「近代食文化研究会」アカウントが引用リポストしていた。
ニホンミツバチの場合、セイヨウミツバチと異なり養蜂が困難(すぐ逃亡する)なのではちみつが普及せず(延喜式に天然のはちみつは登場するが希少)
— 近代食文化研究会@新刊『新しいカレーの歴史 上』(日本渡来以前の諸国のカレー)発売中! (@ksk18681912) September 24, 2024
デーツのような極甘の果実も存在しないので、必然的に水飴が甘味料の主役となり、「甘さ控えめ」文化となりました https://t.co/T0cRU7StTw
元をたどると
>北方人の極甘料理好き
— もんけ(歴史)مونککاکا _تاريخ ꡏꡡꡃ ꡁꡁ ꡈ ꡝ ꡘꡨꡣ (@mongkeke_tarikh) September 22, 2024
これは亡き佐藤次高先生の『砂糖のイスラーム生活史』とかリブレットの『イスラームの生活と技術』とかにも書かれてたけど、元々中央アジアイラン方面は養蜂も果樹栽培も古代から盛んだったため甘味料に事欠かない感じで、https://t.co/W4pylMVnw7https://t.co/AiYOjGUeQH
もんけ(歴史)مونککاکا _تاريخ ꡏꡡꡃ ꡁꡁ ꡈ ꡝ ꡘꡨꡣ
@mongkeke_tarikh
イスラーム時代に入ってからに伝承によると、ーイランではサーサーン朝のホスロー1世かそれ以前のシャープール1世とかの時代にインドから精糖技術を移入して、南イラクの水郷地域を中心にメソポタミアの平野部で米とかとも一緒に広大な砂糖黍畑を営んでいたらしい。後にカリブ海周辺その悪名を轟かせる
砂糖黍プランテーションの直接の先祖がこの南イラクの砂糖黍大規模農園で、アッバース朝時代に南イラクの水郷地域サワード地方の大開発が進んだ時期に更に隆盛し、アイユーブ朝のサラディンがエジプトにこの砂糖黍栽培を移入するまで、イラク平原の最も重大な特産物の一つが砂糖製品だった。
で、伝承の通りなら、アッバース朝時代には確立されていた、白砂糖、氷砂糖、シロップの製法もサーサーン朝時代には既にあったそうだけどw、早くともサーサーン朝時代ならホスロー1世とかの時代、アッバース朝時代ならザンジュの乱が勃発する9世紀後半には、白砂糖粉砂糖氷砂糖シロップが揃い踏みして
ジュラーブ、即ちグル=アーブ、つまり薔薇水ローズウォーターの甘味付けとして砂糖とかシロップの状態で都市住民達に死ぬほど(氷室由来の氷とかガンガン入れたりしてw)愛飲されてたそうだけど、兎も角アッバース朝時代前後の西アジア中央アジアの都市民や王侯貴族は、砂糖も蜂蜜も干し葡萄由来の・・・・
これはまだ途中(半分以下)。冒頭のツイートをクリックすれば読めます。
日本だと、ようやく江戸時代になって、薩摩が琉球を支配し苛斂誅求で砂糖を生産、収奪して砂糖がそれなりに普及し………となった
西洋も同様に熱帯地方を植民地化して、砂糖プランテーションを作って一般に普及・・・・・・だと思ってて、両方の認識とも間違いないとは思うんだけど、中東がこういう感じだったとはしらなかった。
あの地域も
「かなり以前からサトウキビ栽培が普及していた」
に加えて
「乾燥地帯なので、砂糖を大きな塊にして遠方まで比較的カンタンに輸出できた」
のだということか。
さらにいえば、砂糖普及以前の甘味が
・なつめやし(デーツ)、メロン、はちみつ などがあった、と。
偶然ながら「鍋に弾丸を受けながら」ドバイの回が1本と半分、公開されている
comic.webnewtype.com
comic.webnewtype.com
2巻収録
日本はサトウキビはもちろんだが、砂糖以前の甘味としての、たとえば「はちみつ」も、冒頭の様に日本ミツバチとセイヨウミツバチの習性の違いであまり活用できなかった、のだと。
さらに、中東ではイスラームの教えによってアルコールが禁止されたので、せめてもの飲食の愉しみとして「甘味」が重んじられるようになった、もおまけにつく…
すべて新しい知見だったのでメモ