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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「おんな城主直虎」最終回から「ドリフターズ」初回をつなぐ線…井伊直政が部隊の先頭で突撃し、そして関ヶ原で撃たれるまで(磯田道史)

NHK 大河ドラマ「おんな城主直虎」が最終回を迎えました。
自分はこの作品を前の「真田丸」程に評価していたわけではないが、こういう作品は「自分の知っている、興味がある歴史的事件のところだけ見る」という視聴方法があり、今回自分はまさにそれをやりました。具体的に言うと信康切腹事件から最終回までは出来る限り視聴したという感じです。
本能寺や神君伊賀越えの伝奇的解釈は面白く「大河ドラマでもこういう伝奇的な解釈やっていいんだな」ちょっと感心したのですが、そこは少し飛ばして、今回最終回のラストシーンとして、 井伊直政が無敵武田軍の「赤備え」を受け継ぎ、そして常に大将ながら先陣に立つ猛将として活躍した・・・・という描写があります。
「井伊家の一番槍は、今後わしじゃ!!」と。



こういう武将の指揮官としての是非とか、実際にそういう武将が、主流ではないながらも井伊直政以外にも複数存在したこととか、その話もしたいのですがまたちょっと飛ばす(笑)。

本題は、井伊直政がそのような先頭に立つタイプの猛将だった結果……歴史好きにはよく知られたその後の展開があります。
それは、それまでも有名だったけれども「ドリフターズ」の冒頭でさらに有名になった挿話…すなわちあの関ヶ原合戦で、戦場から脱出した島津軍を井伊直政が追走、その際島津軍の鉄砲によって狙撃され、その怪我が元で直政は、ほどなく死を迎えた…という話であります。


ドリフの平野耕太の迫力がある描写の他にも、つまり彦根藩薩摩藩の因縁の深さということになり、これが幕末、井伊直弼島津斉彬や久光との関係にも多少影を落としているんですね。

しかし。
ここで、「あれだけ勝敗が決していた場面で、圧勝し追撃していた側の大将が、必死で逃げ惑う敗軍に撃たれて重傷を負うということがあるだろうか? 一体どんな状況なのか?」
が気になり、資料庫から歴史資料を漁って調べた人がいる。
それが、 歴史学においていま、アカデミズムとジャーナリズムをむすんで大活躍する「歴史学那須川天心」(とおれが勝手に呼んでいる)、たる磯田道史です。

読売新聞の連載コラムを中心にまとめた中公新書はこの前3冊目が出て早速ベストセラーになっているがその第一作「歴史の愉しみ方」の一編として、「井伊直政はなぜ撃たれたか」というコラムがある

歴史の愉しみ方 - 忍者・合戦・幕末史に学ぶ (中公新書)

歴史の愉しみ方 - 忍者・合戦・幕末史に学ぶ (中公新書)

以下、引用する。

…なぜ直政ほどの高級指揮官が敗走する敵に撃たれてむざむざ殺されたのか 。家来は人垣を作って守らなかったのか。疑問がわいた。
徳川幕府が持っていた関ヶ原関係資料を洗いざらい探せば、この疑問が解けるかもしれぬ。そう思って東京竹橋の国立公文書館へ通いつめた。
決定的な一冊を見つけた。「井伊家慶長記」。未公刊の古記録である。井伊家は後に直政が打たれた時の状況を詳しく調査していた。
(略)
最初、直政は薩摩軍だと思わず追撃を始めたらしい。旗をささない不審な一隊が前をよぎったから直政は「敵か味方か」と聞いた。「敵なり」。 家来が即答。
葦毛馬に乗った立派な武将が見えた。「あの葦毛馬に乗った武者は余が打ち取る」
直政はそう叫んで生まれ駆け出したと言う。
ところがここで問題が起きた。護衛が消えていた。
直政は近習25人を定め「常に俺の馬周りを離れず進退せよ」と厳命していた。
ところが乱戦状態。敗走する敵を追って近習の騎馬武者たちは「自分の手柄を立てよう」と抜け駆けを始めた。
(略)
しかも直政は乗っている 「馬が良いゆえ一番に駆け」薩摩軍をただ一騎で追う格好になった。直政が沼の前まで来た時…(ある部下が)「大勢の中へただ一騎で追いかけられるのはもったいなし」と必死で止めた。直政は「放せ」と怒り狂った。
その時であった・・・・・・・・・」


つまり戦国の時代にまだまだあった、とにかく個々人が抜け駆けでもなんでもして大将首を取ってくる、つまりドリフターズいうところの「功名餓鬼」な風習が、総大将の護衛役たちまで浸透しており…。
いざ手柄を立てん!となったら、そういう守備役の人たちまで護衛対象ほっぽらかしてめいめい散って、敵に攻めかかってくわけですね(笑)。
さらにこの時は、猛将タイプである直政の馬が、なまじ他を圧倒する駿馬なので、部下も護衛も引き離してしまうと(笑)。


さもさもありなん、でした。

しかし、この資料調査。
まー10年、 15年前だったら「ここに歴史学の新鋭あり!」と鐘や太鼓で大宣伝するとこだけど、もう宣伝が必要な「新鋭」どころか歴史学者といえば磯田道史、磯田といえば 「the 歴史」というぐらいに世間的にはなってるんだよね。
業界のど真ん中をいくぞ!

…そして、彼へのその評価や現在の地位に個人的には全く異議なし。磯田という人物を(世間一般向けの)歴史学のエースと認定した平凡なる「世間一般」の眼力はなかなかたいしたものだと、(そんな無名人の一人として)自画自賛してるところだ。


大体この一件だってまあ本人の申告ではあるんですけど、とにかく自力で膨大な資料を国立文書館で読み込み、探し、そして決定的資料として未公刊の文書を見つけるわけだから、なんともいえぬ、ただの人気者ってだけじゃないシュートファイターであります。 そのうえでテレビ番組の司会をこなし、このように新聞に分かりやすい文章でコラムが書けるのであるから、真にたいしたものであると言わざるを得ません。
今回の「おんな城主直虎」最終回で改めて思いだし、この「井伊直政狙撃さる」という磯田道史の調査を紹介した次第です。