何がきっかけということもなく登場するネット上の手塚治虫論、エピソード集だが…今回は「あんぱん」関連かしら?
最初のまとめはブクマ三桁越えか。
[B! マンガ] 手塚治虫は神格化されすぎて「締め切り前によく逃亡してた」とか「夜中に突然『メロンを食わないと描けない』と言った」などの面白クズエピソードがドラマとかだとほぼ省略される
んで、これは以前、手塚治虫評伝漫画を色々読んだ時に自分が思っていたことでした。
m-dojo.hatenadiary.com
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最初の記事から。
購入して読んでみました。
データ的にいうと、古谷氏は昭和34年から4年半ほど手塚のアシスタントをしており、当時の手塚は「魔神ガロン」や「キャプテンken」などを連載、アニメでは「ある街角の物語」などを製作したという。
手塚治虫のエピソードに関しては、
(1)藤子不二雄氏らが「まんが道」で描いた様な、やさしさと心配りにあふれた人格者
という像があり、それと同時に
(2)己に厳しい求道家にして、アイデアとそれを支える技術(作画の早さなど)を持つ超人像。
そして最近、ってわけではないけど、
(3)それでも殺人的な締め切りに追われて逃げたり言い訳したり、それでもなんとか間に合わせたりという、喜劇的な編集者との攻防などの「畸人伝」的な話。
そして
(4)とにかく貪欲で全ての漫画家に勝ってやるというライバル意識、嫉妬深さを持ち続け、あの大御所がそういうライバル意識を後輩に持つこと自体がギャグになっている面
なんかがよく描かれます。少なくとも自分はそういう面に注目します。そして今回のこの本、1-4がすべて網羅されていて大変楽しく読めました。
2番目の記事。
この「4人の手塚治虫」という自己流分類に関していえば、今回は特に(2)と(3)に焦点を当てていたように見えました。
なにしろ(3)で言えば、当時は手塚の第一黄金期とは違って世は週刊誌時代。作中にアシスタントの台詞として出てくるが
当時、手塚先生の連載は「ブラック・ジャック」「ユニコ」「三つ目がとおる」「火の鳥」「どろんこ先生」「ブッダ」「メタモルフォーゼ」の8本ですから!!
この時点で既に狂気だよ!!!!
だから、第二次黄金時代の手塚は(3)の悲喜劇も桁違いのスケールだし、それをなんとかクリアしていくときに発揮される(2)のほうも、その超人性が光り輝くのだ。これを追い詰めていく側の編集者の視点を導入すると、怪盗ルパンと銭形警部のような追っかけっこも描けるし、超人ホームズの天才に舌を巻くワトソン、も演出できる。
もともと「松田優作物語」でも使った、インタビューの情景(つまり、まだ生存している当時の登場人物の現在の姿、語り口を描く)を盛り込む手法を使っているから、さらに効果的になる。
具体的に紹介すると「編集者が締め切り破りへの怒りのあまり、壁を殴って穴を開ける」・・・オイ。
「この話は事実談であり…この編集者は実在する!! お疑いの向きは−−当時のアシスタントで、現在漫画家兼エッセイストの石坂啓がその場面を目撃しているから、彼女に尋ねるとよかろう」(なぜか梶原一騎調。)
※このあとも、別キャラの手塚治虫を論じています
そして、あらためて思うのだが、この4人格というか4キャラクターは、あまりにも皆、「キャラ立ちしすぎている」。
どこに焦点を当てても、
お話が成立しちゃうんだもの。
なにしろ(4)の「嫉妬深さ」に焦点を当てただけで、評伝ではなく水木しげるがそれをモデルとして短編を一本書けちゃうレベルだ。
水木しげると手塚治虫、そしてキケンな名作?「一番病」
あ、あと、手塚治虫をすっごく皮肉に、そしてすっごく温かい目で見た「一番病」もじつに忘れがたい。
さて、そろそろふたりは再度のご対面…となるわけだが、あっちでも「ぼくにもあれぐらいの妖怪マンガはかけるんです」「アンタ、寝なさすぎでしたナ」みたいな会話がなされることはたやすく予想がつく(笑)
自分はここに収録されているのを読んだ。wikipedia:一番病
本作品について水木しげるは、手塚治虫をモデルにして、一番になる事ばかりにあくせくする棺桶職人を描いたと述べている[1]。 加えて、当時の売れっ子漫画家達は超多忙を楽しみ、たまに会うと徹夜自慢みたいな話に行き着くのでいつも驚いていた旨を回想しており[2][3]、作中で描かれる「一番病」の症状との共通点が見られる。また、ノンフィクション作家の足立倫行は、作中の棺桶業界は当時の漫画界を擬したものだと指摘しており[4]、他にも水木関連の書籍では同様の解説がされているものがある[5]。
足立は、作中で水木と手塚と思われる人物が喧嘩をする場面に触れた上で、2人の確執を察しており[6]、現に水木は手塚から敵意を持たれていた旨を語った事がある[7]。だが、水木は後年の書籍で手塚との不仲を否定しており[1]、「一番であり続けた手塚さんは大変だったろうなあ」とも回想している
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「うちだって『動くカンオケ部』を合わせりゃ…」
「パイオニアなのに数でまで張り合わなくても」「いや負けられない」
「本人にとっては苦しみじゃないようだ」
・・・・・・・・・・・・どうみても モデルは世界であの人だけです ありがとうございました。
漫棚通信でも語られている水木しげると手塚治虫 http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2005/02/post_7.html
同時代に手塚治虫という巨星が存在するわけですから、意識しないわけはない。水木しげるも手塚についてはフクザツな気持ちを書いています。水木しげるが紙芝居を描き始めた1951年ごろ、手塚のマンガを読んで「アメリカのディズニー漫画の日本支店だな」と感じたと。画家になる夢をまだ持っていた水木しげるにとっては、少年マンガはすべて幼く見え…(略)
どやっ、そのふたりのコラボやで!!
手塚治虫展(江戸東京博物館)で売られてた、手塚治虫と水木しげるのコラボ商品 - 見えない道場本舗 http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090525/p3
そしてどやっ、togetterまとめも作ったで!!水木しげると手塚治虫〜「どろろ」や「火の鳥」にライバル心が見える? - Togetterまとめ http://togetter.com/li/907457






