ひとつ前の記事に関連して気づいたが、戦前に亡くなった彼の著作は当然、すべてがパブリックドメインだな。
それはともかくだが、この番組でも語られる…あるいは以下の話はマニアックすぎて語られないかもだが(笑)、嘉納治五郎の功績については柔術とグラップリングのコーチとして有名なジョン・ダナハーの端的な総括が完璧すぎるので再掲載しよう。
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(略)……「ゴング格闘技」最新刊の中で、ジョン・ダナハーが語っている。ジョン・ダナハー(ヘンゾ・グレイシー門下生である)は説明がちょっと難しい。本人には目立った実績がないのだが、その「元コロンビア大哲学博士課程」の能力を生かして、グラップリングの概念を体系的に整理。その理論をもとにした指導でGSPやゲイリー・トノン、ゴードン・ライアンなどを育てた、そういうコーチとしての能力は世界的な人である。
その人が、インタビューで、嘉納治五郎についてこう述べた。
「私が常に聞かされていたクリシェ(使い古されてきた決まり文句)の一つは、グレイシー柔術はもともとマエダ(前田光世)によってブラジルにもたらされたものを、グレイシー一族が実験を重ねて発展させたというものだ。しかしいろいろ書物を紐解くと、それが実際に起きたことの極度の単純化であることは明らかだ。私が調べて分かったのは、ブラジリアン柔術の父はカノウと彼の柔道だということだ」
――グレイシーではなく。
「私が思うに、カノウこそ近代においてもっとも卓越したマーシャルアーティストだ。その成し遂げたことを考え合わせると、彼がどれほど驚くべき人間だったかということに感嘆するのみだ。たった一人の男が、昔からある日本の柔術の諸流派―つまりコリュウだ―から柔道を創り、そこからさらにサンボやブラジリアン柔術が派生し拡げてたんだ。つまり、世界の着衣レスリングの三つの主要な形態は全て、ただ一人の男を源流とするんだよ。これはもう、インクレティブルな達成としかいいようがない」
――確かに。
「加えてカノウは、武道にオリンピック競技という栄誉を授けた唯一の人物だ。彼が柔道をオリンピック競技にするよう働きかけた。
第二次世界大戦の直前に亡くなることがなければ、それを自身の手で成し遂げたかもしれない。しかしそうはならなかった。彼の満願が実際に叶ったのは、あの悲惨な大戦を経た後の1964の東京オリンブピックだ。
とまれ、柔道、柔術、サンボを学ぶ我々すべては、カノウという近代におけるグレイテスト・マーシャルアーティストから、計り知れないほどの恩義を受けているよ。そして彼は、近代のマーシャルアーツトレーニングにおける、もっとも偉大な叡智をもたらした人物でもある」
――もっとも偉大な叡智?
「マーシャルアーツの価値を決めるのは個々の技術ではなく、トレーニングシステムだということだ。そして彼はそのトレーニングシステムを導入した。ランドリだ。そのことによって、コンバットスポーツ(格闘競技)と伝統的武道(トラッディショナルマーシャルアーツ)の違いが生み出されることとなった。文字通りの形で、だ。
そしてこのコンバットスポーツこそが、現代のマーシャルアーツにおける大いなる革新をもたらしたんだよ」
――確かに......。決められた動きの反復練習だけでなく、フリースパーリングを導入して競技化することによって、技術は飛躍的に発達しますよね。
「ここまで話した全てが、カノウの功績だ。我々すべて、グラップリングにおけるコンバット・アスリートのすべては、それは莫大な恩義を彼から受けているんだよ」
まったく、どれもこれも常識的な知見ではあるのだけど、あまりに常識になり過ぎて、忘れてしまいがちだ。最新のグラップリング&MMAのシーンで活躍する指導者にそうあらためて言われると、まったくもってごもっとも、としか言いようがない。
ただ、ふと思ったのが、「嘉納治五郎の本当の功績は「ランドリ」…つまり乱取りだというのはどこかで聞いたな…なんだこのデジャヴ感…あ!!堀辺正史だ!!」ということだった(笑)
(後略)