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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「原理主義」に自由社会はどう対するか〜中田考=ハサン中田氏を巡る騒動から(池内恵ブログを手がかりに)

資料とリンク集「日本人がイスラム国参加を試み取り締まり。同行取材予定のジャーナリストも捜索」 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20141007/p1

のリンク集を作った時、中田考氏の名前は出てこなかったので、氏のtwitterアカウントを入れたのはあくまでも「参考に」という意味だった。
だが、まアちょっと予想はしてたな(笑)

同じくリンクを張っていた常岡浩介氏と同様に、テレビや新聞のインタビューなども多数受け、経緯などを語っていたが、しかしそんな報道のどれよりも、この文章

中東・イスラーム学の風姿花伝
自由主義者の「イスラーム国」論〜あるいは中田考「先輩」について
http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-209.html

に考えさせられること多かった。

中田考氏は東京大学文学部イスラム学科という、日本の大学の中では稀な学科の一期生です。1982年設立と歴史も新しく、3年時にこの学科を選んで進学してくる者の数も極めて少数に限られています(2人か、1人か、0人か、というのが通例と思われます。あと学士入学・修士からの入学者がそれ以上にいます)。

実は私もまたこの学科を卒業しており、1994年に進学しているので、一回り下の後輩ということになります

という縁があるのだという。
まあ、ごく限られた専門研究者が学ぶ場所が、専門の教育機関に集中しているのは当然っちゃ当然で、驚くことでもない。それにこういうつながりなら、もっとへぇな話がある(後述)


池内氏のブログから考えたことはもっと別の面だ、それを書いておきたい。


神学者」は無敵・最強であり、同時に最弱でもある。

ただ「書いておきたい」と言っても、一番重要なところは、数点の資料を紹介するだけで足りてしまうのだが…池内氏はこう書く。

中田考氏からは、現世的な意味での権威主義を嫌い、暴力を忌避する、温和で、概して公正な人物であるという印象を受けます。その評価は、この事件に関する報道を見た上でも、変わっていません。

ただし、いくら現実が欺瞞に満ちたものであり、浅薄で劣悪な人間が世にはびこっているとしても、それに対抗して別の世界から何か絶対的な超越的な価値基準を持ってきてそれを当てはめて現実を全否定しても、自己満足以外に得るものはあまりないと私は考えています。
(略)
中田氏の日常・対人関係における穏和さは、イスラーム教によって示された真理を自分が知っているという確信から来る…イスラーム法学者としての聖典・法学解釈の運用能力を普遍的に価値的に優越したものととらえる中田氏からは、私の議論はそもそも前提としてなんら評価に値しない・・・

日本の刑法の存在と実際の効力は認めているものの、本人の思想によって超越的な視点から日本の刑法の価値を(「永遠の相の下では」)限定的(あるいは無価値)と捉えているため、刑に問われる可能性を認識しつつ、それほど意に介していないのではないかと思われます。

自分は中田氏とは、twitterのリプライ機能を使って数回やり取りしただけだが、まさに同じような印象を得た…というより、自分が感じていたが言葉にできなかったことを池内氏が明確に言語化してくれたので「なるほどこれか!そういうことか!!」とモニター前でひざを叩いたのだった。


そして上の話に関係する計四つの文章と絵を、これから紹介する。半分は過去の記事で紹介したものだが。

d.hatena.ne.jp

仲のよい友人がぶらりと来て「創価学会の人が秘かに相談に来ましてネ」と言う。「ヘェー、あなたの所へ! あなたの所も教敵じゃないんですか。また何で……」と言うと、「今回のスキャンダル問題にどう対処したらよいかという相談に…」ということでした。
 
「で、何て返事をしたんです」
 
「別に心配はない。スキャンダルで崩壊するならカソリック教会などはとうの昔に消えている。問題はそんなことじゃないでしょう、と言いました」
(略) 
「じゃ、問題は何なんです」
 
「(略)…まず国立戒壇憲法違反云々のとき、『教義が憲法に違反して何で悪い、われわれにとって法華経が絶対である』と言わなかったのか。こう言わなければ信教の自由が犯されるでしょ。
※こう発言したのは、小室直樹氏です

…私たちは、まことに不思議な「学問」を知っている。神学である。(略)神学がどれほど不思議な学問であるか、ちょっと考えてみるだけでわかるだろう。この学問においては、何万冊の専門書を読破した神学者に対しても、シロートが完全に対抗しえるのである。
この世にエホバという神がいる。(略)このエホバがこの世を創造したのであり、この世のすべてを完全に支配しているのであり、そのことは聖書に、聖書のみに書いてあるのである。こういうバカげたことは、まともなシロートなら、とても信じられない。だから神学者は、まともなシロートを決して相手にしない。たちどころに粉砕されてしまうからだ。彼らが相手にするシロートは、エホバと聖書を信じてはいるが、その細部のリクツ付けには詳しくない善男善女だけである。
こういう不思議な「学問」が、神学なのである。


いしいひさいち「信教の自由に関する一考察」〜※双葉社「がんばれ!!タブチくん!!」アクションコミックス版1巻
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HELLSING 4 (ヤングキングコミックス)

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  • 作者:平野 耕太
  • 発売日: 2001/09/01
  • メディア: コミック


この四つの文章と絵で、基本的に中田考氏の語ることや、池内恵氏のそれへの評価について、自分のいいたいことは言い尽くされている。

以下に続くのは、上の四つに対しての長々しくも不要な蛇足にすぎない。



その「蛇足」として、ことし6月に中田氏と私がやりとりしたtwitterの問答を紹介しよう。話題はその時に勃発して、結局続報がなくなってしまった「浅草寺仏像破壊事件」に関してである。
全部写すと長くなりすぎるので、全やりとりはリンクを見てほしい。

https://twitter.com/HASSANKONAKATA/status/476672547484737536
中田考 ‏@HASSANKONAKATA
(*´∇`*) サウジ人はこれぐらいで丁度いい→ "@grossherzigkeit: なんだこりゃ。偶像を破壊しにサウジアラビアからやってきたのか? http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140611/crm14061118250017-n1.htm … 「浅草寺で仏像壊す、サウジアラビア国籍の慶大院生逮捕 他の寺でも損壊ほのめかす」"
豊島区, 東京都
 
gryphonjapan ‏@gryphonjapan 6月11日
それはさすがに問題発言な。 QT @HASSANKONAKATA (*´∇`*) サウジ人はこれぐらいで丁度いい→ " @grossherzigkeit なんだこりゃ。(略)
 
中田考 ‏@HASSANKONAKATA 6月11日
@gryphonjapan @grossherzigkeit サウジのワッハーブ派の存在理由は、表面的外面的であれ、イスラームの基本の基本に愚直に拘る事。イスラームの基本とは、偶像崇拝が殺人や強盗や強姦よりも悪い決して許されない大罪であり偶像破壊が他の一切の道徳に優先するという事。
(略)
中田考 ‏@HASSANKONAKATA 6月11日
@gryphonjapan @grossherzigkeit イスラーム法学的には、ダールルハルブ(≒非イスラーム国)で、他人の所有物である偶像を破壊する事はムスリムには許されない、というのが妥当な結論だ。しかしアブラハムは町の偶像を勝手に破壊した。(クルアーン21章57ー8節)
 
中田考 ‏@HASSANKONAKATA 6月11日
@gryphonjapan @grossherzigkeit こういうイスラームの基本に立ち返り、クルアーンの教えに愚直に拘って、 空気を読まず後先考えず行動して、偶像崇拝禁止の根本教義の無視のイスラーム世界、特にワッハーブ派の現状に一石を投ずるのが、ワッハーブ派サウジ人の役割。
 
中田考 ‏@HASSANKONAKATA 6月11日
@gryphonjapan @grossherzigkeit 法学的には重要なのは誰に所有権があるか。タリバンの大仏破壊は仏教徒の所有者のいない国有地なので合法。今回の件は他人の所有物なので器物破損が基本だが、仏像はイスラーム法的に価値がないので法益が守られないとの少数説も。


見よ、このある意味いさぎよさを。浅草寺の仏像を壊すことも、「日本国憲法とそれに基づく刑法、民事賠償の観点から正しいかどうかを考える」のと、「イスラム法シャリーアの観点から正しいかどうかを考える」のとでは、まるで見る風景が異なるのだ。当たり前か。

(※漫画版 世界の歴史〈3〉十字軍とイスラーム (集英社文庫)より)
神の法や正義があり、それは現在施行されている法より上だと考えるなら、現行法に暴力装置によって従わされているという現状は別として、その法には何の権威も感じなくなるだろう。それはある意味当然だ。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi/posts/10201992410450887
そのイスラーム教解釈が異教徒という他者にとっては、「善意」であれども差別的で抑圧的になることを、私は問題と思っています。それについて彼は「神が定めた抑圧なんだから仕方がない。異教徒は抑圧の下で生きるのが幸せなのだ(神が定めた生き方なのだから)。もっと幸せになりたければ改宗の自由がある」という立場であるため、話が通じません。

自分がこういう考え方に面食らわないのは、それを逆説的、パフォーマンス的にユーモアを交えて語る呉智英氏の「封建主義」を知っていたからだろう。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20121216/p2
で少し例を紹介しているが「実定法としての人権規定はすべて認めますし従います。しかし大本の『人権』概念や、天から人権が与えられたという人権思想、あんなのはフィクションです。何にだって置き換え可能ですよ」という考え方は以前から聞いていた。

人権思想、すなわち、民主主義を容器とするその中身は、果たして人類の至宝のような真理なのだろうか。結論を先に言おう。人権思想なんて、何の根拠も無いただの妄想にすぎない。妄想が言い過ぎなら、イデオロギーと言い換えてもいい。イデオロギーの時代が終わって人権重視の時代が来ただなんて、覚醒剤をやめてシャブを始めましたと言っているようなものだ。

これはイラクとシャームの一部において成立した(?)イスラム国のカリフに対してムスリムが忠誠を誓うのか、ムスリム潜在的には「イスラム国の国民なのか」という問いともつながる…と以前書きました。

カリフ復活とイスラーム国(IS)を材料に「国・忠誠・正統性」とは何か―をあらためて考えてみる - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140817/p4


呉智英氏も中田考氏も、日本国籍を持ち日本で暮らす一市民として、今のところは(笑)実定法に違反したと司法が断定したわけではない。いや、呉智英氏は学生闘争での前科があるけど(笑)。
憲法のよって立つ根本規範を各自が内心で受け入れるかどうかは、実定法に違反しているかどうかとは関係ないのだ。



ではどーするか、といえばけっこう簡単な話でありまして、呉氏や中田氏が日本国憲法の根本原理を受け入れなくたって何の問題もないように、日本国憲法やそれに基づく権力も、呉氏の封建主義思想や中田氏のイスラーム的世界観を受け入れる必要が無い。


中田氏なり、もっと過激かつ違う学説を報じる別のイスラーム学者が仮に「仏像は他人の所有物であろうが手当たり次第に破壊するのが、コーランシャリーアの解釈上、イスラーム的に正しい」と考えたとき、その世界観や学説を否定する必要は無いし、日本国憲法体制は否定するすべを持たない。
仏像を壊した時、刑法の範囲でそれを罰すればいいし、民事の範囲で賠償金を搾り取ればいい。
ヘイトスピーチ問題に絡めれば、いかなるイスラーム法学者の考察の末の結論であっても「仏像を壊すのはイスラム的に正しい」と言明した時はヘイトスピーチとして罰される可能性というのも出てこよう。


そしてその刑罰を受けるのは、彼らにとっては「殉教」であろう。粛々と世俗国家はそういう人々を「殉教」させていけばいい。というかそれしかない。


むろん『教義が憲法に違反して何で悪い、われわれにとって法華経が絶対である』、という言葉はそのまま『シャリーア憲法に違反して何で悪い、われわれにとってコーランが絶対である』に置き換え可能だ。


そして憲法が改正されれば、仏像の破壊なども合法になるかもしれないし、当然別の聖戦の地に、日本人のジハード戦士が旅立つことは歓迎されこそすれ、犯罪にはならなくなるだろう。

わがカリフに 召されたる
命栄えある 朝ぼらけ…

恩賜のハシシ いただいて
明日は死ぬぞと決めた夜は
砂漠の風も 生臭く…

これは冗談のようでいて冗談ではない。少なくとも、今回の騒動にも登場した常岡浩介氏は、現地のジハード戦士から「カリフの黒旗を日本に将来ひるがえさせる」、との宣言を受けている。

彼らの目的は、イスラム法とカリフの指導のもとにイスラムの神聖国家をつくること。

今の国境は、中東を英・仏・露で勢力圏を決めたサイクス・ピコ協定とそれ以降に決められた不自然な直線になっているが、これを認めない。シリア、イラクの国境線に関係なくイスラム国だとする。最終的には単一の世界国家を目指しているのだ。

常岡さんは現地で「すまないけど、日本もイスラム国になってもらうよ」と言われたという。
d.hatena.ne.jp


実際にISは、ロシアと中国を神の敵として戦う対象とすると宣言している。その両国が墜ちれば、あっという間に日本海しか隔てるものがなくなるではないか。日本にとって元寇以来の脅威だ。九州に石垣を築け…!!


となるところだが、むろん日本で合法的に親IS政権が成立し、イスラム国に統合されることを選んだらそれは平和的にカリフの下に入ることになるのだろう。
すると帰依した皇室は「アミール」の称号を得るのだろうか。スルタンの称号だろうか……。


いやいやいや。
悪いがこの日の本、織田右府信長が比叡山で坊主を焼いて以降、(紆余曲折はありつつも、四捨五入して)世俗国家であり続けてきた。おいそれとそれを変えて、この国をムハンマドの教えに染めるわけにはいかなんだ。


つまり今回のことは…彼らの聖戦に参加した戦士を妨害した日本世俗国家は、やはりイスラーム国と原理的に相容れないこと、そしてイスラーム聖戦思想を原理的に許容しないことをついに行動によって示したということになる。


もちろん日本世俗国家は、ハサン師が聖戦思想の正しさやイスラーム国にはカリフがおわすと考えること、主張することにはお咎めを与えない。だが、それが行動になれば、法によって妨害する。それ自体が反イスラームと言われれば、見方によってはそうかもしれない。


それでかまわない、と領域世俗国家の一員として、私は日本国の方針を支持する次第であります。


おまけ情報。中田考氏は、勝谷誠彦氏と灘高校の同級生&中田氏はプロレスファン

とある方が、情報提供してくれたのだ。勝谷メルマガ。

 <中田考>という名前でこの日記の記述を思い出した方は、よほど熱心な読者で、かつ記憶力のいい人だ。今年3月3日の日記で…彼と内田樹さんとの対論本『一神教と国家』
 http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0725-c/

 を紹介したあとの文章だ。ちなみにこの本、たまらなく面白いです。今こそまさに読むべき1冊だ。
 <さて、その対論の相手が面白い。ハサン中田こと中田考君は、私の灘校の同級生である。すみません、いつも同級生ばかりで。日本国の中枢にいるのを紹介するのは、事実だからしょうがないのだが厭味だととられる方もいる。しかしハサン中田は堂々と紹介するぞ。もっとも中央から遠い場所にいる
 それでいながら、ひょっとすると世界を変える男かも知れない。あらゆる国の情報工作機関からもっともマークされていると、私は思う。なぜかは、本書を読むとわかる。
 彼が構想しているのば「大イスラム圏」だ。同じアラビア語コーランを読むイスラム教徒は13億人いるんですよ。バラバラの支那の比較ではない。それらがかつてのようにひとつの「カリフ」のもとに統一されたらどんな力が生まれるか(略)。
 危ないなんてもんじゃない。ぜひ身辺に気をつけて…って、なんでうちの同級生はこんな奴らはかりやねん。ほんまに、光栄やけどね。
 <あらゆる国の情報工作機関>にはもちろん警視庁公安部も入っていたわけだ(笑)。 …(略)もうひとりの同級生が広島県警本部長に就任したと書いたが、おまわりさんの中枢には先輩後輩も含めて大勢の仲間がいる。いささか頭が痛いかも(苦笑)。もっとも中田君は灘校時代から変わってはいたが、いたって真っ直ぐで正直な男なので、正々堂々と……

まあ、ナダコーの人がちらばって偉くなっているのは特に驚くにあたらない…といいつつ、驚いたよやっぱり(笑)。
で、知らないうちに、勝谷氏は「サンテレビ」でメーン番組を持っていたらしいのだが。

呼んでいたんですよ、中田君を。『カツヤマサヒコSHOW』に。もちろん今回の件が起きるはるか前に交渉して快諾を得ていた。その収録が今度の月曜日!どははははは。
 サンテレビは幹部が会議をしたそうだ。でも中田君は事情を聴かれただけで、別に何か悪いことをしたわけではない。問題は連絡がとれないことで、ツイッターを見たマネジャーのT-1君によると携帯電話などもも押収されて不自由だと嘆いているとのこと。私たちの希望は「新幹線のチケットをもう発送済み」ということである。律儀な中田君のことだ。きっと来てくれると信じている

つまり今日、収録されるのかどうかが決まるらしい。

サンテレビ?「カツヤマサヒコSHOW」??
この番組は、実在する…らしい。
http://www.sun-tv.co.jp/katuya/
ああ、サンテレビではもう50回以上やっていて、本にまでなっていた。それが東京でMXテレビによって放映されるってことか。彼が司会の番組なんていいのかねえ。

http://earclean.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-740d.html
ハッサンさんは敬けんなムスリムで、うちで話をしていても、礼拝の時間になると、ちょっと失礼します、といって部屋のすみでお祈りをするのだった。温和で、いつもにこにこしているのだが、話してみると、かなり過激なイスラム主義者で、それでいて、カイロのアパートの本棚には大量のアラビア語の本にまじって、少女マンガとプロレスの雑誌がずらりと並んでいたりした。

公安警察、ここが重要である。彼らが危険な過激新日信者なのか、それとも異端のNoah信者なのか。そのへんの見極めが重要だ。へたしたら最も恐ろしい、ターザン思想に影響を受けているのかもしれない。



おわり