■「選挙に行く・行かない」の是非に関する、原理的な議論
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090902/p5
※このエントリは他ブログ「正・続 選挙にはいかない」
http://d.hatena.ne.jp/takuya/20090825/1251227230
http://d.hatena.ne.jp/takuya/20090826/1251308604
それへのブックマーク
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/takuya/20090825/1251227230
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/takuya/20090826/1251308604を読んで展開したもの。
キケン(棄権)な話。〜総選挙を前に、浅羽通明「思想家志願」から
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20121213/p3
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ロフトの席亭、今選挙も「棄権宣言」
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20121214/p4
一応ざっくりとリンク先の話をまとめていうと「選挙は行かねば」論は、一種の神聖化装飾・・・「チケットを買って会場で観戦するのが真の格闘技ファンだ」「youtubeでなくCDを買って聞くのが真の音楽ファン」のように、それを実際の価値以上の「神聖さ」の装飾がつけられている。
ただ、問題はそこからだという話。
さらにいうと、これはリンク先にはないけど、「白紙でもいいから投票を」の議論として「投票の秘密で誰がどこに入れるかわからなくても、地域や世代ごとの投票率は結果として明らかになる。そこが高いと選ばれた候補者は『ここは投票率が高い(低い)から、そこにウケる政治をしないと危うい』という抑止力になる」、というのは、もちろん結果としての数字になるにはかなりの数がそれに沿った行動をする必要があるんだけど、少なくともロジックとしてはよくできていると思った。
これだけちょっと毛色の違うもの。
選挙にもし行った際に、投票の参考になるかも、ならないかもの話。