朝生に登場したのを見て、少し前に読んだ山本一太参院議員のブログのあるエピソードを思い出した。
あとで書こうと思って忘れてたので、いまかいておこう。まだ「国民新党」なんてのがあったころの参院選の話。
山本一太『政敵(?)を抑止するのは情報力と捨て身の覚悟:その3』⇒ https://ameblo.jp/ichita-y/entry-12278340684.html
10年前、第一次安倍政権下で行われた自分にとって3回目の参院選挙は、本当に苦しい戦いだった。選挙の直前にも、選挙戦突入後も、閣僚や党幹部の失言が相次いだ。その度に逆風が強まった。最初から最後まで一瞬も気を抜けなかった。(ふう)
結果として群馬地方区では圧勝したものの、自民党は大きく議席を減らした。
事実、有力な自民党現職が次々に落選。その他の議員も軒並み票を落とした。地方区の自民党公認候補者の中で「前回の票を大きく伸ばして圧勝した」のは、たった1人。群馬県の山本一太だけだった。
最大野党だった当時の民主党は、群馬地方区に公認候補を立てなかった。代わりに国民新党から立候補した候補者を推薦するという形を取った。
国民新党が公認したこの候補者の名字は、群馬出身の故・某元総理大臣と同じだった。しばらくすると、群馬県内に「この人物は元総理の親戚らしい」という噂が広まった。参院選挙が近づくと、この「親戚説」が、週刊誌等に選挙関連の小ネタとして取り上げられるようになった。
誰がこの噂を流布したのかは知らない。が、誰が考えても、この候補者の陣営(?)の狙いは明らかだった。「元総理の親戚だとPRすることで、元総理を応援していた保守の票を引き剥がそう」ということだ。
(略)
そんな中、国民新党公認のこの人物が候補者会見を開いた。当然、記者たちは次のような質問をした。
「あなたが00元総理の親戚だという話が出ているが、それは事実なのか?」と。
その質問に対して、この人物(国民新党の公認候補)は次のような趣旨の答えを返した。翌日の新聞記事に加え、記者メモでも確認したので(表現ぶりは)よく憶えている。
「私自身は(元総理とどんな親戚関係なのかは)よく知らない。が、亡くなった私の父からはそう(親戚関係にある)聞いている。先日、私の秘書がたまたま元総理が眠るお寺にお墓参りに行ったところ、故元総理のお墓のすぐ側に私の祖父のお墓があった。」
さっそくこのお寺に足を運んだある記者から連絡があった。「一太さん、確かに事実です。元総理とこの人物の祖父のお墓は近いところにありました」と。地元秘書にも確かめさせた。
ここから「山本機関(笑)」が本格始動した。あらゆる人脈を駆使して、情報収集した。最初から、いろいろと不自然な点があった。調査の結果、お墓問題(?)に関しては、次のような経緯が判明した。
「もともとこの候補者の祖父のお墓は県内の違う場所にあった。が、この人物が選挙に立候補する6年くらい前に、有力な檀家を通じて元総理が眠るお寺の住職に頼み込み、お墓をそのお寺に移していた。」
国民新党公認、民主党推薦のこの人物の記者会見での言葉、これまでの発言の中身を検証しながら、こう思った。「これが事実なら、一種の印象詐欺(?)ではないか!(苦笑)こんな姑息な手を使う人間には、何があろうと絶対に負けられない!」と。
こうも考えた。「今後の展開によっては、調査結果のメモをブログで公表しよう。記者会見を開いてもいい。相手側に公開質問状を出すというやり方もある。」
結局、この「お墓事件」のことは外に出さなかった。ブログにも書かなかったし、公開質問状を突きつける場面もなかった。選挙情勢に関する各種の世論調査で(最初から最後まで)圧倒的なリードを維持していたからだ。
ただし、仮に選挙選が接戦になっていたとしたら、候補者の資質に直結するこの情報は、決定的な一打になっていた可能性もある。もう一度、言う。政治家が政敵の攻撃から身を護る(=どんな権力者にも一矢を報いられる)手段は、「情報力と捨て身の覚悟」しかない。
あ、お湯が沸いた。紅茶をもう一杯飲んで、肝心の仕事に取りかかる。
いやねえ、タイトルも大仰だが、それはそれとしてこの事件の顛末、一方の側からの発信とはいえ、ちょい笑っちゃったよ。
まず、「〇〇の遠縁、親戚だ」と噂を流すことが、選挙を左右するというのがあまりに前時代すぎて笑っちゃう。
そして”山本機関”の情報を信じるとしたら、それでもそのために6年も前からひそかに計略を仕込んでおくという、実に無駄な深慮遠謀が素敵だ。
いや、たしかにある意味で、「三国志」や「漢楚軍談」、「信長公記」に見るような、そういう複雑緻密な謀略と計略・・・・・・・、それをほのめかすものあり、プロパガンダに活用するものあり、それを暴くものあり、情報リークあり(政治家に記者メモ見せてるやついるのか…)、逆手にとって「いざという時はこれを暴露し公開質問をする」との計を秘めるものあり……
それらの血みどろの、人智を尽くした「銀河のチェス・ゲーム」……が、実にスケールの小さいところを舞台に行われていると。 そこに無限の可笑しみを感じ、紹介した次第だ(笑)。
それでも、実はこういう話は過去の一挿話ではなく、現在の政局の中の牽制や暗喩として機能している(と、少なくとも山本議員本人は思っている)らしく
追伸:平然とウソをつく人間には、大抵、「悲惨な結末」が待ち受けている。この件には触れない。
と追伸で述べている。この話から、何かの問題につながっていくのだろうか…どっちにしても、スケールは小さそうである。
そう言いつつ、面白い記事も結構あるのでついつい読んじゃう
山本一太『木村太郎衆院議員を悼む〜実直、不器用、ユーモラスで、義理人情に厚い「叩き上げのサラブレッド」』
⇒ https://ameblo.jp/ichita-y/entry-12297803329.html
山本一太『参院議員の4度目入閣は前代未聞?!〜政策オールマイティーの林芳正文科大臣にずっと謝りたかったこと』
⇒ http://ameblo.jp/ichita-y/entry-12298972458.html
山本一太『権力や権威を振りかざして相手を威圧しようとする人間ほどムカつくものはない!(怒)』
⇒ https://ameblo.jp/ichita-y/entry-12275912068.html
山本一太『河野太郎氏の実像:その2』
⇒ https://ameblo.jp/ichita-y/entry-11953503331.html
ここは通常では分からないところだが、当たり前ながら議員間には政策や政局の色分けのほかに「人間的な好き嫌い」があり、それが逆に政策や政局に影響を及ぼす。
ふつう、そのへんの好き嫌いを政治家は表にしないところだが、山本議員のブログは、なぜかそれがドカンと出てくる。熱烈な安倍応援団のはずだった山本氏は、その一方で河野太郎議員とも親友ならしい。まあ、河野太郎氏は結局今回外相で入閣しており、客観的にみれば安倍晋三首相が河野太郎を上へ上へと引き上げているのだが・・
たとえば、こう。
山本一太『河野太郎と西田昌司、未知との遭遇で生まれた「共鳴」』⇒ https://ameblo.jp/ichita-y/entry-12049171802.html
夜は河野太郎衆院議員、西田昌司参院議員と3人で食事をした。 自分が席を作った。 もちろん、初の組み合わせだった。 河野氏と西田氏がこんな形で会食するなんて、絶対に初めてだったと思う。(笑)
「スーパー保守」VS「超リベラル」みたいな単純な構図ではないとしても、この2人の政治家の考え方は「対極」にあると言っていい。 事実、経済・財政政策からネルギー問題に至るまで、党内の議論では常に正反対の意見をぶつけ合って来た「天敵同士(?)」のような存在なのだ。
が、実はこの2人には、ひとつ大きな共通点がある。 それは「政治家としての『信念』を持っていること」だ。 正義感が強いこと、反発を恐れずに突っ走るところもよく似ている。 ある意味、「突き抜けている」からこそ、両者ともある種のオーラを纏っている。 何しろ、河野太郎は(自民党野党時代に)自民党総裁選挙に立候補した。 敗れはしたが、最大野党の総裁に選ばれた谷垣候補(現・自民党幹事長)を相手に大健闘したのだ。
あ、もう1つあった。 2人とも山本一太と親しいことだ。(笑) そうか。 太郎ちゃんとは、もう30年以上の付き合いになるんだ、な。
19時に始まった会合が終わったのは、午前零時。 大いに議論し、おにぎりやお茶漬けや肉じゃがをパクパク食べ、歌もガンガン歌った。 皆さん、ご存知ですか? 東京都と神奈川県の迷惑防止条例(?)により、河野太郎氏が「カラオケで2曲以上歌う」ことを禁止されていることを。(笑) 音符と歌が全く合わないことに加えて(これはこれでスゴイが)、並外れた声量を持っているからだ。 が、その太郎氏が何曲も日本語や英語の歌を熱唱した。
今までお互いを「宇宙人だ」と認識していたこの2人の未知との遭遇は、不思議な「共感」を生み出した。 政策や政治哲学は違っても、お互いの「人間性」が共鳴したのだ。
あるいは、こう。
山本一太『参院議員の4度目入閣は前代未聞?!〜政策オールマイティーの林芳正文科大臣にずっと謝りたかったこと』⇒ http://ameblo.jp/ichita-y/entry-12298972458.html
当時、山本・林は本当に仲良しだった。音楽だけでなく、様々なプロジェクトを一緒に進めていた。安倍晋三衆院議員(当時)の事務所スタッフから、「一太さん、あまり芳正さんと親しくなり過ぎないでください!先代の時代からライバル関係なんですから!」と言われるほどだった。(笑X2)芳正氏の米国人脈のお陰で、共和党の党大会も視察することが出来た。あの時のことは、今でも感謝している。
その「いつもツルんでいた2人」がある時を境に「疎遠」になった。周りから、よく「一太さんと芳正さん、あんなに親しかったのに?!なぜ、仲違いしてしまったの?!」と聞かれた。
今、思い出したが、心配した河野太郎衆院議員(当時)が、「一太さんとヨッシーが仲悪くなったので皆、困ってるんですよ。若手で一緒にやりたいこともあるのに!」と電話して来たこともあった。
林芳正氏と「ほとんど会わなくなった」理由はシンプルだ。ヨッシーに全く非はない。こちらのほうから一方的に離れた。「Giins」も勝手に解消した。今更、細かい事情は書かない。が、芳正氏に対して、本当に失礼だったと思う。どれだけ相手の感情を傷つけたか分からない。
一度、どこかで、ちゃんと謝りたいと思っているうちに、10年以上、時間が過ぎてしまった。(ガクッ)この機会を逃すと、恐らく生涯、謝るチャンスがないと思う。(笑)だから、謝罪の言葉をしっかり「直滑降ブログ」に書き残しておく。
「ヨッシー、あの時は本当にごめんなさい!!とても反省しています!!」
今さら、お詫びしたところで「元の関係」に戻れるわけもない。そんなことを望んでもいない・・・・
スケール小さいとか、結局何が理由で疎遠になったんだよ、とか突っ込んでいるうちに、なんだかんだと読まされてしまう……ふつう、政治家ブログなんて読んでの面白さとしては箸にもボーにも掛からないものばかり。「悪名は無名にまさる」政治家としては、こういう感じで紹介されるだけでも大歓迎で、相手の術中に嵌っているのかもしれんなァ。