えるはずだ。

この本は、そんな状況に一石を投じるべく、辺境をゴリゴリと旅行し続ける高野秀行氏が著した本だ。…だから「えっ、あんなに危険かつ物理的にアクセスしにくい地域にゴリゴリ旅をし続けてた高野さんが、なんか気軽そうなテーマで書いてるなあ」と思う人もいるかもしれない。それは半分正しくて半分間違ってて…彼がアジア地域の辺境を旅行していた時に、あまりにも味も香りも日本と同じような「納豆」が食卓に並び、その衝撃から「納豆というものは、世界でどのように広まってるのだろう?作り方や食べ方はどう違うのだろう?」という風にテーマを広げて書いたということです。


その調査のプロセス自体が面白いかなこうやって一冊の本になってるのだけど、今回はちょっと手を抜いて結論的なところだけ紹介させてもらおう。
まず世界中の「納豆」は、やっぱり最強の菌との評判も高い納豆菌によって大豆を醸すと言う点は同じなんだけど、世界的に見ると今、日本の納豆の食べ方は、画一的になっているようだ。
引用する。

ある時サイさん(タイ北部に暮らす少数民族出身で東京に20年暮らしている人)に「日本の納豆はどうですか?」と聞いてみた。すると彼曰く「美味しいけど、日本の納豆は味が一つしかないからね」
意表をつかれた。味がひとつしかないって…まるでプレーンしかないヨーグルトとか、バニラ味しかないアイスクリームみたいな言われようだ。
サイさんは続ける。「山賊の人は豆でも食べるし、乾燥させてあぶっても食べる。唐辛子味もあれば、にんにくや生姜の味もある。いろんな味や食べ方があるんですよ」

結論から言うと、日本以外の納豆消費国では…日本も一部地域ではいまだ食べられている「納豆汁」のように、「納豆を、旨味の調味料として使う」地域が多いのだと言う。

うーん、 自分も「納豆汁」というのは言葉で聞いたことがあるだけで実際に食べたことはない。というかイメージ的にはちょっと遠慮したい。

ただ、そもそも普通の醤油やタレで食べる納豆も、大豆が発酵したゆえにタンパク質の「うまみ」が味わえる様になるから食べているわけだ。その旨みを、調味料として使う、というのが結構アジア多数派の納豆使用法らしい。

よく考えれば調味料が発酵食品であるというのは、そもそも味噌・醤油がそうであるし、中華料理では「腐乳」何かも使われる。チーズも香り付けに使うわけだし、何もおかしくない。ことに、タンパク質の発酵させた食品というのはそれぞれの風味があり、これがまた、馴染みのあるその国や地域では「これなしでは何も始まらない」と 愛好されるがよそからは「ウッ」となるわけです。発酵食品に関しては「相互不可侵」が一番賢明でありましょう。美味しんぼでもこの辺は何度もネタになってる。最初は相互に発酵食品をディスり合い、最後はその美味しさを相互に理解して和解する…みたいな。やってるうちにお話づくりがどんどん雑になって言ったけどさ、あの作品は(笑)

まあそういうことを踏まえて、高野さんは各国の納豆作りや納豆売りの現場を取材し、実際に作ったり食べたりしている。納豆は日本では藁の納豆菌を使ったが、他の国では「シダ」を発酵の菌のもとにしたりしているようだ 。


あ、さっき少し書いた「納豆汁」なんだけど、この本によれば

江戸時代の後期幕末に近くなるまで、納豆の食べ方はほぼ全て納豆汁なのである。
例えば千利休は死ぬ前年からの茶会で使った料理の献立を書き残している。「利休百会記」と呼ばれるこの記録には納豆汁が全部で7回、登場する。納豆汁が冬だけの料理であることを考えれば随分多い。しかも成り上がりの天下人である秀吉にもグルメ大名の細川幽斎にも納豆汁。つまり誰にでも納豆汁を出していた。
(略)
例えば蕪村は「朝霜や室の揚屋の納豆汁」と詠んだ。(略)江戸では冬になると朝、納豆売りが、煮豆を一晩発酵させただけで作った「一夜漬け」のような納豆をざるに入れて売っていた。庶民はそれを買うと、 包丁で叩いて、つまり細かくして汁にしていた。「納豆を、たたき飽きると春が来る」なんて川柳も詠まれていたと言うから、冬場はよほど納豆汁を食べていたようだ。


そして、 この「納豆は出汁であり調味料」という点から、「納豆は周辺民族に残っていることが多い」と、この本は語る。それはなぜかと言うと、海に面した、そして大きな流通市場みたいなものがある地域だと、どうも海産物の出汁の方にみんな行っちゃうっぽいから(笑)。うーんそうなのかもね。大豆はやっぱり痩せた土地で作られることも多い。少し経済的に恵まれない、流通的に、地理的に途絶している、そんなところで「代用的な出汁」であるという面もあるようだ。


そんな調査をしながら、高野さんは日本国内での納豆取材も進め、伝説伝承も多い「納豆の起源」も探って行く。
実は自分がこの本を手に取った時、その理由の一つが子供の頃、矢口高雄の漫画で「納豆の誕生」伝説を知っていたからであるのだ。ごく簡単にいえば「前九年の役後三年の役のどっちかで、東北遠征をしていた源義家の軍で、わらのこもに包んだ煮豆が発酵。はじめは腐ってる!と捨てようとしたが、香りも味も実に美味だったのでそのまま食べることにし、製法も広まった」というものだ。
自分がよんだのは「ニッポン博物誌」というタイトルだったが、 その後ちょっと違ったタイトルの文庫にもなっていたな…何と言ったかな…
ここの過去記事でもちょっと触れてた。
「もやしもん」補遺−発酵無罪、醸造有理。 - INVISIBLE DOJO



高野さんは、そういう伝説がどこまで本当なのか、という話を探りながら今話題の「作られた伝統」問題の事例を色々と発掘していく。その部分もちょっと面白いんで、そこにも注目してほしいです。一時期、学問としても提唱された中尾佐助照葉樹林文化論」についても触れられ(実はこの文化論を掲げれば、実は納豆の世界的な分布も、一見説明がついてしまう面がある。だから逆に厄介なのだ)、慎重にその真偽や議論の強さ弱さを検討している。


単純な食べ物エッセイ、食べ物ノンフィクションになる危険性もあったこの取材を、見事な広がりと深みのあるものにしたのは、 さすが高野秀行、と拍手いたしましょう。この後の、更なる発展拡大を期待する。(了)