INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

維新「発達障害と親の愛情」条例に一言。科学は保守的道徳の上に立つ/そしてフェミニズムの上にも…(上野千鶴子)

そうだ、橋下徹と維新の会の話でこれを。書こうと思っていたのが少し遅れているうちに、条例案自体が全面撤回されたそうで。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012050700971

家庭教育条例案、提出見送り=発達障害の記述に批判−維新大阪市議団
 
 地域政党大阪維新の会」(代表・橋下徹大阪市長)の大阪市議団は7日、5月議会への提出を検討していた家庭教育支援条例案について、提出を見送ることを決めた。条例案の原案に記載された発達障害に関する記述内容に市民などから批判が相次いでいた。
 家庭教育支援条例案は、保護者に子育ての知恵や知識を学ぶ機会を提供することなどが目的。原案は発達障害に関して、「乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因である」などと説明していた。(2012/05/07-23:38)

党首・橋下徹(市長としてか?)も早くから距離を置いていたようで「市議団が暴走したときは党首が指導する、いいことだ」「ただの八百長じゃねーか」「そもそもそんな案が、たたき台時点で出るだけでDQN」など賛否があったようだ。
http://togetter.com/li/297720
http://togetter.com/li/297584
http://www.j-cast.com/2012/05/07131272.html?p=all

んで、
わたくし、この前「テレビ局ごとの視聴率急変は、新聞欄やchボタンの並びも原因」「投票用紙を記名式から記号式にすると、新人候補の不利が減る」といった論考を紹介し、こういうのを
「文系の分野だと思ったら理系の分野だよシリーズ」
と仮命名した。

自分はこの話も、まさにそのレベルだと思っています。てか「雷は神の怒りであり、避雷針とはけしからん」とかそういう話のたぐい。六根清浄。


http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120505/p7

で、このシリーズは以前、「科学(医学的事実)は民主主義の上に立つ」と表現してきた。伝染病予防やの各種の措置が、そのまま人権制限であることや「有名人の自殺は後追いが連鎖するから、報道を自粛せよ(報道の自由の制限)」などを想起されたい。

それと同様に
「科学(医学的事実)は保守・伝統的道徳観の上に立つ」
というのが今度の一件であったろう。愛情を注ぎ、注意を払い、コミュニケーションを絶やさねば発達障害は防げる・・・というのが保守的な道徳観にマッチしている(かどうかもそもそも怪しいのだが!江戸時代や明治時代ほど籠に入れたり帯で柱に結わえたりして子どもは放置されていたのではないか?)として、その期待を、科学的な調査結果が裏切った、というわけであります。


実に面白いことに、まったく裏返しの道徳観を反映させて、障害に誤解と偏見を撒き散らした一方の雄がいる。
ちょっと長く引用します。
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~nadamoto/work/199411.htm

上野千鶴子が差別問題にからんで何か「やらかした」らしい。ちまたでは、そうした風説が流れている。事実経過はこうである。一九九三年一月の終わり、大阪府立高槻南高校で障害者問題に取り組む冨田幸子教諭より、フェミニズムの旗手上野千鶴子および大手進学塾である河合塾のもとへ、質問・抗議の葉書が寄せられた。一九八六年に河合塾より発刊された上野千鶴子著『マザコン少年の末路―男と女の未来』(河合ブックレット1、河合文化教育研究所発行)の中でなされている、“自閉症は母親の過干渉・過保護によって引き起こされる”という記述は自閉症への誤解にもとづくものであり、差別を助長するのではないかというのである(この『マザコン少年の末路』は、一九八五年に河合塾大阪校で行なわれた講演会をもとに編集されたもので、河合ブックレットの第一冊めである)。
 
 (略)・・・話し合いの後、次のような「処理」が行なわれた。『マザコン少年の末路』は絶版とせず、上野氏の筆になる「『マザコン少年の末路』の末路」という反省・総括文を付録として「増補版」を刊行する(増補版は一九九四年二月刊、七〇〇円)。また、すでに『末路』を購入した人には、付録の抜き刷りを希望者に無料で送る。そして、話し合いに参加した七人による、本問題に対する意見表明(上野氏に関しては、「付録」の再録)の冊子を『河合おんぱろす』増刊号「上野千鶴子著『マザコン少年の末路』の記述をめぐって」として刊行する(一九九四年四月、河合文化教育研究所発行、一〇〇〇円)。

 こうした一連の話し合い、「処理」の結果、抗議した側の怒りは晴れただろうか。ノーである。「上野さんは、自閉症が『母親の過干渉過保護という育てかたによって引き起こされる母子密着の病理だ』というのは、『根拠のない偏見』であるということは認められたが、そうした『育て方によって引き起こされるというものではない』ことは、明言されなかった。・・・残念ながら、二度の話し合いの後も、上野さんには、最後まで、『自閉症』が『障害』であるという私たちの主張を理解していただけなかった」(冨田、四八頁)。

これは今回の問題を離れて、実に腑に落ちる対比列伝というか。 


「♪上野千鶴子と 橋下徹 まさにお似合い ご両人」
 
と思わず都都逸になってしまったが、橋下・・・じゃないのか、「大阪維新の会」が「親の愛情不足で発達障害になる」、上野千鶴子が「マザコンの母子密着で自閉症になる」・・・うーーん、北斗と南斗!!阿と吽!馬場と猪木!!うなぎとうめぼし!!


と個人的にははまり具合に納得というか、美すら感じる。
つまりこういうのを打破して、そーいうのと各種障害は関係ありませんと破邪顕正、秋霜烈日の剣を振るうのが、「科学は思想の上にあり」、というゆるぎなき19世紀啓蒙主義概念なのであります(ややこしい科学哲学はわからんので無視します。)

しかしながら

科学とは常に最有力仮説であり、反証可能性が開かれているだのどーのこーの・・・な定義がある。上のように、今現在はどや顔で「おめーら非科学的杉」と大阪維新の会上野千鶴子も蹴り飛ばしておりますが、研究した結果「やっぱり【愛情不足や母子密着】(も)原因という結果が出ました」となれば「ああ、そうっすか。はい了解」と乗り換える用意はある。
 
その場合、やっぱりこれは「愛情不足批判は、家に女性を縛り付ける思想」とか「マザコン批判は、家庭の結びつきを壊す思想」とかいう、「思想」による批判の上に、科学として立つだろう。仮定の話だからこれ以上いってもしょうがないけど。


育児・教育に関してイデオロギー的な論争がよく起きる理由のひとつが、「幼児・子どもをこういうふうに育てたらこういう結果が出ました」というのが、そう簡単に比較研究できるものでないというのが大きいのだろう。
ひょっとしたらテレビをずっと見せてたほうが、情緒や知能の発達にはよりいいのかもしれない。とんでもない害なのかもしれない。赤ちゃん、幼児は、母親の代わりを保育園の保母さん保父さんは務まらないのかもしれない。逆にまったく違いがないのかもしれない。否、お母さんと一緒にいるのよりいいのかもしれない。
(さらに言えば「いい」って何か、という定義もある)
 
こういうあれやこれや。ひょっとしたらこれは科学・医学分野での結論が出るのは100年後かもしれないのだが、それが民主主義なり伝統思想なりとまったく整合性が取れない「えーっ??」という”不都合な真実”であるかもしれない、そんなことがあるかもとは思っている。
育児の正誤は科学一点にあり。発達心理学者は各員奮励努力せよ。


【追記】このエントリの執筆後に発見。一応、推進側も(維新の会そのものではなく、アドバイザー・イデオローグ的な立場のひと?)「科学の土俵」で相撲をとる意思はあるみたい
http://www.oyagaku.org/userfiles/files/rinnji20120508.pdf

条例案に「乳児期の愛着形成の不足が軽度の発達障害やそれに似た症状を誘発する大きな要因」「伝統的子育てによって(発達障害は)予防できる」と書かれていることに対して、「親の育て方が原因であるような表現は医学的根拠がない」というのが、批判の最大のポイントになっています。この批判の箇所については、私の見解とは異なる点があります。発達障害の原因は先天的な基礎障害(impairment)ですから予防はできませんが、斎藤万比古総編集『発達障害とその周辺の問題』(中山書店)によれば、乳幼児期の早期に出現するとされる能力障害(disability)、さらに、学童期から思春期にかけて出現するとされる二次障害は「個体と環境の相互作用の結果の産物」として理解する必要があり、一つの側面として「発達障害は関係障害である」とも指摘されています。
したがって、子供たちに大きな影響を与える環境を整えることは、症状の予防や改善につながると考えることができます。
また、文部科学省脳科学に関する報告書も「遺伝要因と環境要因が複雑に絡み合って発症する」と述べ、世界保健機関(WHO)は11年前に障害分類を改定し、個人の障害を環境との関係性の中で捉え、個人因子と環境因子の相互作用を重視する視点に転換しました。
さらに、浜松医科大学杉山登志郎教授は、高齢出産やたばこの影響、多胎、未熟児、生後から1歳までの環境要因の積み重ねが発達障害の要因になりうると、指摘しています。
このように子供の発達にみられる後天的、二次的障害にウェイトを置いて発達障害に言
及する科学的知見も見られます。家庭教育は子供の発達の支援であるという立場に立てば、このような科学的知見は、特にこれから親になる人たちに一刻も早く提供する必要があるのではないでしょうか。より早期の対応が有効ともいわれています発達障害の予防と早期発見、早期支援に全力をあげる「未来への投資」こそが求められているのです。勿論、「乳幼児期の愛着形成不足」が先天的な基礎障害の「大きな要因」ではありません。
その点では条例案は不適切です。しかし、二次障害に環境要因が関係していることは明らかですから、二次障害については、早期発見、早期支援、療育などによって症状を予防、改善できる可能性が高いといえます。
その意味で、発達障害児・者の親の心情に最大限の配慮をしなければなりませんが、親
を責め傷つけることにつながるという理由で、環境要因や育て方が二次障害に関係するとの見解までもタブー視し、「疑似科学」と不当なレッテル貼りをしてしまうことは、子供の「発達を保障」することによって得られる子供の「最善の利益」を損ねることになるのではないでしょうか。
親の「人権侵害」だと声高に叫ぶ人たちには、子供にも発達段階に応じて親から保護さ
れる権利があり、教育基本法第10 条が「父母その他の保護者は、子の教育について第一
義的責任を有するものであって・・・・・心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする」と明記していることも忘れないでほしいと思います。
いずれにしても、この専門領域については未だ研究途上にあり、専門家の見解が分かれ
ているので、見解を異にする専門家からのヒアリングをしっかり積み重ね「発達障害」という用語の定義を理解し、共通理解を深めたうえで、十分に論議を尽くして再出発する必要があると思われます。

【追記2】上の高橋声明を論評したブログ(ホットエントリより)

http://d.hatena.ne.jp/bem21st/20120511/p1

・・・「考えることができます」という可能性と実際に「できる」との間には遙かに遠い距離があることを認識すべきである。・・・(略)高橋氏には親の子育てが原因で二次障害がどの程度生じているのかを根拠を以て明らかにすることと、それを「日本の伝統的な子育て」によって予防「できる」ことを証明する責任がある。
(略)「早期支援」や「ペアレント・トレーニング」が必要であるにしても、それは内容次第であることは言うまでもない。高橋氏は支援の具体的内容とその有効性の根拠を示す必要がある。想像するに彼のいう支援の具体的内容とは内容はおそらく「日本の伝統的な子育て」のための親への教育的介入なのであろうが・・・
二次障害が「乳幼児期の愛着形成不足」によって多く生じていることの根拠を明らかにし、「日本の伝統的な子育て」を具体的に定義した上で、それが発達障害の二次障害の予防に有効であるという根拠を・・・