自衛隊の弾を国民に向けることはできない#シンゴジラ pic.twitter.com/BjIofFHMP3
— 陸将の第一師団長 (@GeeGaku) 2017年11月12日
いやしかし、 #シンゴジラ のナニが一番ステキって自衛隊が撃っていいかどうか迷うところ。そこが自衛隊の魅力なんだよね。トリガーハッピーな自衛隊なんて自衛隊じゃねえよ。さすが庵野秀明は自衛隊の可愛い所がわかってるな
— Simon_Sin (@Simon_Sin) 2017年11月12日
「自衛隊の弾を、国民に向けることはできない!」のシーン。
— 羊飼われ (@hitujikaware) 2017年11月12日
タイ人友人の感覚によるとむしろリアリティが無いように見えたそうです。
クーデター等でしょっちゅう自国民に軍が介入する国のリアリティは、やっぱり日本とは全く違うなと思いましたよ。#シンゴジラ
大河内総理「自衛隊の弾を国民に向けることは出来ない!」
— あび卯月 (@abiuduki) 2017年11月12日
重い言葉だよね。史実でも、岸信介は60年代安保のとき、デモ隊を自衛隊の治安出動で鎮めようとしたが当時の防衛長官・赤城宗徳は同様の理由で出動を拒否している。#シンゴジラ
「…史実でも、岸信介は60年代安保のとき、デモ隊を自衛隊の治安出動で鎮めようとしたが当時の防衛長官・赤城宗徳は同様の理由で出動を拒否」
— gryphon(まとめ用RT多) (@gryphonjapan) 2017年11月12日
ただ、その決断は「巡査が殺されたら、殺されたで済む。それは我慢してもらう」という、別種の冷酷さを伴う判断でもあった。https://t.co/HDc27unGjT pic.twitter.com/9ZOFhBxrGO
最後のツイートが、思いがけずリツイートが多かったので、ブログ記事でも再論する…再論というか、もう一度書いているので、それを。
60年安保秘話。自衛隊出動阻止の「ハト派」政治家は「警官は死ぬ、それはしょうがない」と思っていた。銀英伝のレべロ的に… - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160329/p1
「銀英伝のレベロ的に」がわかんない人はおいてきます(笑)義務教育や無いんやからねっ。
ま、それはそれとして、再度画像を。
(略)
椎名悦三郎と、赤城宗徳は集まって相談し、「自衛隊の治安出勤は見送る」という決定をし、それを岸に突き付け、岸は安保成立と引き換えに退陣した…とされる。これは未来というカンニングペーパーを手にしてみれば、実に妥当な判断だったと思うのである。
(結果的に、警官側に多数の死者が出ることはなかった。まあ自衛隊が出たときに死者が出たか…も歴史のIfだが)
だが、、この決定を支えたのは、上の画像にあるように
『ともかく巡査は何人殺されても殺されたで済む。それは我慢してもらう』
という、とんでもなく血も涙もない決断、切り捨てによって選ばれた決断であったのだ。
(略)
赤城氏は、この「自衛隊出動せず」という決断によって、今でも「ハト派政治家」という冠を付けられ、好意的に書かれることが多い。しかし、その「ハト派」の決断をするためには(福本証言によるなら)「警官は、何人殺されてもまあしょうがない。それはなんとか我慢しよう」という非情の発想があった、ということだ(結果的な警官の犠牲の有無はこの場合、無関係である)。もちろん警官一人ひとりに人生も、夢も希望もあり、家族がいることは言うまでもない。
政治が本質的にいやなところは、そういう形の犠牲も間違いなく強いていて、手を汚さないでいることが不可能だからだ(といって、誰もやらないわけにいかないのもまた事実)。
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以上が過去の記事だが、これは敷衍していくと「作為の悪と、不作為の悪」ともいえます。
なので、こういう記事にも関連していきます。
銀英伝5巻のユリアンとシェーンコップの議論を、「不作為」の問題を混ぜて拡大してみる。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160921/p2
「『たった10人』殺されてPKOが逃げたのがルワンダ虐殺に繋がった。増兵すれば止められた」(井上達夫氏、朝生で語る) - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170813/p1
そんな話題につながる、シンゴジラの名場面というか印象的な場面でした。