「町でうわさの天狗の子」という少女漫画の作品を読みました。えーと作者はだれだっけ。
この作品は、ブックガイドとしてはなんだかんだといって大変に役立つ「マンガノゲンバ」によって知りました。
といってもそれは引っかかる物が無いと、いくら漫画喫茶といってもページを開く気がしない。
ある程度引っかかったのは、紹介にSF(すこし・ふしぎのほうね)的なにおいを感じたからです。
簡単にいっちゃうと、
主人公の中学生だか高校生だかの女の子は、お父さんが天狗であり、ふだんは神社の霊山に離れて住んでいると。
で、この子はそれなりに超能力(怪力無双など)があるが、その超能力や自分の特殊な生まれを普段は気にしないというか「普通の子」志向があって、普通の恋愛とかにこそ興味がある。その一方で「なんでそんなにすばらしい能力があるのに生かさないんだ!」といわれたりもする。そんな日常を描くという、おはなしでした。読んでみると。
SFもの、ことにエスパーものというのは、実にどうも「マイノリティ問題」を深く掘り下げるツールになり得るもので、数々の傑作が残されている。最近ではどうしても既存の名作のパロディに流れるという持病(笑)を抱えつつ、椎名高志の「絶対可憐チルドレン」が大健闘しているのはご存知のとおり。
「町でうわさの」というタイトルから、
そういう部分を追っていると
俺は勝手に勘違いしたんだな(笑)。
実際に読んでみるとこの作品は、そこまで悩んだり迫害されたりせず、むしろ「普通じゃない能力や生まれを持つ子が、別に意識せず、その個性を否定もしないけどふつーに悩んだり喜んだりする」というのを・・・いわゆる”まったり”描いていてます。
感心したり、うなったり、驚いたりは正直あまりしなかったけど、それとは違う漫画を読む楽しみ…一種の”心地よさ”は確かにありました。
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で、ちょっとマイナーなこの作品についての解説と、少女漫画を読んでいることの言い訳を済ませたあとで本題(笑)。
この作品の中で、上にちょっと書いたように主人公の女の子に「なんであなたはそんな力があるのに普通の子になりたがるんですか、勿体無い」と説く一派がいる。そのうちの一人は幼馴染みでちょっと保護者的な男の子、でも主人公が好きなのは逆にちょっとおっとりして「普通の子の彼女」と付き合っているという実にまぁ王道でありますが、まあとにかく「その潜在能力を生かせ派」にやいやい言われて、しぶしぶ主人公が修行をするというストーリーがあります。
やってみると、天狗の血を引く娘だけあって、実にすごい潜在力を発揮します。
「自分ってすごいんだなー」と自分に驚く主人公(右)に、仲間の一人(左)が・・・・
「天狗界のチェ・ホンマンです」
ほめたか? ほめてるのか??
・・・まあこれも仕方ないんで、読んだあと奥付をチェックしつつも忘れてしまったのだが、確か初出は2006年か2007年のはず。
そのころは「ノーダウン」とか「判定の是非はともかく、シュルトにKOされなかった」とか「アメリカ予選優勝経験もあるゲーリー・グッドリッジを一蹴」とか、まあこの後の伸びに期待できるかもしれない、という声も確かにあった。
に、しても。
「あなたはXXX界のチェ・ホンマンだ」という比喩表現が、時代を経るとこのようになってしまうという歴史の残酷さ、K-1の厳しさ。
それを、意外なところで知ったというお話でした。
でもいま、あらためて一コマを抜き出してみると、失礼ながら絵はヘタだよね(笑)。