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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

石井慧が、引退の意向を語る。放浪と激闘の歴史に終止符(かな?)

北京五輪金メダル・石井慧が引退 約14年のプロ格闘家生活で体が悲鳴「ここが潮時かな」と決断

2024年3月4日 05:00

 MMAファイターの石井慧(37)が、現役を引退していたことが明らかになった。2008年北京五輪柔道男子100キロ超級金メダリストの輝かしい実績を引っ提げ、09年大みそかにMMAデビューしてから約14年でプロ格闘家生活にピリオドを打った。
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五輪柔道男子100キロ超級金メダルという偉業を成し遂げ、2009年大みそか吉田秀彦戦でMMAデビュー。この試合は判定負けを喫したが、その後実戦を重ねると13年大みそかには〝野獣〟藤田和之を破り、プロ初タイトルとなるIGF王座を獲得した。
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17年にはさらなる進化を目指してクロアチアに拠点を移してミルコに師事。欧州に主戦場を移した。21~23年には「打倒・京太郎」を掲げて立ち技格闘技「K―1」に参戦し、22年からはプロボクシングのリングにも上がった。


 だが、その裏で体は悲鳴を上げていた。古傷の首や腰、ヒザの負傷に加えて昨年は肋骨も痛め、重度の帯状疱疹(たいじょうほうしん)にも悩まされた。石井は「去年3月の京太郎選手との試合を終えた後、ヒゲを剃ったんです。そこから一気に体の調子が悪くなった。ケガが続いて体調も悪くなって…。しかも、なかなか状況が良くならなかった。それで『ここが潮時かな』って思いました」と振り返る。

 半年以上、練習も行っておらず、引退試合の開催は「しないです。何であんな痛い思いをまたしなきゃいけないんですか?」と否定…(略)

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ううむ。
それは、14年間もプロ格闘技を続ければ怪我も病気もするだろうなあ、と思う。
ただ、非常に残念なのは、石井慧のその14年の経験と技術は、いまRIZINのヘビー級で日本最強の座を争うスダリオ剛、上田幹雄、シビサイ、貴賢神……等と比較しても、まだ一枚も二枚も上、に見えることだ。
初期RIZINの登場人物でもあったのだから、対戦の可能性は大きくは無いがあったのではないか。こういう「令和RIZIN日本人ヘビー級選手」の”査定”役となってほしかった、と思う。


後期の「K-1やボクシングに挑戦」は、自分が立ち技のぼんやり層でもあるので、あまり興味を持てなかったが……



そして、石井が数年前に大きな話題になったのは「本拠地をクロアチアに移し、ミルコ・クロコップチームの一員になっている」「クロアチア国籍を取得し、同国に墓も買った」という話だった。
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ああ、この記事にブクマ付けたな、と思い出す人もいるのでは?
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そもそも「日本の伝統の柔道界」に染まらず、辛辣な視点を持っている柔道マンだった。
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やはり、日本でメダリストになったような選手で、他国の国籍を取って移るという人は珍しい。格闘技修行で完全に海外に拠点を移した、そして自分で自称するように「バガボンド」としてあちこちの国のリング、金網を渡り歩いた……という、その生き方も多くの話題を呼んだ。
米国市民権のために柔道大会出場、とかの話もありました。
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ただ、クロアチア国籍をとっても、やはり引退後の拠点は日本、それも福岡なのかな?なら日本国籍の保持をしていたほうが何かと便利だったのでは……と思わないでもないが、それは彼の自由だし、日本国籍を離脱し、別の国の国籍を取ったうえで生活拠点は再び日本に置く、みたいなこともそれなりにスムーズにできるような環境整備も進んでいるのかもしれない。そもそも、このバガボンドが日本・福岡を”終着駅”とする保証はまったくないし、「これで選手を引退する」「引退試合はしない」というのも、今現在の意向ではあるのだろうが、どこまでその意思が固いかは疑う自分もいる(笑)。


ともあれ、波乱万丈の格闘家人生。それをずっと見させてくれて、ありがとう。