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誰であっても、人が死んだ以上、ひとまずは追悼したい。
そして、その上で
表題の話なんだが……
少なくとも、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授の内藤正典氏は、このツイートを見る限りは「カリフ」だと認定している。
わざわざこういう表現を使うな。
— masanorinaito (@masanorinaito) October 28, 2019
バグダーディーに次ぐカリフが出てくれば同じこと。世界を安全にしたいなら、イスラムへの偏見と攻撃を止めること。堕落したイスラム世界の指導者達をもう少しまともな連中に変えることが必須。 https://t.co/uKdrEy2S98
いいのか。
ああ、おなじこと考えている人はいたよ
FF外からすみません。バグダーディーはカリフでよいんですか?自称であって認められない説も見たことがあり素人なので判断基準がわかりません。
— ueda sinshu (@kikakuno) October 28, 2019
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まあ、本人が「カリフだ」と自称しているんだから、カリフではない、としてそれを証明するのも、それはそれなりに骨が折れる。
バグダーディーを殺してもIS絡みのテロはなくならない。
— masanorinaito (@masanorinaito) October 28, 2019
15〜16年のようなヨーロッパやトルコでの「流行」は当面おさまり、西アフリカをはじめ破綻国家での暴力に現れる。
中東・イスラム圏諸国での不公正を糾す手段としてカリフの登場を待望する民意は根強いから、再び、カリフが登場すると再燃する
有名な精神病院小噺
患者A「おれは救世主だ」
患者B「そんなこと、だれが決めたんだ」
患者A「神様が決めた」
患者C「俺はそんなこと、決めた覚えないぞ」
もしカリフなら、モンゴル軍に処刑されたムスタアスィム以来の悲惨な最後…
‥‥フレグは当時のカリフ、ムスタアスィムに降伏を勧告したもののムスタアスィムはこれを拒否し、1258年2月5日、諸軍による包囲が完了し、フレグがバグダード市街の東面に陣を敷き終えると、モンゴル軍によるバグダードの攻撃が始まった。
アルメニア人、グルジア人、ペルシア人、トルコ人といった現地の諸勢力を吸収したモンゴル軍は圧倒的な戦力で二十日間に渡ってバグダードを攻めたが、その攻撃には当時でも最新の攻城兵器が使われた。
ヒジュラ暦656年サファル月4日(1258年2月17日)ムスタアスィムは降伏しバグダードから出城した。その後、モンゴル軍やフレグの遠征に従軍したアルメニア王国やグルジア王国の軍などによって、一週間に渡りバグダード市街の内外で掠奪や殺戮が行われた。カリフが出城して三日後の同年サファル月7日(1258年2月20日)に掠奪が始まり、サファル月13日(1258年2月26日)にモンゴル軍に投降して市街地より外に出ていたバグダードの名士たちの懇願を受ける形で、フレグが戦闘停止命令を生存者の生命・財産の安堵を布告して、バグダードの戦闘は終了した。翌日フレグは事後処理を幕下の将軍たちなどに命じ、自身は死臭を避けてバグダード郊外南西のワクフ村というところに陣を張った。そこでフレグは拘留していたカリフに処刑を通知し、サファル月15日(1258年2月28日)にカリフ・ムスタアスィムは自らの子息二人と側近たちとともにその地で処刑された。カリフはモンゴルが貴人の命を奪う際の方法として敷物でまかれ軍馬に踏まれ殺されたとも伝えられる。