おとといの朝まで生テレビは、ウーマンラッシュアワーの村本大輔氏が出演したことでも話題になった。
で、平和をテーマに、PKOの議論も出てきたのだが、リベラリズムの法哲学を徹底した結果、敵味方(の認定が、そもそも氏にはない感じなのだが)を問わず切り付けるパーザーカー…或いはヴィンランドサガのトルケルみたいな井上達夫氏が、また興味深い発言を、その村本氏とやった。
これは、以前出てきた「不作為」に関するテーマと共通するので、そこを抜き出してテキストにしてみた次第。
以下、お読みください
<放送から1時間4分―1時間6分ごろ>
(米川正子氏が、PKOは逆効果なこともある、本当に役立つのか、みたいな例として、ルワンダ虐殺のきっかけだった大統領機撃墜事件のミサイルはPKOのものだった(?)ということを話す。)そこから井上達夫氏。
井上
ただね、その後の虐殺は鉈ですからね。
原因となった、その大統領墜落事件はそうかもしれないけど、鉈だけで100万人殺されちゃうわけです。
しかしその時に、もう、ガリ時代の積極的な「平和創設」っていったのがすごい悲惨なことがあったから『羹に懲りて膾を吹く』で、ルワンダのときは、実はアナン・コフィ(※のちの国連事務総長)はPKO担当のボスだったんだけど、ダリル将軍の、増兵要求対して一切応じなかったんです。
その結果、ものすごくおおぜいの人が鉈で殺されちゃったんですよ。
ちょっとでも…これは、やっぱり軍人しかできないことがあって、(増援を)送れば、早いうちに送ればとめられたかもしれない。
ところがこれまでの国連の多国籍軍だと、結局それぞれの政府の指示がないと送れないですから。
あのときベルギーですよね、旧宗主国だった。
ベルギー兵が【たった10人】殺されただけで、ベルギー国内で撤退の世論があったから、せっかく(保護施設の)セイフティハーバーにツチ族のほうだっけ?それを集めといておきながら、「はいさようなら」で帰っていったんですよね。
村本大輔氏(ウーマンラッシュアワー)認証済みアカウント
PKOで「10人殺される」ってのは、【たった10人】」ぐらいのレベルなんですか。
井上
たった10人!ベルギー兵がね。…たった、ってたいへんな命ですよ、
ただし、その後100万人殺されたことを見ればね。
ダリル将軍が一生懸命もっと要請したのに、アナン・コフィが断り続けた。その結果、彼はものすごくトラウマで自殺未遂までやったんだけど。
まったく期せずして、北岡伸一氏の指摘と一致する。立場も専門も異なる二人だが、知の到達する場所は似通るのだろうか。
なんかいまだに時々リツイートされるのだが
【悲報】北岡伸一氏がTBS金平茂紀氏のインタビューに答えたら容赦なさすぎて、ひいた。無編集だとこうなるのか…。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150406/p3
で紹介した、こういう議論があった。
金平キャスター
いや例えば、自衛隊員に死者が出るとか、血を流すみたいなことがあり得ますよね。少なくとも日本の戦後の歴史の中で、これまでの歴史の中で自衛隊が海外へ出かけていって血を流したり、相手を殺傷したりということはないですよね。そういう意味では質的に物凄く変わるんじゃないですか?
北岡氏
これはですね、勿論そういうことはあって欲しくないし、ないようにできるだけの努力はすべきですよ、だけども今の法制度でもありえないことはないですよ。今のPKOでもあり得る話ですね。
金平キャスター
しかし今までなかったことが、これによってなお可能性が増すという、もっと大きくなるということはありませんか?
北岡氏
それはどうでしょうか。それはそうかもしれないし、そうでないかもしれません。というのはですね、"何々の恐れ"ということを皆さんよくいうんだけれど、"恐れ"の中には、"不作為の恐れ"というものもあるんですよね。
今の例えばPKOに限って言えば、南スーダンで絶対、死者を出さないようにしようと思えば、これは引き上げるのが一番でしょう。するとそこで、結果的に、かつてのルワンダの虐殺のようなことがあっていいのかということを、日本が"不作為"によって引き起こされる。日本人の自衛隊はセーフだったけども、そこでより多くの現地の人が傷ついたり怪我したり死んだりしたということが起こっていのかと。両方考えなくちゃいけないということでしょうね。
銀英伝での、とある「軍人の義務と責任」をめぐる対話も、この「不作為」の問題を挿入すると、とたんに難題になるという話も以前書きました。
銀英伝5巻のユリアンとシェーンコップの議論を、「不作為」の問題を混ぜて拡大してみる。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160921/p2
「お気持ちはよくわかります。でも、もしそんなことをしたら、悪い前例が歴史に残ります。軍司令官が自分自身の判断をよりどころにして、政府の命令を無視することが許されるなら、民主政治は最も重要なこと、国民の代表が軍事力をコントロールするという機能を果たせなくなります。ヤン提督に、そんな前例がつくれると思いますか」
シェーンコップの口もとが皮肉にゆがんだ。
「それでは聞くがな、もし政府が無抵抗の民衆を虐殺するように命令したら、軍人はそれに従わねばならんのかね」
ユリアンは、はげしく亜麻色の頭を振った。
「そんなことは、むろん許されません。そんな非人道的な、軍人という以前に人間としての尊厳さを問われるようなときには、まず人間であらねばならないと思います。その時は、政府の命令であっても、そむかなくてはならないでしょう」(略、ここでオリキャラ「セイ・ローン」が議論に加わる)
…「お話を整理しますと、こういうことになりますな。
1:軍司令官が自分自身の判断をよりどころにして、政府の命令を無視することは許されない。
2:しかし「非人道的」「軍人という以前に人間としての尊厳さを問われるようなとき」は、政府の命令であっても、そむかなくてはならない
なるほど…では「2」のバリエーションとして、こういう事例を想定してみましょう。
「政府が無抵抗の民衆を虐殺するように命令した」というのは積極的な行為、作為の罪、とも定義できますね。
ですが、消極的行為、不作為の罪…の場合はどうでしょうか。
わが軍が、武力不行使、中立維持、武器不使用…などを政府から厳命されている。
しかし、その目と鼻の先で、たとえば民間人や難民が、武装集団や海賊盗賊に襲撃され、虐殺、略奪、凌辱をほしいままにされている。わが軍の武力をもって排除に当たれば(多少の犠牲はあるが)、間違いなくその武装集団らは撃滅、排除可能だ。
これを「人道」や「軍人以前の、人間としての尊厳」の面から見たとき、政府の命令にそむいてでも、武力で襲撃者の排除にあたるべきでしょうか?」
実際に、「そむいた」連中がいたのだ!カンボジアPKOにおける自衛隊。関東軍、石原莞爾以来の伝統はやまず?独断専行で軍が動いた。
【自衛隊カンボジア派遣】ジャングルに現れた「幻の邦人救出部隊」 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/873123
@nekoguruma @fussoo_moe 駆けつけ警護が認められてなかったカンボジアPKOでは、『情報収集』名目で邦人選挙監視員を護衛し、銃撃を受けた場合には自衛隊員は射線に身をさらして自分が撃たれてから、正当防衛射撃するという滅茶苦茶な手筈だったので、リスクは減ると思う。
— うみ@スマホ壊れたw (@umi_tweet) 2015年7月20日
”・奇天烈な「軍事訓練」
— sakimori9941@コミケ2日 (@sakimori8821) 2015年9月13日
そこで彼らはある決心をする。
さっそく、翌二十一日の晩から、その訓練は極秘裏に始められた。内容は、「軍事訓練」としてまさに前代未聞であった。”
”それは、「正当防衛」の条件を満たすために、『わざわざ攻撃を受ける状況を作り出して当事者になってしまおう』という、ウルトラC級の奇天烈な作戦を実行するための訓練だったからだ。”
— sakimori9941@コミケ2日 (@sakimori8821) 2015年9月13日
自分は反対に、我が国の軍人から死者を10人出さないために、現地の大虐殺を「不作為」によって起こすのも、やむを得ざるかと考えたり。
南スーダンPKO撤収決定を喜ぶ。「不作為」の犠牲リスクは承知、あとは南スーダン国民諸君自ら平和を求めよ。NGOにも、幸運を祈る - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170311/p2