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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「投票に行く・行かない論」補遺。「公に推奨される行為」とは?「選択の自由」とは?

「選挙に行く・行かない」論がはてなのエントリで盛り上がって、
「正・続 選挙にはいかない」
http://d.hatena.ne.jp/takuya/20090825/1251227230
http://d.hatena.ne.jp/takuya/20090826/1251308604
この前それを受けた意見を書いてみました。


それで、発展してちょっと思ったことは「棄権はけしからんことである、というのは公に言っていいことなのか?」です。

類推するのはこの話題である。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/f26e3c60a6bd9bb0310ed21aba2c5b35

・・・今後の少子化対策について「結婚し2人以上の子どもを持ちたいというきわめて健全な希望にフィットする政策を考えいかなければならない」とポロリ。「結婚・子ども2人希望が健全」という「健全」という言葉にひっかかる。「健全」があるからには「不健全」が存在することになる。「子どもをつくらない」「いらない」「つくることが出来ない」のは不健全なのか。


この前落選した保坂展人氏のブログより。2007年か、今回の自民党崩壊の第一楽章となった「安倍政権の閣僚失言」のひとつだ。
これが興味深いのは「子どもを産む(柳沢は「産みたい」という希望が健全だと言ったのだと説明している)のはいいことです」というのは公に言っていい、正論となる。

と同時に、「子どもを産みたくない、結婚しないというのも個人の選択であって、けっしてそれが悪いわけではありません」というのも言わなきゃいけないわけだ。少なくとも学校なんぞで公に教育するときなんかは、なんとかフリー的な立場からも共同参画社会の立場からも、そのへんは細心の注意が必要なんだと思われる。


で、「投票しようよ」というのもこれに近いんじゃないかな?
「投票はいいことです、大切です」というのはOKだが「棄権するとか選挙に行かないってのはけしからんです」というのは「子どもをほしくないというのはけしからん」というのと同様の過干渉なんじゃないかね。

で、たとえば学校で選挙について教えるとき

A/「投票は大切です。棄権(投票に行かない)はよくないことです」
と教えるべきか
B/「投票は大切です。棄権する、投票に行かないというのも個人の尊い判断・選択であり、尊重しなければいけない権利ですけどね」
と教えるべきか。

わたしは、Bのほうがあらゆる角度から検討しても正論なんだと思うんですけどね。Aのほうが正論だという人は教えてほしいものだ。