AERA [8月5日号] 2013年7月29日(月曜日)更新
現代の肖像/磯田道史−時をかける学者
◆ 歴史学者・磯田道史、文・高瀬毅/著書「武士の家計簿」
AERA(2013/08/05), 頁:49
関東連合の「時代と街」−緊急対談・石井光太×工藤明男
◆ 石井光太、関東連合元リーダー・工藤明男(対談)/
下のは余計か(笑)。
磯田氏のミニ伝記は、実を言うと目新しい情報はそんなに無かった。それは氏が多くの連載コラムを持ち、また本のあとがきでも自己言及が多いので、それをつなぎあわせるとおのずから生涯が浮かび上がってくるというね(笑)。
子供のころの出雲大社の模型つくりも、浜松の大学へ「古い津波の研究をしないと」と移ったことも、安値で「武士の家計簿」の元になった史料を勝ったことも・・・
ただ、驚いた新情報は「年700回の講演依頼がある」ということ。そのほとんどは、研究時間をとるために断っているとか。
そういえば「武士の家計簿」を書くとき、というかジャーナリズム界と交流を持つきっかけとなった、図書館での編集者との出会いは面白かったな。ちょっと知り合ったが、なんかすごく古書に詳しかったので編集者が磯田氏を”ナンパ”し、話を聞いてそこで原稿依頼したとか。
この若き逸材・・・いまや俺的には現在「本郷和人・磯田道史時代」なんだよな。
31日の「古今あちこち」(読売新聞)はまたも見つけた新日記。終戦の日に、皇族に乗馬を教えに行った男の話。
・宮内庁用箋にびっしりかかれた、宮内省主馬寮職員の日誌がみつかった。
・皇太子(今上天皇)と義宮(常陸宮)に乗馬を教えていた。
・馬を育てる彼らの施設にも戦火が迫った。
・それでも王者のたしなみ、大元帥陛下を継ぐ・補佐するものとして皇族は乗馬を学ばねばならない。皇太子、義宮は日光に、分散して疎開していたが、職員は電車にのって東京から乗馬を教えに行っていた。
・そして1945年8月15日、日本はポツダム宣言受諾を発表。しかしその日も、義宮に乗馬を教える日。教育はどんなことがあっても続けるのが臣の道。職員はこの日も午後4時、上野から日光へ・・・
という、お話だった。またも読み応えのあるコラムでありました。
以前の「古今あちこち」はこの本にまとまっている
内容紹介
- 作者: 磯田道史
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2012/10/24
- メディア: 新書
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忍者の子孫を訪ね歩き、東海道新幹線の車窓から関ヶ原合戦を追体験する方法を編み出し、龍馬暗殺の黒幕を探る――。
著者は全国をめぐって埋もれた古文書を次々発掘。そこから「本物の歴史像」を描き出し、その魅力を伝えてくれる。同時に、歴史は厳しいものでもある。地震史研究にも取り組む著者は、公家の日記などから、現代社会への警鐘を鳴らす。
歴史を存分に愉しみ、現代に活かせる「歴史通」になりたいあなたへ。