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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

矢口高雄「ボクの手塚治虫」紹介完結編。「まんが道」は秋田の山奥にも通じていた

鬼滅の刃」の恩恵が、こんなところに波及するとは思わなかった……

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「山奥で、自然相手の重労働」
「長男の責任や義務など、昔の価値観」
そんな連想から、当方が以前、ひそやかに紹介していた、矢口高雄の旧作品に、注目が集まっていくというね。


これこそ、もう一度ドンとこのビッグウェーブに乗るしかない。乗って1人でも、読者を増やしたいのだ。

そしてそもそも、この作品についてはちゃんとまとめて全体的な書評をするつもりが、さぼっていたのではないか。
この機会に完成させるべきであろう。

幸いなことに、冒頭部分はすでに書いていた。詳しくはこちらを読んでほしいが、とにかく一般的な意味では「文化資本」というものが影も形もない山奥ながら、本好きである母親の下克上の…いや下克上ちがうけど(笑)、とにかく母親の影響で読書、漫画、物語が大好きになった矢口高雄少年。
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それが、あるきっかけで、実に衝撃的な漫画と出会うのだ。そのマンガは、正確な科学的知見がちりばめられ、その上「飛び出して」くる………

矢口高雄 ボクの手塚治虫 画面から飛び出す
矢口高雄 ボクの手塚治虫 流線形の解説

この感想は、秋田ではなく富山で「新宝島」を目にした藤子不二雄コンビの感想とうり二つであることに、皆さん気づくだろう。

まんが道 新宝島


サカナクション / 新宝島 -New Album「834.194」(6/19 release)-

……この本を手にしたことによって、僕の運命は決まったのだ。本文のページをめくって、僕は目のくらむような衝撃を感じた。
 見開きの右ページの上に、“冒険の海”へという小見出しがあって、その下の一コマに、鳥打帽を小意気にかぶった少年がオープンスポーツカーを右から左へ走らせている。(中略)
 こんな漫画見たことない。二ページ、ただ車が走っているだけ。それなのに何故こんなに興奮させられるのだろう。まるで僕自身、このスポーツカーに乗って、波止場へ向って疾走しているような生理的快感を憶える。
 これは確かに紙に印刷された止った漫画なのに、この車はすごいスピードで走っているじゃないか。まるで映画を観ているみたい!!
 そうだ、これは映画だ。紙に描かれた映画だ。いや! まてよ。やっぱりこれは映画じゃない。それじゃ、いったいこれはナンダ!?
藤子不二雄著『二人で少年漫画ばかり描いてきた』1977年・毎日新聞社

しかし面白いもので、これは実証主義的に表現技法の起源を調べるなら「神話」ではないか、との研究がいろいろ出ている。


研究者のマット・ソーン氏も語っていたのだが、アカウント消えちゃってるか…
https://twitter.com/matt_a_thorn


とはいえ!!!!

実証的な研究はともかく、個々人の体験としては、それがものすごい衝撃だったことは間違いない話なのだろう。だからいま「ダイの大冒険」リメイクを見て「修行で大きな岩を斬る?それ『鬼滅』のパクリじゃん」とか「マッドマックスってなんでこんなに北斗の拳そっくりなんですか?」みたいな感想をいうファンがいても、そこは許してあげてください(笑)

ともあれ、これで矢口は「手塚治虫」という奇妙な名前の漫画家を知ることになる。
そして、初期の傑作「メトロポリス」や「ジャングル大帝」と出会うのだ。都会からやってきた親戚のお土産だったり、あるいは便所の紙用に置かれた雑誌の中から……

そうそう、実は「便所」に関してだが、後年の矢口高雄手塚治虫の修業時代、少年時代の習作を目にして「書いた手塚先生もすごいが、この紙を使わずにとっておけるなんて実家が裕福だったんだなあ…」と羨んでいる。
今ならそれなりの市場価値もつき研究資料にもなるだろう「矢口高雄が少年時代に描いた絵」は、実は1枚も残っていないのだ。便所紙となって……(笑)

矢口高雄 ボクの手塚治虫

実はここから、えんえん13ページにわたって、当時の秋田の農家では、トイレットペーパーの代わりに何をどう使っていたか、が描かれるのだ。
実は、使った紙は街なら便槽に落とせるが、農家では肥料とするために紙を落としてはいけないそうなのだ。で、紙を節約するために、植物の葉が推奨された。これは逆に、大便と混ざるとたい肥としての質が高まるのだという。しかし、採れたてはいいが乾燥すると…、
また、紙の供給源は「学校」であり、返却されたテスト用紙なども重宝される。しかしそれが100点ならいいけど…ということで矢口少年は一計を案じ……

いやあ、こんなの初めて知った知識だ。一定年齢以上の高齢者は体験していたはずだが、それを語って、ましてや詳細な絵にして残そうって人はそういない。
だからこそ貴重なのだよ。そしてこの13ページのトイレ話が、最後は思わぬイイ話に着地するのである(笑) だからこの紙と便所を巡る思い出話は、ぜひご注目いただきたい。



そんな形で「メトロポリス」や「ジャングル大帝」を知った矢口少年は、とくに後者が「漫画少年」の連載であることを知り、自分でアルバイトをして稼いだ金で、街の本屋で同誌を買うことに踏み出す。

それがこの前、ツイートの方で紹介した杉皮運び。その大変さの描写が竈門炭治郎の炭売りを追体験するよね、と書いたことから、当方周辺でのプチプチ矢口高雄リバイバルブームが始まったわけ(笑)


※いまこのツイートは理不尽な凍結で読めない。しかし引用画像は消えているが、文章だけはこのまとめに残っています
togetter.com


しかし、いま思えば、戦後まだ5年目で、秋田県の田舎町の書店にさえ「漫画少年」雑誌が届く、という出版流通の立て直しは、やはり驚愕せねばいけないと思う。そして、それを「20キロ」遠方から買いに来る少年の情熱も。今、ネットを通じて、会員なら地球の裏側でもリアルタイムで漫画の最新回が読める時代。紙の本もアマゾンでぽちりとやれば家まで届く時代。リアルな書店が次々と消えていく時代… そんな時代だからこそ、かつての出版流通が今から見ればとんでもなく不便であるのと同様に、「その時代にそこまでできていた」ことをフェアに評価したいものだ。


それを支えていたのは「需要」でもある。
朝ドラ「エール」でも描かれる終戦後の闇市だが、ここでも出版物、特に漫画は「呼び込み宣伝をしないでも、品質がいかにひどくても客が殺到して売れてしまう。」
どれぐらい売れるかというと「めちゃくちゃな欠陥品でも売れまくるので、売ってる側が気が咎めて『ちゃんと質の高い漫画を世に送り出さねば!!』と改心するレベル」で売れたという。

ボクの手塚治虫 闇市で売れまくるマンガ

それが、矢口高雄もデビュー時に活動の拠点とした「ガロ」の青林堂であり、その精神は今も引き継がれているのである(超反語)


書店に戻るけど、当時も今も、書店の経営者は単なる身過ぎ世過ぎの商売ではなく「日本の文化向上の前衛たらん」という気概を持っていたようだ。
いいか悪いかと言ったらアレなのだが…「おまえは見所がある。見て見ぬふりをしてやるから、いろんな雑誌に載っている手塚マンガを立ち読みしていけ」と矢口少年を励まし、さらには
「そんなに熱心な手塚ファンなら、先生にファンレターを送ったら??」と勧めるのである。

ボクの手塚治虫 ファンレター


この本屋さんのアドバイス、どこまで事実かはわかりませんが、とにかくも秋田の矢口少年が、好きが高じて手塚治虫にファンレターを送ったのは事実のようだ。
これもまた、富山の少年2人と重なり合う…
そして、この時に「ファンレターを出す」という行為に踏み出したことが、おそらく漫画家・矢口高雄の誕生には決定的なものとなったのだと思う

少しの勇気がきっかけで動き出す世界. All right どこへでも行ける
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どこにいたってその気持ち次第で見つけられる. Little bits of happiness 恐れないでその“はじめて”で世界は広がる

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矢口高雄少年がファンレターを出すことを決意するまで。何を描こうかとあれこれ思案すること。出すときのドキドキ感、返事がくるかも、来ないかもの期待と不安の反復、そして………

これらすべて、おそらく公式アカウントに@リプライを送ってリアルタイムで通知がいく今でも、同じ思いをファンは味わっているのだろう。

今の漫画家諸氏へ。
手塚治虫のような超特異天才、というかマァ「異常」のひとを真似せよ、とはとても言えないわけですが(時代も通信の規模も違うだろう)、それでも、たまにこの真似だけでもしてくれれば、あなたが手塚の役を、そして返信したファンが、矢口高雄藤子不二雄になるかもしれないのですよ、とは言っておきたい。

ボクの手塚治虫 母さんが手塚の誠実な人柄に感動

そして、長じた矢口高雄は、故郷ではだれもが羨望と尊敬のまなざしで見つめる「地方銀行」の安定した職をなげうって、なんと30代で上京し漫画家に転身。
この経緯については、別の作品「9で割れ!」をご参照ください。アマゾンアンリミテッドはこっちも読み放題。


そそて才能と情熱、努力の結果、成功を収めると、出版社のパーティや、自分が受けた賞の授賞式で、手塚治虫の実物に会うことにもなるんだが……
この反応がまた、純情というか初々しいというか。

ボクの手塚治虫 成功するまで握手はお預け!だけど同じ空気を吸っている!


ただ、だいたい若手漫画家のほうはみんなこんな反応なんだよな。あの図太そうな(失礼)みなもと太郎先生ですら、最初に会話した時はこんなふうだ。

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そして、だいたいにおいて手塚の方が、その新人の作品を知っている。どうかすると嫉妬している(笑、実例多数)

矢口高雄も、最初に話しかけたらかなりの確率で「あの山や川の描写はすばらしいね。僕も描けるんだけどね」みたいな反応があったかも……(手塚の「ボクも描けるんだよね」については検索のこと)

もちろんその後、さらに輝かしいキャリアを重ねた矢口は、手塚と親しく話す機会も得た…
別の漫画だが、こんな話もある(笑)

田中圭一 ペンと箸 /矢口高雄手塚治虫、SW試写会で

r.gnavi.co.jp


のだが、それでもやはり緊張感と憧れの対象であり、1989年にたった60歳での訃報を聞いた時は「まだまだお話を伺いたかった」との悔いが残ったのだという。
(この作品は手塚逝去の同年、1989年9月には発行されている。だから、訃報に接した衝撃まで書かれているのだ)


「人との出会いに照れるな」という格言をかみしめる。

ともあれ、そんな形でこの本は、秋田の山奥に住む少年の「手塚治虫体験」を描きながら、当時の農業・出版・学校・消費生活のあれこれ、人々の生活、文化の伝播、読書の本質など多肢にわたるテーマを語っている作品だと思います。

キンドルアンリミテッド、アンリミテッドと連呼して、この前はこんな記事まで書いたけど
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だけれども、この前こんなブクマをいただいた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4690157536827015234/comment/niagadob.hatena.ne.jp

うむ?なるほどそうだ。330円だと、今読み放題で読めてる(ついでに言えば紙の本も持ってる)俺も、物欲・所有欲がかきたてられるな・・・・・・・・まあそのへんは、上に書いた他作品のこともかんがみて各自お考えください。



前も書いた話だが、矢口高雄先生はそもそも「自分の少年時代、青年時代の思い出」を漫画化、文章化することに非常に積極的で得意分野のひとつであり、この1作を読むのも無論いいんだけど、大河シリーズの年代記として読んでいくとさらに面白い。

そして「9で割れ!」とつづく。


そして、「手塚治虫」はもはや一大ジャンル、一大産業であり、へたするとタイムスリップ物でうまいオチが見つからないときですら、登場させれば〆ることができる(笑)。

これも、矢口先生の一策だけでなく、多くの人の証言漫画、伝記漫画によるサーガ、大河ドラマ、あるいは「多重アリバイ」の検証という形を取ればより楽しめることができるでしょう。


そして最後にこの曲を。

釣りキチ三平 OP「若き旅人」 フル full ver

人は誰でも未知の世界にあこがれ
旅に出るのさ たった一人で
ときには 人生 悲しみにぶつかり
ときには 青春 霧の中 さまよい・・(後略)
www.uta-net.com


(了)