小林邦昭が亡くなった時の周囲の反響は、通常のプロレスラーが逝去した時と微妙に異なっていた。それは言うまでもなく、プロレスラーとしての実績や名勝負などを思い出すツイートに混じって「いかに人格者であったか」「どれだけ周囲の人たちに慕われていたか」という投稿が山のごとく投じられ、ぶっちゃけ量的にも印象的にもそちらの方が圧倒していたのである。
小林さんの影響力に驚かされたyahooのスポーツ欄で9/9の週は虎ハンタ―死亡が断トツのトップで2位が私のコメントした東スポWEBでの最期の9日間が入ったようだ因みに3位は大谷選手の50.50の記事だったらしい東スポの記者の方も驚いていた数字が公開されないのは残念だが驚きのアクセス数だった
— 巨門星 (@comonsei) September 25, 2024
それはプロレスラーとしていいことなのか悪いことなのかは分からないが(笑)
人間としての小林邦昭の、価値というものをやはり見せてくれたと言っていいのではないか。
自分の小林邦昭という選手についての印象は「突然登場したタイガーマスクのライバル」であった。
自分のプロレス経験というのは以前も書いたことあるかもだが、実は「四角いジャングル」終了から「プロレススーパースター列伝 タイガーマスク編」まで、プロレスのテレビ中継というのは見てなかった。
その顔もずっと継続してタイガーマスク編になる前の「プロレススーパースター列伝」を読んでいた(床屋で)のだから不思議なんだけど、今日は漫画雑誌に載っているそれが、テレビのスイッチを捻ると映像として映っている、と繋げる発想が無かったんだね、それまで。
タイガーマスク編の途中からそれに気づいて「vsブラックタイガー」「vsウルトラマン」とかはリアルタイムの同時進行を楽しんでいたが、タイガーマスク編に一区切りが打たれ(次はハルク・ホーガン編だった)、漫画との同時進行が終了した後、登場したのが小林邦昭だった。
だからそれまでの前段階をまったく知らず、名前からして初めて聞いたよ、という感じだったはずだ
最初に外国修行から帰国して、タイガーマスクと対決したときは「珍しい長いタイツ(パンタロン)を履いた日本人」というぐらいの印象しかなかったが…
そこで衝撃の「マスク剥ぎ」が登場する。
一応小林のアドリブではあったらしいが、ここでそのチョイスをできたというのは小林の一生を決める決断だった。
もちろんリング上のタイガーは突然の奇襲に面くらいつつ「これまで見せない怒りのファイトを展開する」ということになり抗争がヒートアップ。
これもそしてすごい発想だったのだが、初めの段階では無関係だった、長州浜口キラーカーンらの「維新軍」が、いわゆる主流派の人気レスラーと抗争する日本人なら俺たちの仲間になって1グループでやろうぜ!と誘って、軍団抗争の中に組み込む、と言うこの構図も、それこそジャンプで新登場キャラが徐々に仲間となり、軍団が作られていく展開を思い出してすごく面白かった。
そして、これは後からの裏話として知ったのだが、佐山聡と小林邦昭は道場内、プライベートで大変に仲が良かったという。
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生涯のライバルで親友でもあった初代タイガーマスクこと佐山聡との親交も、小林の誰からも愛された温厚な性格あってのものだった。以前、筆者がインタビューした際、佐山は「小林さんってすごくいい人なんですよ。あんなにいい先輩はいません。威張らないですし、怒られたことも一回もない。同時期にメキシコ修行に行った時もすごく仲良くさせてもらいました」と語っていた。そして小林邦昭も生前インタビューした際、こう振り返っている。「佐山は3年後輩なんですけど、若手の頃から仲良かったんですよ。当時の新日本プロレスで、佐山とケンカしてないのは僕くらいじゃないかな? ほとんどの選手がケンカしてますから。佐山は横柄な態度を取られるとキレちゃうんですよ。でも、僕は人とそういうふうに接するタイプじゃないから」
(略)
「…(略)僕は帰国しても単なる中堅で何もなかったから、『自分も何かアクションを起こさないと、このまま終わってしまう』と焦りがあって、その矛先を向けるのは、大スターとなった佐山しかいなかったね」小林は10月22日の広島大会で、レス・ソントンとの試合を前にしたタイガーマスクを急襲。それを受けて、翌週26日に大阪府立体育会館で初の一騎打ちが組まれると、ラフ殺法で攻め立て、ついにはタイガーの覆面をビリビリに引き裂いて剥ぐという暴挙に出た。覆面レスラーのマスクに手をかけるというのは、暗黙のタブー。それをよりによって子供たちのスーパースターであるタイガーマスク相手に、堂々と行なったことで会場は騒然となった。
「マスク剥ぎというのは、覆面レスラーの本場であるメキシコマットでも一番観客が興奮する行為。だから、あれは試合前から狙ってましたよ。しかもタイガーの覆面は神聖なものと思われていたから、そのタブーを破った効果は絶大でした。あれから僕は“虎ハンター”と呼ばれるようになって、何十年も経ったいまでも言われるわけだからね」
ならば当然マスクはぎはタイガーの中の人的には怒りもないわけではなかったろうけど「ついに三平ちゃん(※小林の愛称)踏み出してきたか!!」「じゃあこのアングル、大いに盛り上げなきゃいけないな!!ガンガンやろうぜ!!」という高揚感も当然あったわけだ。
だからこそタイガーのライバルたる「虎ハンター」小林が誕生し、そしてアンチヒーローとして大人気となったのだ。
「何がすごいって、僕とタイガーマスクの抗争はたった10カ月間、シングルマッチは6試合しかやってないんですよ。それでも僕はいまだに“虎ハンター”と呼ばれるんだから、いかにインパクトがあったかということですよね」
小林らがジャパンプロジェクトへ行っても、全日版のタイガー(三沢光晴)に、ライバルとして立ちふさがるというのは、これはもうキャラクターというものの数奇な因縁を感じさせる。
タイガーのライバルがまた一人。。
— アカツキ☀味のプロレス (@buchosen) September 10, 2024
小林邦昭さん。
あなたのフィッシャーマンを忘れない。
心よりご冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/DsjfjcZcXR
そしてそういうライバルに値する、誰も使っていない「フィッシャーマンズスープレックス」という、見た目も派手なオリジナル技を持っていたというのもすごいことであった。
先日描いたばっかりだったのに。。
— アカツキ☀味のプロレス (@buchosen) 2024年9月10日
小林さんといえば虎ハンターの異名が有名だけど、古舘さんの「戦うクロコダイル・ダンディー」も印象深い。
改めて合掌🙏#味のプロレス #小林邦昭 pic.twitter.com/kAAo6fJstv
#小林邦昭 #フッシャーマンズスープレックス
— ザ・コブリ-レトロプロレス考察- (@t_cobri) 2023年6月21日
今日の必殺技 pic.twitter.com/WIaXtwmpsf
ただ、ここでひとこと言わせてほしいが、
初期のパンタロンはとても個性的で目立つ良いコスチュームだったのに、なぜかそのあと「白黒ツートンパンツ」という謎のコスチュームに変更、これがまぁカッコ悪かった(笑)
その後の誠心会館との抗争、そこから生まれた「反選手会同盟」、そのへんのはなしはミスター高橋の語る裏話とも相まって印象深い。本当にバックステージ上のトラブルがあんな風にうまく転がってリング上の試合になったり、軍団結成に至るもんなんだろうか……
そもそもどこまで事実なんだろう?
そんな疑問も内包しながら、中堅どころの選手が見事に独自興行を成立させられるぐらいに、ひと花咲かせたのだから間違いなく大成功ではあった。
そして、引退後の、新日寮の管理人。
管理人ということは、トップスターになってもなぞの一室を確保していた獣神サンダーライガーとの絡みも多かったのだろうかな(笑)
ただそれ以上に若手が口を揃えて「小林さんが代わりになった後は、寮の雰囲気全体が変わった」と言っているのだから、これはすごいことよ。
なにしろ新日寮といえば、そのエピソードトークはコンプライアンスとパワハラが大きな問題となっている現在では「全てがアウト」となるような状況だった、という。
まあ、現在がだめなんじゃなく当時からだってダメなんだろうけど。
それでもそういう雰囲気が一掃された理由は「小林邦昭管理人」の存在だった、という風にみんな口を揃えている。かつての寮の雰囲気は「そういう環境じゃなければ強いレスラーは育たない」と言った正当化の説も、そこで育ったレスラーから確実に出てきている。
96年入門の真壁は自身の新弟子時代を「殺伐すぎてもう逮捕ですよ。みんな逮捕だよね。今でも捕まえてやろうと思うくらい」と冗談めかしつつ証言する。しかし誰に対しても優しい人格者の小林さんが管理人となった後は、道場の環境が劇的に変わった。「すごいって。小林さんがいなかったら? 辞めてたヤツも多いだろうし、新日本プロレスというもので(世間に)打って出れてないと思う。そんだけ違うからね。本当に一、二を争うレベルで功労者だと思うね」とたたえた。
親子ほど年の離れた選手たちからも愛された。YOHは「心の支えというか、道場生の立場になってくれていたので。僕らを守ってくれたというか、生活しやすいようにしてくれてましたね。感謝しかないです」
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それを聞いてるとかじゃなくて実際にそうであったろう小林が、それでもその存在によってかつての因習・雰囲気を一掃した……としたら、これはもう小林という人物の本質的な個性であったと言うしかない。
そんな人間が稀代のアイドルレスラーの、最も憎まれる悪のライバルにとして一世を風靡した。
それがプロレスの「底が丸見えの底なし沼」の由縁なのだろう。
どうか安らかに。