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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

あぶく銭をつかんだヤクザが「俺、漢文習いてぇ…」と、大学の聴講生になった話(安部譲二)

漢文と「教養」をめぐる記事、この前は多くの方に読んでもらえて多謝。
m-dojo.hatenadiary.com

その流れで、いつかは紹介したいと思っていた、漢文にまつわる文章を紹介させてほしい。


そのひと…は、安部譲二。今の人は、どれぐらいなじみがあるのかな。
令和の世まで生きた人だけど(令和元年に逝去)、その5,6年ほど前、70歳代半ばから緩やかに仕事を減らして、フェードアウトしていったように感じられる。

ただ、
1986年に連載がまとめられ、『塀の中の懲りない面々』として本になった時の、人気ぶりはすごかった。8月に出て、その翌年87年のベストセラー3位。6位にも安部の本がランクインした。

www.1book.co.jp

紹介するこの「賞ナシ罰アリ猫もいる」は、その翌年、88年から安部が書き始めた雑誌コラム(「週刊文春」と「諸君!」)からの抜粋本。つまり一番勢いがあり、大ベストセラーの印税が入ってた、そんなときの文章。

そんな折だから、何しろお金はあるだろうし、ちやほやもされていたはずだ。

だが、
そんなあぶく銭と人気をつかんだ安部譲二が、なにをどうしたのか…


その日は推敲という言葉の由来を、中村璋八教授は、教えて下さいました。


私は、駒澤大学仏教学部の聴講生にしていただいて、毎週木曜日の朝十時四十分から十二時十分まで、一時間半、中村璋八教授から漢文を学んでいます。


「現住所あり職業・作家」となったら、せめて漢詩が読めるようになりたいと思った私が、去年酒を呑んでいて、友人の川上信定さんに、
「俺、漢文が習いてえ......」
と呟いたら、この教養のある友人は、「俺もだ」
まかせておけと言ってしばらく経ったら、駒澤大学で教えていただく話を、すっかりまとめてくれたのです。
私はなんでも、こんな願望を喚き散らすだけなのですが、この川上信定さんは行動力のある方ですから、どんどん現実にして下さいます。


中村璋八教授は、お見かけしたところ、六十歳を僅かに過ぎておられるお年頃の、それは穏やかな方でした。
いつでも微笑をお絶やしになりません。
夜学の高校を、昭和三十五年に卒業して以来、まったく学問から遠ざかって、もっぱ博奕打ちをしていた私に、それは懇切丁寧に漢文を教えて下さるのです。
漢文の読み方や解釈だけにとどまりません。


中国思想哲学が御専門で、「菜根譚」の解釈(講談社学術文庫)をされている中村璋八教授は、漢文を教えて下さりながら、中国三千年の歴史と思想を説いて下さるのでした。学問とはこんなことなのか......と、生れて初めて大学の授業を受講した私は、魂が遠く東シナ海を越えて、中国大陸に飛んでしまったのです。
勉強って、こんな素晴らしい物だったのか、と、胸が温かくふくらみ、体温が二度ほど昇ってしまったようになった私は、たちまち前妻の息子共に電話をしました。

安部譲二、漢文を学ぶ (賞ナシ罰アリ猫もいる)


ここから、2人の息子の紹介をするのだが、何しろそういう父親なものだから、息子2人とも大学に興味がなく、さっさと社会に出たり、見聞を広めると言ってアメリカを大旅行したりしてたそうです。
しかし「学問とはなんてすばらしいんだ!」と高揚した父親は…

「オイ息子共、初めて大学に行って授業を受けたけど、なんとも素晴らしいものだ。お前たちも、もう一度考えてみたらどうだ」
初めてステーキを喰べた時のことを思い出してみろ、と私は言って、学問というものは、それよりずっと感動的なものだと、付け加えたのですが、どうも息子共は飽食の時代の落し子なので、あまりピンとは来なかったようです。


大学へ行きたいと思わない息子に「そう言わず、進学したらどうだ」と親があの手この手で説得するのは世によく見る光景だけれども、ここまで「授業」に感激して「学問というのはすばらしいものだ!だから大学へ行け!」と確信を持って言える父親、というのは珍しい気がする。


中村璋八教授は、韓愈の詩「左遷せられて藍関に至り姪孫の湘に示す」を、「安部君は、詩が読みたくて受講しているのだから」
とおっしゃって、夏休み前の最後の授業でこの詩をやって下さると、この推敲の由来まで教えて下さったのです。
そして中村璋八教授は、私に微笑んで下さると、この左遷されて行く時に詠ったこの韓愈の詩が、大変いい出来栄えだとおっしゃって、韓愈に限らず、白楽天李白杜甫も、失意の時に詠んだ詩に、秀れたものが多いと言われました。
「得意の絶頂、追風に帆かけてシュラシュシュシュ、という時は、駄目ですか」
と申し上げたら、中村璋八教授は笑って、中国の詩人たちに限ってどうもそのようだと、おっしゃったのでした。


そもそも安部譲二って、…自分はごくわずかなエッセイ系のものしか読んでいないけど……、時事世相、神羅万象への反応の仕方がすごく「素朴」というか「ひねりがない」というか…いや、語弊があるかな。もちろんユーモアたっぷりの文章を書く人なんだけど、別に視点を逆転させたり論理をひねったり、そういうことでは魅せないんだよ。そこは彼が師匠と崇めた山本夏彦氏とかとは正反対でね。その素朴さというかストレートさを、逆にひねくれ師匠は愛したのかもな。


そもそも「人気爆発した時に、なんで漢文なんか?」には別ページで答えていて、まさに「作家」としてものを書く仕事に就くことができ、文章を張り切って次々書いていると…自分の教養と学問の足りなさが劣等感として迫ってきたのだそうだ。
自分にはいろんな劣等感があり、教養の無さはその一つに過ぎなかった…だが、それがほかを圧倒するほどどんどん大きくなっていった、という。前科や前歴など問題にならないぐらいに(笑)。
鶴見俊輔にそんな話をしたら「僕も小学校を追い出されたよ」と慰められたが、話しているだけで、自分との教養差はマイク・タイソンと自分のパンチ力ぐらい差がある。
「あんなに豊かな教養と学問を身に着けられたら、どんなに素晴らしい人生がすごせるか」


「い、いやそれは教養の過大評価や!」と、読んでるこっちが恥ずかしくなるぐらいに、ストレートに教養に憧れている


だから、冒頭の文章の「漢文が習いてえ…」という、あまりに単純率直な教養・学問への憧憬、
それに本当に接することができただけで味わう感動と喜び、
それを我が息子にそのまんま語るてらいのなさ………



そんなところに漢文の位置づけや、なぜ口語日本語でそれを読まないのか、とか、学ぶんなら中国語の発音で、中国語の語順でそのまま読まないのか?という先日の問いなんて、まぁ通用しないだろうな、と。

正直いうと、この手放しで学問に感激するさまが、それだけで心温まる気がしたので、印象に残っており…そして皆さんにお伝えしたいと思ったので、ここで紹介した。