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水木しげる先生、ちょっと「あっち」へ。〜思い出すいくつか

水木しげるさんが死去、93歳 漫画家で文化功労者
2015/11/30 16:09 【共同通信

 2014年5月、鬼太郎の人形と写真に納まる水木しげるさん(左)と妻の武良布枝さん=東京都調布市の水木プロ

 「ゲゲゲの鬼太郎」など独自の妖怪物で知られる漫画家の水木しげる(みずき・しげる、本名武良茂=むら・しげる)さんが30日午前7時ごろ、多臓器不全のため東京都三鷹市の杏林大病院で死去した。93歳。鳥取県出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。
 11日に東京都調布市の自宅で転倒して頭を打ち、入院していた。


まず、自分は水木しげるのいい読者では全くなかった。ゲゲゲの鬼太郎はもちろん、かつては何度も再放送されたキラーコンテンツであり、観てみると面白い話、深い話、暗い話も多かった…あれは何作目なんだろう、カラー放送で、EDが「おばけのポストに 手紙を入れりゃ…」のシリーズ。

ただ、それがまとめて2時間程度放送される、夏休みアニメ再放送まつりの中で一番大好きだった、ということは終始なかったし。
やはり自分は藤子不二雄から遡って、手塚治虫の山脈に連なる一派に属するのだろう。


いいも悪いも、その系譜とはまったく別の山脈…いやいやいや、「山脈」を水木氏は作らなかったようにも見える。(別の形で大きな影響を受けた人はいくらでも上がるけど「系譜」といえるだろうか。自分の独断で、山脈的な系譜はほとんどない、としておきたい)
まったく単独でそびえる巨峰だった。
手塚・藤子山脈に住んでいるからこそ、逆にそこに登るとか登らないとかは別にして「ああ、あっちに別の巨大な山があるね」と思わせてくれて、それは非常に安心感というか、心地よいものだった。


傑作群

とはいっても、やはり自分も、水木しげる先生の作品、有名どころや異色作などをけっこう、普通の人以上には読んでいる。
これはちくまの名物編集者・「編集狂」こと松田哲夫サンが水木しげる作品を「ちくま文庫」で次々と文庫化してくれたおかげです。

劇画ヒットラー (ちくま文庫)

劇画ヒットラー (ちくま文庫)


本日は戦前のドイツで、ヒトラーが急進派の突撃隊を粛清した「長いナイフの夜」の日らしい。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150630/p2


をはじめ、宮本武蔵近藤勇などをまさに「水木サン風」に料理した一連の作品はすごかった。

  

そして言うまでもなく、「総員玉砕せよ!」「敗走記」「カンデレ」なども、実に漫画史に残る作品だった(ただ、軍旗を守ることを肯定的に描いた作品などもあって、当時も違和感を感じたが…商業的要請や作劇法もあるのかもしれない)。

※追記
http://b.hatena.ne.jp/entry/255509108/comment/gryphon
のブクマで名前を挙げたため、こっちではうっかり作品名を描き忘れていたが、軍旗云々は「ダンピール海峡」のこと。
だが
水木しげる死去の報 - 法華狼の日記 (id:hokke-ookami) http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20151130/1448928503
で、作品としては「虚しさだけを残した」もの、つまり軍旗死守という行動を肯定して描いてるわけではない、というご指摘を頂いた。
確かに自分が強烈に印象(記憶)に残っているのは、要は主人公が軍旗を「これはただの布キレではないか」「そうだ捨てよう」と一度は思うのに「これが我々のシンボルだ」「捨てないでくれ!捨てないでくれ!」という幻影によって思い留まる、という展開…だが逆に言うと強烈に記憶しているのはここだけ。
最終的に捨てなかったので、「あれ?反戦っぽくないぞ」という印象を子供心に持ち、いまだにその印象は続いてたのだがそれ以外の細部はかなり忘却しているので、確かにご指摘の通りかもしれません。あとで機会あれば、再読して確認します。


参考 kousyouブログ

「敗走記」水木 しげるhttp://kousyou.cc/archives/13296

敗走記 (講談社文庫)

敗走記 (講談社文庫)

総員玉砕せよ! (講談社文庫)

総員玉砕せよ! (講談社文庫)

白い旗 (講談社文庫)

白い旗 (講談社文庫)

そして90年代、創刊された講談社の「ミスターマガジン」で南方熊楠を長編でえがく「猫楠」を連載(短編がその前にある)。

そのへんで再び水木ブームというか再評価も起こり、「奇っ怪紳士録」「神秘化列伝」などでは、知らない偉人、奇人を知る喜びも大変味わえた。
東西奇ッ怪紳士録 (小学館文庫)

東西奇ッ怪紳士録 (小学館文庫)

神秘家列伝〈其ノ壱〉 (角川ソフィア文庫)

神秘家列伝〈其ノ壱〉 (角川ソフィア文庫)

神秘家列伝 (其ノ2) (角川ソフィア文庫)

神秘家列伝 (其ノ2) (角川ソフィア文庫)

神秘家列伝 (其ノ3) (角川ソフィア文庫―Kwai books)

神秘家列伝 (其ノ3) (角川ソフィア文庫―Kwai books)



奇妙な”究極のエゴイスト”…だからこそ、「戦争と戦場」に対峙できたのではないだろうか。

と同時に「水木サンは、作品以上に本人の言動が面白いんだよ、実は」という話も、おそらく90年代ごろから活発に言われるようになり、自然と、或いは明確な取材意図を持っての「観察者」や「知遇を得る」才人がたくさん集うようになった。

妖怪と歩くドキュメント・水木しげる (文春文庫)

妖怪と歩くドキュメント・水木しげる (文春文庫)

水木サンの迷言366日 (幻冬舎文庫)

水木サンの迷言366日 (幻冬舎文庫)

自分はお馴染み呉智英サンが、上記松田サンと親しい関係だった縁で水木サンの民俗学関係資料の整理アルバイトになり、その後も自伝のリライトなどで何度も出入りしていたということで、彼を経由した秘話を読んでいました。

その呉夫子が、「小出しにしていたエピソードを、今回決定版として書く」「本当は先生がお亡くなりになってからかこうと思っていたが、元気な水木先生より病弱な自分のほうが先に逝きそうだから、ここに書き残しておく」と決して書いた2002年の文章が「犬儒派だもの」に収録されている。

犬儒派だもの (双葉文庫)

犬儒派だもの (双葉文庫)



さっきtwitterでは、字数制限があるので画像でこんなふうに紹介したけど、


やはり印象的なエピソードなので、検索してみたら引用しているサイトも多数見つかった。
そこから孫引きする。

http://blog.goo.ne.jp/s-matsu2/e/a12e14346279ea155fafe5eaad5ecc17
(編集の手伝い仕事で)子供の頃ガキ大将だった水木が近所の子供を殴って転校させてしまっった話に救いがないので少し修正させようとする話。

「子供が転校した時、水木さんはどんなことを考えましたかねぇ」

即座に、いとも簡単に水木は答えた。

「何も考えません」

はいそうですかと引き下がったのでは仕事にならない。

「この子供の気持を考えると、心が痛んだとか、転校先の生活が気になるとか、何かありませんでしたか」

またも簡単に水木は答えた。

「ありません」

「どうしてでしょうねぇ」

「自分はドライだったからです」

私は仕事を全うすることをあきらめて、笑い転げた。

ちなみにこの時、呉智英氏が編集整理、加筆などに関わった作品とは

のんのんばあとオレ (講談社漫画文庫)

のんのんばあとオレ (講談社漫画文庫)

です。


http://entablo.seesaa.net/article/160251038.html
今、水木しげるは戦後初めてラバウルを再訪した日のことを私に語っている。死んでいった戦友たち、生きのびた自分。
「戦友たちは、うまいものも食えずに若くして死んでいったんですよ。その戦地に立って、ああ、自分はこうして生きていると思うとですなぁ」
水木しげるは確信を込めて言った。
「そう思うとですなぁ、愉快になるんですよ」
私は遠慮なく笑い転げた。目から涙がほとばしった。笑いは止まらないままであった。
「ええ、あんた、愉快になるんですよ。生きとるんですよ、ええ。ラバウルに行ってみて、初めてわかりました」
これほど力強い生命賛歌を私は知らない。生きていることほど愉快なことがこの世にあろうか。歴史は死者で満ちている。しかし、自分は生きているのだ。なんと愉快なことだろう。

後者のほう、たとえば山本七平氏とは全然違う。
山本氏は時折酔って「俺が戦友を見殺しにしたんだ、あの時助けにいけば―」と号泣しているところを、息子が目撃していたりする。
もっとも山本氏は徴兵されると、いわゆる見習士官として否応なく「部隊を命令する立場」になったからかもしれない。
この時「戦友を見捨てた」ことが、逆に部下に「おかげさまで生きて帰れますけん」と感謝されるような、ぎりぎりの戦場だったという。

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)

閑話休題


以前「小役人こそが、もっとも勇敢なレジスタンスになり得るかもしれない」という話を書いたことがあるけど、「エゴイストがもっとも強靭な反戦家になる」というのは、もっとストレートに繋がるような気がする。
実はさっき、「反戦思想家」、と書いて、思想じゃないよな…と二字を抹消した。敢えて言うなら「反戦本能家」だろうか。


その一方で、飛ぶ鳥落とす勢いの小林よしのりゴーマニズム宣言 戦争論」の時に、かなりはっきりした形で、ゴー宣的戦争観に反対したマンガを発表していたという記憶もある。それも、ゴー宣本編をSAPIOで連載している関係があるにも関わらず、小学館の雑誌で発表した…と記憶しているんだが、違ったかな?
検索すると、これらしい。


カランコロン漂泊記 ゲゲゲの先生大いに語る

カランコロン漂泊記 ゲゲゲの先生大いに語る


しかし、エゴイズムも反戦も、水木サンの一部でしかない。
もっと別の視点での評価や感想は、さらにふさわしい人が語ってくれるだろうと思う。

自分のツイート抜粋

 ↑動画ではないが、このソース

http://sankei.jp.msn.com/life/news/111015/imp11101507010001-n1.htm
……“水木節”が全開に。「両陛下だから特別の気持ちですね。天皇陛下は日本に一人しかいないからね。一人しかいない人というのは珍しいから…」といった調子で記者たちを煙に巻き、妻の武良布枝さんに「あんまりふざけないで」とたしなめられる場面があった。

 最もインパクトがあったのは、「いやぁ、天皇家はお化け好きですよ」の一言。「根っからのお化け好き。近づいたときに感じます」……


水木しげる呉智英」togetterつくった

水木しげるサンと呉智英氏〜元資料整理スタッフが見た、知られざる一面 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/907071

水木しげる手塚治虫、そしてキケンな名作?「一番病」

あ、あと、手塚治虫をすっごく皮肉に、そしてすっごく温かい目で見た「一番病」もじつに忘れがたい。
さて、そろそろふたりは再度のご対面…となるわけだが、あっちでも「ぼくにもあれぐらいの妖怪マンガはかけるんです」「アンタ、寝なさすぎでしたナ」みたいな会話がなされることはたやすく予想がつく(笑)
 
自分はここに収録されているのを読んだ。

wikipedia:一番病
本作品について水木しげるは、手塚治虫をモデルにして、一番になる事ばかりにあくせくする棺桶職人を描いたと述べている[1]。 加えて、当時の売れっ子漫画家達は超多忙を楽しみ、たまに会うと徹夜自慢みたいな話に行き着くのでいつも驚いていた旨を回想しており[2][3]、作中で描かれる「一番病」の症状との共通点が見られる。また、ノンフィクション作家の足立倫行は、作中の棺桶業界は当時の漫画界を擬したものだと指摘しており[4]、他にも水木関連の書籍では同様の解説がされているものがある[5]。
足立は、作中で水木と手塚と思われる人物が喧嘩をする場面に触れた上で、2人の確執を察しており[6]、現に水木は手塚から敵意を持たれていた旨を語った事がある[7]。だが、水木は後年の書籍で手塚との不仲を否定しており[1]、「一番であり続けた手塚さんは大変だったろうなあ」とも回想している

  
「うちだって『動くカンオケ部』を合わせりゃ…」
「パイオニアなのに数でまで張り合わなくても」「いや負けられない」
「本人にとっては苦しみじゃないようだ」
・・・・・・・・・・・・どうみても モデルは世界であの人だけです ありがとうございました。
漫棚通信でも語られている

水木しげる手塚治虫 http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2005/02/post_7.html
 同時代に手塚治虫という巨星が存在するわけですから、意識しないわけはない。水木しげるも手塚についてはフクザツな気持ちを書いています。

 水木しげるが紙芝居を描き始めた1951年ごろ、手塚のマンガを読んで「アメリカのディズニー漫画の日本支店だな」と感じたと。画家になる夢をまだ持っていた水木しげるにとっては、少年マンガはすべて幼く見え…(略)

どやっ、そのふたりのコラボやで!!


手塚治虫展(江戸東京博物館)で売られてた、手塚治虫水木しげるのコラボ商品 - 見えない道場本舗 http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090525/p3


そしてどやっ、togetterまとめも作ったで!!

水木しげる手塚治虫〜「どろろ」や「火の鳥」にライバル心が見える? - Togetterまとめ http://togetter.com/li/907457